今日は午前のうちに耳鼻科に行きました。
軽度感音性難聴、と言われて通院してます。
地元のけっこう有名なところなんですが、いつもお医者さんの問診がある前に聴力検査をしているのに、今日はなかったんです。
「??」と思っていたら、案の定

医者「あれ?今日の結果は?」
看護師「“まだ”してないです」
医者「あ、そう」

という会話が。えーなんでしないんだろ、しないつもり?大丈夫なの?と思ってたんで、「あ、後からするんだ」と安心したんですが、それ以後全く名前を呼ばれず、ふつうに退室。

看護師さん……
……する気ないなら“まだ”してないなんて言わなきゃいいのに……。

そして大丈夫なのかな。検査しないなら、何のために定期通院してんだか分かりゃしない。
問診終わってから私が「今日は聴力検査しないんですか?」とか聞きゃあやったんじゃないかと後悔。

そしてふと考えたのが、看護師の役割ってものについて。
外来実習に行って、何も分からず見学させてもらって、帰って家で外来看護師の役割について文献つかって書いたけどさ、あれって本当だなあって。
“患者さんのことを代弁して。いつも患者目線で。”

例えばいつも来る患者がどんな検査をしているのか把握するのも(大変だけど)大切なことだし、まだ検査してないってことに気付いたら、その時点で看護師が医師に「検査しますか?」って聞くべきだよね。
そして必要なら(毎回やってるんだしもうすぐ大型連休でなかなか来れないの分かってるんだから、必要なの明らかなんだけど)すべきだろう。
看護師も必要ないと判断してるんなら「“まだ”してない」なんて言わなきゃいい。

私は、その言葉に医師への配慮というか、自分の検査していないことに対するごまかしみたいなのを感じてすごくヤダ。
まだしてないんだけどするつもりはあるんですよー。やりますよー。
みたいな。

考えてたら、実習でもそういうこと注意されたなあって思い出した。

「あなたはどう思うの?あなたが患者さんに必要だと判断したんならそれはやらなくていいのかドクターに聞くべきだよね」
「患者さんの立場に立って。私(指導看護師)の言われた通りに動くんじゃなくてあなたが考えて、あなたが行動して」
「日本語は正しくつかって」

どこまでも正しいです。
あー私ぜんぜんできてなかった、こういうことかぁ!と今更。
患者さんの立場に立つって、自分が医療を受ける側にならないとなかなか難しい。
私はしてなかった。
気付いたから、今からはしよう。

看護の仕事は、一生懸命にやったらどこまでも忙しい。
どんな場所でも“楽”ではないような気がする。
だって探せばやれることはたくさんあるから。
看護に限らず、どんなお仕事でも同じだと思いますが。

同級生で「私は暇なの無理!急性期がいい」とか言っている子もいるけど、私はそういう考えはどうかなぁと思う。
内科・精神科は確かに外科のような外見の慌ただしさはないけれど、それは暇とは違う、と思ったりするのです。
生意気にも。

他に、母親が看護師だったりする子は、看護師が特別忙しいだとか、キツいとか、そういう“看護師至上主義”みたいなのがあるように感じるんだけど、
「それ何の職業も同じじゃないのかな?」と思う。
看護師は色んな人と接する仕事だから、たいへん。でも見識が広まるっていうけど、患者さんは割りと医療者に萎縮しがちだし。
営業のように人にときには疎まれながらも仕事をする大変さと看護師の患者との触れ合いは根本が違う。
見識が広まると言っても、狭い病棟のなかに入院する患者としか接しないのだから、狭い世界なのでは?
それで見識が広いと思ってしまうのは恐ろしいような。

なんて、社会人前の一学生のたわごとでした。

よく分からないけど、看護師を親に持つ人にサラリーマンを下に見た発言をされるともやもやするんだ。

私は会社で日の目を見なくても一生懸命働いて責任を果たす父親を尊敬しているし。

人の命がかかっていないからって、楽なわけじゃないよ。

会社員だって、会社員なりの辛さきつさがある。それを言わないだけじゃないのかな。

「会社員とかはぜったいやだったし。学校の先生とか、世界せまいし」


他の職業には他の職業なりのよさがあるんだよたぶん。

看護科の先生にも、看護師至上主義みたいなひとがいた。


わたしはそうはなりたくない。

みんな、一生懸命、与えられた仕事をがんばってるんだよ。

自分たちだけじゃない。