私の画像を何処からパクってTwitterに投稿している人がいると書きましが、その人のTwitterの画像の殆どがオリジナル画像とは思えない画像が多いです。
他人の画像を使って、自慢気にクイズを出しています。
先日ある人のTwitterで私の画像が無断で使われました。
その画像は、私が蝶野さんのデビュー当時に一緒に撮ってもらった画像です。
画像は蝶野さんだけの画像になってましたが、間違えなく私が蝶野さんと一緒に映ってる物です。元々の画像はツーショットですが、蝶野さんの部分だけにしてネットに上げだかとがあり、私も映っているバージョンも顔は隠してネットに上げた事もあります。
どちらの画像かは分からないですが、私のオリジナル画像を無断転載されました。
同じプロレスファンとして、一言もなく転載されるのは悲しいです。
その画像を無断転載した人は人の画像を勝手に使って得意げにクイズみたいな事を呟いてます。
これからは、オリジナル画像には、私の名前等いれるようにします。
Yahooニュース等のコメント欄を見てると、「台本」だとか「ブック」などの否定的?なコメントがあります。
色々な意見はあると思いますが、プロレスは『リアル』と『ファンタジー』とだと思ってます。
仮に台本が存在していても、リング上で行われているのは、『リアル』のプロレスラーのプロフェッショナルな『プロレス』です。
そんな私も、新日本プロレスの『暗黒時代』には、新日本プロレスに不満をもってました。
もしあの時代(『暗黒時代』)の自分にアドバイスするなら、『肩の力を抜いて楽しもうよ』って言ってやりたいです。
不満がある人は一度肩の力を抜いてプロレスを観てください。
昨日の事なんですが、家から最寄り駅に向かう途中で、歩道を歩いていたら反対側から自転車が来ました。
歩道の幅は、歩行者がすれ違えるくらいでけして広いとは言えない歩道です。
しかも自転車は車道の進行方向とは逆です。
逆走だし、歩道走行の違反だと思うのですが・・・
驚いたのはその自転車の後続が、お巡りさんが自転車で歩道走行をしてたんです。
しかも歩行者である私とすれ違う時も、止まるわけでもなく、スピードを落とすわけでもなく、私の横を走行していきました。
本来であれば、違反者を取り締まる立場の警察官が、違反者と同じ行為をしていました。
警察官がこんなんだから、自転車の違反減るわけないですよね。
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現在事情が有って、渋谷に行く回数が増えてます。
渋谷に限った事ではないですが、ルールやマナーを守らない自分勝手な人が多いです。
スクランブル交差点で横断歩道を渡ってると、目の前を自転車が通ったりします。
横断歩道での歩行者に対する進路妨害です。
歩道を歩いていても、自転車が横を結構なスピードで横切ります。
車道からイキなり歩道に入ってきたりして危険です。
歩いている人も、スマートフォンを見ながら歩き、突然立ち止まります。
2人以上で歩いている人は、横並びで歩いているので迷惑です。
雨上がりの日は、傘を横向きに持って、行進してるかの様に手を振りながら歩いている人も迷惑です。
このご時世(コロナ禍)にマスクをしないで(ずらして)会話しながら歩いている人も居ます。
お店に入る時に、手をアルコール消毒しないで入店する人も居ます。
これらの事をしている人は、自分の事しか考えてなく、周りの人に対する『思いやり』がないです。
自転車の違反なんかは、警察が取り締まらないので、やりたい放題な感じです。
日本ってこんなに、無法地帯でしたっけ?
40年以上プロレスを見てきて、感動の涙を流した事は、
何回もあります。
1985年9月19日東京体育館で、新日本プロレスを観た時に
試合会場で涙を流しました。
アントニオ猪木さん対藤波辰巳(辰爾)さんの試合後です。
涙の理由は、師弟対決の背景や、藤波さんが勝てなかった事など複数ありました。
猪木さんと藤波さんの試合と言えば、伝説の横浜の試合が有名ですが、
私は東京体育館での試合も私は、忘れる事は出来ません。
8月8日は、昭和の新日本プロレスファンにとって、忘れる事の出来ない日です。
横浜文化体育館で、師匠が弟子に挑戦するという、歴史的な闘いでした。
少年の頃から憧れ続けていた師匠の背中を追い続けてきた弟子が、遂に王者として
師匠と相対峙した日です。
私がプロレスファンになった切っ掛けは、アントニオ猪木さんですが、
ここまで私をプロレスファンにしたのは、藤波辰巳(辰爾)さんです。
その藤波さんが、IWGPヘビー級王者として、猪木さんの挑戦を受けました。
試合結果は60分フルタイムのドローでした。
結果だけ見ると。藤波さんは猪木さんに勝つことが出来ませんでした。
藤波さんのライバルである、長州力さんは猪木さんの勝っていりのに
藤波さんは、猪木さんに勝てませんでした。
でも私は、この試合は藤波さんが猪木さんに勝って防衛するよりも、
引き分けで防衛した事に意味があると思ってます。
師匠である猪木さんを傷つけることなく、防衛することは、藤波さんにしか出来なかったからです。
少年の頃から憧れてきた猪木さんを、猪木さんの出身地である横浜で、60分独り占め出来た事は
藤波さんにとっては、大きな勝利だったのではないでしょうか。
熱い師弟対決が有った29年後(2017年)私は大きな闘いをする事になりました。
2016年9月に発症(発覚)した病気の手術をしました。
偶然とは云え、8月8日だったのは、昭和の新日本ファン(藤波さん)としては、闘い(手術)に挑む気持ちが、
別の日と8月8日では、違いました。
麻酔で眠ってる状態とはいえ、、『アイネバーギブアップ』気持ちで生還しました。
プロレスファンとしても、個人的にも、8月8日は特別な日です。