私は変わってると言われるのがかなしい。
どうしてだろう?
同期とうまく馴染めず空回りばかりしてる気がしてちょっと変わってるレッテルをはられはじめた今日この頃。
たまに怖くなる。例えば今とか。
私の中で変わってるっていうのはいつのまにか悪になってる。
昔は変わってるって嬉しかった。
私の代わりは誰もいないって言われてるみたいで。
今は変わってるって言われるの、あんたはここでは仲間に入れてやんないよ、って言われてる気分になる。
なんて被害妄想。
前向きに考えた方がいいのは分かってる。
まあ、私は普通ではないかもしれない。
でもそれは悪いことじゃない。
ここが踏ん張り所で、普通じゃなくても仕事をがんばって覚えていったらいいんだから。
躓いた石は積み石にもなる。
私のことを決め付けた言い方をする人がいて、私は悲しくなった。
みんな何かしら、あるよ。
いろんな種類の苦しみがあって、それは他人には絶対に理解できない。
ただ想像してもらうしかない。
その想像が本当に苦しみを理解してくれている物じゃなくても、でも、真剣に想像してくれようとするその姿勢で私は救われる。救われたんだと思う。
もう昔の話になるけど、学校で辛かった時、それがお母さんにばれた時、お母さんもお母さんから話を聞いたおばあちゃんと学校の担任も、私の苦しみを想像してくれる努力を、してくれなかったように思う。
ただ、想像する前にお母さんはみんなに言って私を叱って、私の将来を心配して、……そんな、そんなことがどれだけ辛さを倍増させたか分からない。
私はアドバイスなんて求めてたんじゃない。
「辛かったね」
その一言が欲しかっただけだよ。
ひとり、家庭科の先生は学校での私を見て、「辛いんじゃない?」って、言ってくれた。
うまく話せなかったしそれから大して話した訳じゃないけど、その一言でどれだけ救われたか。
お母さんにはこのことを少し話したことがある。
話にならなかった。
日本語が通じないの。
「お母さんも一生懸命だった」って。
違うのに。お母さんはいつも自分がどうしたいかでものを考える。
お母さんが私に学校で楽しく明るくやってほしいから、何かをがんばる。
その前に私の気持ちは無視だった。
今でもそうだよ。
お母さんが私に働いてお金を稼いで結婚してほしいから、私を助ける。
私がどうしたいかなんて無視。っていうか考えられないんだと思う。
もう、年をとって考え方を変えるなんて無理ね。
だから私はたまにお母さんを怒る。昔は泣き叫んでた。大きな声で。そうしたらお母さんにも聞こえるかと思って。
でもだめだね。私のこえは絶対にお母さんには届かない。だって、たぶん、理解ができないんだもんね。ただ、酷い癇癪だって、それだけの理解。
私の立場で私のことを考えてくれたことがないから、私はお母さんを心ではどこか拒絶してる。
もう諦めてしまった。
だから私は考え方の違う人の前では無口になる。
伝わらないと思うから。
私は、私がしてほしくてたまらなかったことを誰かにしたい。
誰かのためになんて。自分のためにしか人間は動けないって思ってるけど、私は誰かの、あのときの家庭科の先生になりたいだけ。それには救う相手が必要でしょう?所詮は他人も巻き込んだただのエゴ。
でも、それで、誰かあの時の私みたいに苦しんでいる人が、一人でも楽になれるなら、私は嬉しい。
私はそうなりたい。
だから、私は、共感する、真剣に子どもの気持ちを考えることができる大人になりたいな。
まずはそこからかな。
業務をこなしながら、ね。
がんばります。
どうしてだろう?
同期とうまく馴染めず空回りばかりしてる気がしてちょっと変わってるレッテルをはられはじめた今日この頃。
たまに怖くなる。例えば今とか。
私の中で変わってるっていうのはいつのまにか悪になってる。
昔は変わってるって嬉しかった。
私の代わりは誰もいないって言われてるみたいで。
今は変わってるって言われるの、あんたはここでは仲間に入れてやんないよ、って言われてる気分になる。
なんて被害妄想。
前向きに考えた方がいいのは分かってる。
まあ、私は普通ではないかもしれない。
でもそれは悪いことじゃない。
ここが踏ん張り所で、普通じゃなくても仕事をがんばって覚えていったらいいんだから。
躓いた石は積み石にもなる。
私のことを決め付けた言い方をする人がいて、私は悲しくなった。
みんな何かしら、あるよ。
いろんな種類の苦しみがあって、それは他人には絶対に理解できない。
ただ想像してもらうしかない。
その想像が本当に苦しみを理解してくれている物じゃなくても、でも、真剣に想像してくれようとするその姿勢で私は救われる。救われたんだと思う。
もう昔の話になるけど、学校で辛かった時、それがお母さんにばれた時、お母さんもお母さんから話を聞いたおばあちゃんと学校の担任も、私の苦しみを想像してくれる努力を、してくれなかったように思う。
ただ、想像する前にお母さんはみんなに言って私を叱って、私の将来を心配して、……そんな、そんなことがどれだけ辛さを倍増させたか分からない。
私はアドバイスなんて求めてたんじゃない。
「辛かったね」
その一言が欲しかっただけだよ。
ひとり、家庭科の先生は学校での私を見て、「辛いんじゃない?」って、言ってくれた。
うまく話せなかったしそれから大して話した訳じゃないけど、その一言でどれだけ救われたか。
お母さんにはこのことを少し話したことがある。
話にならなかった。
日本語が通じないの。
「お母さんも一生懸命だった」って。
違うのに。お母さんはいつも自分がどうしたいかでものを考える。
お母さんが私に学校で楽しく明るくやってほしいから、何かをがんばる。
その前に私の気持ちは無視だった。
今でもそうだよ。
お母さんが私に働いてお金を稼いで結婚してほしいから、私を助ける。
私がどうしたいかなんて無視。っていうか考えられないんだと思う。
もう、年をとって考え方を変えるなんて無理ね。
だから私はたまにお母さんを怒る。昔は泣き叫んでた。大きな声で。そうしたらお母さんにも聞こえるかと思って。
でもだめだね。私のこえは絶対にお母さんには届かない。だって、たぶん、理解ができないんだもんね。ただ、酷い癇癪だって、それだけの理解。
私の立場で私のことを考えてくれたことがないから、私はお母さんを心ではどこか拒絶してる。
もう諦めてしまった。
だから私は考え方の違う人の前では無口になる。
伝わらないと思うから。
私は、私がしてほしくてたまらなかったことを誰かにしたい。
誰かのためになんて。自分のためにしか人間は動けないって思ってるけど、私は誰かの、あのときの家庭科の先生になりたいだけ。それには救う相手が必要でしょう?所詮は他人も巻き込んだただのエゴ。
でも、それで、誰かあの時の私みたいに苦しんでいる人が、一人でも楽になれるなら、私は嬉しい。
私はそうなりたい。
だから、私は、共感する、真剣に子どもの気持ちを考えることができる大人になりたいな。
まずはそこからかな。
業務をこなしながら、ね。
がんばります。