私のおじいちゃん。
休みは休みで、一日あっというま。
今日は祖父の四回忌?の法要に行ってきました。
絵を描く事が大好きで、いつも優しくニコニコしていて、私の事を可愛がってくれた、大好きな「おじいちゃん」。
祖父母の中で唯一会いに来てくれていた一番身近な祖父。
怒ったところを一度も見ることもありませんでした。
それほど穏やかな人でした。
今でも思い出します。
膵臓癌で亡くなる直前、骨と皮だけになってしまった脚を、すっかり弱り果てたはずの体をバタつかせながら、
「一緒に散歩したい」
そう言って私の腕を掴みながら、私や家族、病院の人たちを困らせた記憶。
余命三ヶ月と宣告されてから一年近く延命して、癌特有の痛みも無かったらしく、主治医が不思議がるほどでした。その矢先に容態悪化。
私は
「今は我慢して、治ったら歩けるようになるから、もう少しの我慢だから。」
今にも歩こうと無理をする祖父に何度もそう言い聞かせて、なんとか大人しくなった記憶。
そしてそのまま、一緒に歩く事はありませんでした。
今思うと、無理にでも一緒に歩いてあげれば、願いを聴いてあげればよかったな。なんてちょっとだけ後悔したりしてます。
祖父の体が動かなくなる前は、一緒にリハビリを兼ねた散歩を母と三人でよくしていたから。
祖父の遺した桜の木の絵は、私の自慢の片見です(^-^)いつか、ある人に祖父の生涯の想いを受け継ぐ形で、贈るつもりでいます。
私の家庭状況が、祖父の代(その前?)から普通と違うので、色々と想うところがあったりして。
もう肉眼で姿形を捉えられないし、声を聴くことも、もちろん亡くなってしまったから聴けないけど、生命は永遠。
私の心に、今ここにいるんだな。
そう感じてます。
だからちょっとさみしいけど、
祖父が私にくれた沢山の愛情は、いつも私の胸でキラキラしています。
おじいちゃん。いつもありがとう。
私はまだまだこれからもっと色んな事を経験して、沢山の人と沢山のHAPPYを創っていきます。(^-^)v
今日は祖父の四回忌?の法要に行ってきました。
絵を描く事が大好きで、いつも優しくニコニコしていて、私の事を可愛がってくれた、大好きな「おじいちゃん」。
祖父母の中で唯一会いに来てくれていた一番身近な祖父。
怒ったところを一度も見ることもありませんでした。
それほど穏やかな人でした。
今でも思い出します。
膵臓癌で亡くなる直前、骨と皮だけになってしまった脚を、すっかり弱り果てたはずの体をバタつかせながら、
「一緒に散歩したい」
そう言って私の腕を掴みながら、私や家族、病院の人たちを困らせた記憶。
余命三ヶ月と宣告されてから一年近く延命して、癌特有の痛みも無かったらしく、主治医が不思議がるほどでした。その矢先に容態悪化。
私は
「今は我慢して、治ったら歩けるようになるから、もう少しの我慢だから。」
今にも歩こうと無理をする祖父に何度もそう言い聞かせて、なんとか大人しくなった記憶。
そしてそのまま、一緒に歩く事はありませんでした。
今思うと、無理にでも一緒に歩いてあげれば、願いを聴いてあげればよかったな。なんてちょっとだけ後悔したりしてます。
祖父の体が動かなくなる前は、一緒にリハビリを兼ねた散歩を母と三人でよくしていたから。
祖父の遺した桜の木の絵は、私の自慢の片見です(^-^)いつか、ある人に祖父の生涯の想いを受け継ぐ形で、贈るつもりでいます。
私の家庭状況が、祖父の代(その前?)から普通と違うので、色々と想うところがあったりして。
もう肉眼で姿形を捉えられないし、声を聴くことも、もちろん亡くなってしまったから聴けないけど、生命は永遠。
私の心に、今ここにいるんだな。
そう感じてます。
だからちょっとさみしいけど、
祖父が私にくれた沢山の愛情は、いつも私の胸でキラキラしています。
おじいちゃん。いつもありがとう。
私はまだまだこれからもっと色んな事を経験して、沢山の人と沢山のHAPPYを創っていきます。(^-^)v

言い聴かせてみる私に
自分の不遇さを嘆いている暇など無いのだ。
孤独に気付いてすら貰えない事に、絶望している暇など無いのだ。
長い間眠らせていた悲しいモンスターも、いつか眼を醒ましてしまう。
その時に
どこか遠くへ消えてしまいたいとか、
無責任な生き方をしてしまったらいけないのだ。
私が死んでしまったら、
あなたが消えてしまったら、
誰が私の、貴方の想いを受け継いでくれるんだろう。
私には逃げるという選択肢を与えてもらえないのだ。
時々心臓が潰れてしまいそうな程の絶望に襲われる事がある
涙も出尽くしたころ
案外気丈に未来を生きている
私達を描いている
変わらない事や変わらないものなんて
何ひとつ、この世界にはないんだ。
何ひとつ、ないんだ。
もっと強くなれ。賢くなれ。
優しくなれ。
孤独に気付いてすら貰えない事に、絶望している暇など無いのだ。
長い間眠らせていた悲しいモンスターも、いつか眼を醒ましてしまう。
その時に
どこか遠くへ消えてしまいたいとか、
無責任な生き方をしてしまったらいけないのだ。
私が死んでしまったら、
あなたが消えてしまったら、
誰が私の、貴方の想いを受け継いでくれるんだろう。
私には逃げるという選択肢を与えてもらえないのだ。
時々心臓が潰れてしまいそうな程の絶望に襲われる事がある
涙も出尽くしたころ
案外気丈に未来を生きている
私達を描いている
変わらない事や変わらないものなんて
何ひとつ、この世界にはないんだ。
何ひとつ、ないんだ。
もっと強くなれ。賢くなれ。
優しくなれ。
毎日が新しい私の誕生日。
って心から言えるような、そんな女性になりたいと思うのです。
私、また一つ誕生日を迎えました。
子供の時よりも、大人になった今、私の生まれた日を祝ってくれる人が増えた事に気づきました。
私は、私の存在に少し感謝をしています。「私」という時間をくれてありがとう。
小さいころはへんてこな「私」が大嫌いでした。
マイペースなところが大嫌いでした。
なんでもすぐ忘れるところが大嫌いでした。
なるべきところで素直になれなくて、損をするところが大嫌いでした。
臆病故に嘘を吐いて後悔をするところが大嫌いでした。
タイミングの悪いところが大嫌いでした。
集団というものが嫌いでした。
要領の良い子が嫌いでした。
そうやって嫉妬するところが大嫌いでした。
「私」という存在が大嫌いでした。
詰まるところ、「私」という存在を愛してあげれない私が嫌いだったのかも。
それから十余年経った今、
私は、私を取り巻くいろんなものが好きです。
そして好きなものが嫌いだったり、嫌いなものを好きに変えたり変わったり。
十余年過ぎた今も、天の邪鬼なところはあまり変わっていないようです…
十余年過ぎた今も、基本的に変わっていないような気がしてきました。←
でも、幸せな人生を送ってほしい人は沢山増えました。
私と出会ってくれた人の数だけ増えました。
昨日は友人が私の誕生日を祝ってくれました。大事な大事な存在です。心の内を言うことができる数少ない存在です。
二人で鎌倉に蓮を見に行きました。
私はこの花が大好きです。
鎌倉レポート、また別に載せたいと思うのでここらへんで我慢しよ。
全てに感謝の気持ちで新しい私を迎えることが出来て、今、静かに幸福に満たされています。
ありがとう。



