脳浸潤が宣告され、治療を終了とし家に帰るには
本人に伝えなきゃと先生、看護師さん、家族で
本人に伝えに行きました。伝えたときお母さんは
なんとも言えない表情で、私に残された治療法は
ないのね、と言われたとき本当に辛かったです。

ただ先生は一度だけしか出来ないけど、
髄中抗がん剤ができるよ、今日やったあの検査
みたいな注射針で直接髄液のある場所に抗がん剤を
入れるという治療はある、けどこれも
ほんの頭押さえ程度の効果しかないよ。
この抗がん剤の効果があれば、足が歩けなかった
のに歩けるようになった、頭痛が和らいだとかの
効果はあるかもだけどこれも個人差だから
約束できないよ、と言われていたが、

いや、残された道がそれのみなら
やってみてだめだったらだめでいい、
やらなきゃわからないからやります!
とやる事になったのですが、

娘としたら複雑でした、たしかに
残された道はそれのみかもしれないけど、
家に帰れるタイミングをその抗がん剤で
失ったらお母さんがかわいそうだし、
お母さんが後悔するのは嫌でした。

だけど、やる事には全力でサポートすると
約束したからやる事には私は反対しませんでした。

抗がん剤やった次の日、お母さん両目が
開かなくなっていたのが
ほんの少し開くようになったので、
お母さん大喜びして、

抗がん剤やった意味がでたよ!すごい!
とお母さんはしゃいでいたので、
凄く切なくなり、涙が出そうになりました。

だけどその喜びも束の間、家に帰る当日の早朝
ものすごい頭痛と腹痛で転げ回わり、
寝れなくて、ようやく痛み止めが効いた頃には
家に帰る時間でした、その時に、
ああ、本当にお母さんには時間がないんだな
と実感しざるおえませんでした。