私はずっと前から綿矢りさが嫌いだ。
最近また新刊を出したみたいだからイラッとしてしまってね。
インストールを読んだけど、純文学だからねくくりが。面白くないとか、それはいいんだ。
内容がない。意味がない。
文学的にみえる文章を綴っていってできた物語がこれです。って感じ。
自分に酔う以外のものが全く伝わってこない。
結局何が言いたかったの?って感じ。
伝わらない、ならいいけど。伝えたいもの自体がないって感じ。
それって小説としてどうなんだろう。それで純文学を名乗ること自体、どうなんだろう。
文章だって特に綺麗というわけじゃなく、今までいる女流作家の上塗りって感じで私は好きになれない。
そんなものしか書けないで顔で選ばれたとか言われるのが嫌、みたいな感じ、イライラする。
もっといいもの書いてから言えよ。顔で選ばれたんだよ。
私は金原ひとみの方が、なにか伝えたいもどかしい苦しい気持ち感じて応援できた。
それでちゃらちゃら大学とか言ってぽつぽつ新刊出して作家気取ってるかと思うとむかっ腹立つわ。
私の好きな小説家に江戸川乱歩がいるけど。
大衆娯楽小説と言われながら、それでもそれを貫いた乱歩は凄いと思うのよね。
大衆娯楽小説万歳。時を超えて何万人もに娯楽を与えられるんだからそれは凄いことだよ。
誰にも何も与えない純文学気取り作家に爪の垢でも煎じて飲ませたい。
なんて。
純文学は面白くないものだよね。だって娯楽じゃなくて、なにか伝えたいものがある。面白くないけどこれが伝えたい、これが私の世界の解釈なんだ!!っていうのを、全力で伝えてくるものが純文学だと私は思うから。
同じ理由で三浦しをんも嫌いだ。
あんたの勝負してる雑誌、小説の種類は娯楽じゃねんだよと思ってしまう。
娯楽なら娯楽らしく、乱歩のように娯楽に徹すればいいのに、純文学っぽく見せたいっていう自分の虚栄心を作品に持ち込んでる気がして、その精神が気に食わない。
三浦しをんよりそのあたりのラノベ作家の方が何倍も巨匠だと思う。立派な作家だと思う。
でも、世の中的にはそうでないんだろう。
とりあえず私の嫌いな作家は綿矢りさと三浦しをん。
三浦しをんの髄筆は腐女子の神経を逆なでする。
TPOも弁えられないのかあの作家。
なんて、悪口。