仕事によって幸福度を分かつ点はなんだろう?
仕事をしたことがあまりない俺が考察なんて出来るわけ無いが将来を考えて考察してみたい。

不幸にする要因は
周りとのコミュニケーションが少ない
強者からの抑圧
やらされ

幸福にする要因は
周りとのコミュニケーションが多い
プレッシャーがない
自発的にできる

って感じかな?これじゃ考察不足

人間の本質は原始時代だから仕事の本質は原始共産制にあると思う。
原始時代は家族や自分を生かすために狩りをしたり木の実を拾いに行ったり。これらは能動的行為。
では現代の仕事だったらどうだろう?現代でも家族や自分を生かすために仕事をするという構図は全く変わっていないが、やはり古代と違うのは分業の出現だろう。分業が進みすぎ、近代になると金が出現し、資本家などというものも現れる。こうすると金という生きる手段を得るために、誰の為になってんだかよく分からん仕事をやっているわけだ。
俺はここの誰のためになってんだかよく分からないってところに労働の疎外感があると思う

幸福度調査で
仕事は下位2位くらいに位置してたけど、原始時代の狩りとか他の分業もそうだけど、まさにその時が燃えるような充実感を味わっていたと思うんだよね。ウォーキングデッドを見てそう思った。

つまり労働の本質は周りの親密なコミュニティのために直接役立つ行為
これはやらされとかプレッシャーとかそんなものとは全くの無縁であり、フロー状態だと思う。
だから性欲が消えた老後は隠居な田舎暮らしをしてみたいと今はなんとなく思ってる。

でもはっきりいって原始のような労働の本質を満たすような環境を資本主義で作るのは無理だと思う。だから労働の本質なんて当てはめることは無理だ。
仕事に貢献感を見いだすのはどうだろ。俺は他人のために何かをするのはどんな行為であっても虚しいと思ってる。これは労働の本質とは矛盾していなく、同調圧力に屈せず自分の感情に常に素直にいたらそもそも他人のために何かをしようなんて発想が出てこないと思う。人間は皆究極のエゴイストだと思ってる。だから自分の気持ちに正直じゃないやつはなんか違和感を感じる。労働の本質においてはコミュニティへ貢献もエゴイズムだと思ってる。
そう、そして俺が言いたいのはこれこそ本当の貢献だろうと。究極のエゴイズムの上で成り立つ貢献。
だから俺は貢献を見いだすのは意味ないと思う

だから今日の幸福度調査ではみんな仕事だいっきらいっていってるんだと思う。
仕事は金を得るツール。貢献感ややりがいを求めるものではない。
後は本質以外の欲求を加えるしかないな。
つまり、周りとのコミュニケーション、つながり。抑圧の少なさ、自分が強みを生かし、能力を発達させようという効力感
こんなところかな

結論
仕事は止められる余裕があるのであれば、基本的にやらない方がいいと思う、そこは個人の能力とか次第なので分からないが、
どんな仕事がいいかはホワイトでまわりと協力して自分の強みを発揮し能力を向上させられるような環境。
とりあえず俺の適当な考察でこんな結論に至った。こんな会社あるのかな