きれいな形でクロールを泳ごうとしたら息継ぎがうまくできなくて苦しくなる。
早く泳ごうとして息継ぎをしないのも苦しい。

うまく生きれないな、って自己嫌悪。
でも、うまく生きようとするから苦しいんだよね。
考えたら、うまく生きようとする必要なんてどこにもない。

ただ一生懸命、その瞬間を泳いでいればいいんじゃないかな。
やっぱり息継ぎは苦しいけど、苦しいなりに、あがきながら、一生懸命進めばいい。

そしたらそれは満足のいくものになるんじゃないかな。

小学生のころ、クロールが泳げなかった私は短期教室に通った。
そこでは友達らしい友達はできなかったけど、なんだかんだ話しかけてくれる人と適当にやってた私。
仲良くなりたい人はいたけど、しがらみなくひとりで泳ぎ続けるのも好きだった。
先生に言われたことを真剣に聞いて、一人で頑張って練習した。
それで、最後に25mテストをやった。

25m、私は泳げるようになってた。
先生が応援してくれる声が嬉しかった。
私は泳げるようになったんだと思った。
不得意を得意にした瞬間だった。
私はその感覚が一番好きだ、と思った。

私は一人だったけど、見ていた母は「水を得た魚みたいに生き生きしてたよ」と言った。
私は楽しかった。
そのメンバーのことも、友達じゃないけど仲間みたいな感じがして好きだった。
少し周りの目を気にしたときもあったけど、私は、ほんの少しの付き合いだし「ひとりが好きな人」って見られても、いいかって。

あの時みたいな生き方ができたら、人にどう言われるかは置いておいて、それが一番私の楽な生き方、泳ぎ方なんだと思う。

そんな風に生きたいな、って話し。

私はひとりが好きなのに、そう思われるのを恐れてる。
ずっとひとりは嫌だけど、私はひとりが好きなんだ。
わがままだよね。
だから、それを知られたくなくて隠す。

でもわがままなのも私。
私はひとりが好き。
友達を大事に思ってるのと同じように、仲間を手助けしたいと思ってるのと同じように、私は私自身を見つめたり成長させるために私と向き合いたいの。
私はひとりも好き。
私は私のことも好き。
だからたまに見つめたいんだ。

それは矛盾だと思ってた。
でも、考えてみたら、これほどの平等もないかもね。
私は私と相手を両方大事に思っています。
真剣に向き合いたいと思います。

なんて考える。
結構これが、私の真実かもしれない。

ワインおいしい。