It's fighterstime!!! -183ページ目

It's fighterstime!!!

ファイターズ好きな主婦のブログです。マスコットの話も時々書いていきます

昨日の送別会で直人が歌った曲です。




この街を出て行く事に決めたのは いつか 君と話した夢の 続きが今も捨て切れないから



何度も耳をふさいではごまかしてばかりいたよ。だけど 今度はちょっと違うんだ。昨日の僕とは



こっそり出てゆくよ だけど負け犬じゃない もう キャンセルもできない



さようなら 会えなくなるけど さみしくなんかないよ そのうちきっと 大きな声で 笑える日が来るから

動き出した 僕の夢 高い山越えて 星になれたらいいな



何かに つまずいた時は 空に手をかざしてみよう 
この風は きっとどこかで君とつながってるから



呼んでる声がする だけど帰りたくない 笑われるのにも 慣れた



長く助走をとった方がより遠くに 飛べるって聞いた

そのうちきっと 大きな声で 笑える日が来るはず

動き出した僕の夢 深い谷越えて虹になれたらいいな



さようなら 会えなくなるけど

さみしくなんかないよ

そのうちきっと 大きな声で

笑える日が来るから

動き出した 僕の夢 高い山越えて

星になれたらいいな

虹になれたらいいな






訃報 小林繁さん急死=57歳 巨人、阪神の元投手

1月17日18時28分配信 毎日新聞

阪神時代の小林繁さん

プロ野球の巨人、阪神で投手として活躍し、江川卓投手とのトレードで知られる現日本ハム投手コーチ、小林繁(こばやし・しげる)さんが17日、心不全のため福井市内の病院で死去した。57歳だった。葬儀は20日正午、福井市松本4の8の7の千福寺りんどうホール。喪主は妻静子(しずこ)さん。

【写真特集】小林繁さんの軌跡

 関係者によると、小林さんは17日朝、同市内の自宅で「背中が痛い」と訴え、家族が背中をさすっているうちに容体が急変。救急車で同市内の病院に運ばれたが、午前11時に亡くなった。

 小林さんは鳥取・由良育英高(現鳥取中央育英高)から社会人の全大丸を経て、72年にドラフト6位で巨人に入団。右横手投げの独特なフォームで活躍し、76年から2年連続で18勝をマークし、巨人のリーグ連覇に貢献。77年には沢村賞を獲得した。79年2月、「空白の一日」の騒動で、阪神といったん契約した江川卓投手との電撃的な交換トレードにより、阪神に移籍。そのシーズンは22勝を挙げて最多勝のタイトルを獲得し、2度目の沢村賞を受けた。

 83年に現役引退するまで、374試合に登板し通算139勝95敗17セーブ、防御率3.18。近鉄の投手コーチなどを務めた後、昨年日本ハムの2軍投手コーチに就任し、今季から1軍投手コーチに昇格していた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100117-00000008-maip-base



公式より

2010/01/17

訃報

北海道日本ハムファイターズ投手コーチ、小林繁氏が本日1月17日(日)午前11 時、心不全のため福井市内の病院で逝去されました。享年57歳でした。

鳥取県出身。由良育英高校から全大丸をへて1972年に読売入団。1979年阪神に移籍し、1983年に引退する間に右横手の独特なフォームで139勝95敗17セーブをマークし、最多勝1回(1979)沢村賞2回(1977・79)など輝かしい成績を収められました。

近鉄投手コーチ(1997~2001)韓国SK2軍投手コーチ(2007)をへて2009年に北海道日本ハムファイターズファーム投手コーチに就任。昨シーズン、糸数選手をはじめ小林コーチの指導によりファームで力をつけて芽を出した投手がリーグ優勝に貢献したのはファンの皆さまのご記憶に新しいところではないでしょうか。今シーズンはその指導力が1軍で発揮されるものと期待を寄せていました。

球団一同、心よりご冥福をお祈り申し上げます。

梨田昌孝監督:
「小林投手コーチの訃報に接し、まだ若く、あまりにも突然のことで大変驚いておりますとともに痛惜の極みであります。昨日は日本ハム本社イベントでお会いをし、いつもと変わらぬ元気なお姿を拝見していただけに本当に信じられない思いです。昨シーズンはファームにおいて指導力を発揮され、何人もの投手がその才能を飛躍的に伸ばしました。今シーズンは日本一奪回のため1軍で小林さんの力をお借りしなければならないと思っていた矢先のことで本当に残念でありません。心よりご冥福をお祈り申し上げます。」

藤井純一球団社長:
「突然の訃報に球団一同、哀悼にたえません。我々のみならず野球界において残念至極なことでございます。2月の沖縄キャンプよりその熱意で投手陣をひと回りもふた回りも大きく成長させていただけると信じておりましただけに、痛恨のいたりであります。今は小林コーチの思いをチーム全員で引き継いでいかねばならないと感じております。心よりご冥福をお祈り申し上げます。」