ちくま親書に山内 昶さんの『経済人類学への招待』(1994)という著作がある。この中にこんな一説がある。
「人間の欲望は無限である。だから、この無限の欲望を満たすために、限りなくモノを生産し続けなければならない、というのが経済学の常識だった。だが、チリのニュー・エコノミストのマックス=ニーフは、この概念は間違っていると主張している。ニーフによれば、人間の基本的なニーズは、さしあたって、生存、保護、愛情、理解、参加、閑暇、創造、アイデンティティ、そして、自由という9つのニーズしかない。しかも、この9つの基本的なニーズは、文明社会であろうが、未開社会であろうが相違がない。例えば、衣食住や所得も、そのものが目的ではなく、生存というニーズを満たすためのものだし、教育も自分や他人、世界を理解するためのニーズということになる。最高級のブランドを身につけた女性も、腰みのだけしか身に付けていないがボディ・ペインティングをしている「裸族」の女性も、同じことをしているにすぎない。美しくなり、愛され、自分のアイデンティティを実感することが、その目的だからだ」
これは、驚くべき主張である。グローバルな地球環境破壊の根本的原因には、開発や進歩を善とする近代西洋思想がある。経済学者は、人間は欲望に満ちた存在であり、その物質的な欲望には際限がないと主張する。だが、マックス=ニーフの人間の欲望についての認識はまったく違う。その主張をかいつまんで言えば、以下のようになる。
もとより人間のニーズは、数少ないものだし、限度もあるし、分類もできる。しかも、それだけでなく、マックス=ニーズはありとあらゆる文化を通じて共通しているし、歴史的に見ても変わらない。文化や時代で変わるのは、こうしたニーズを満たす手段だけなのだ。また、人間のニーズは、システムとして理解することが大切だ。それらは相関している。確かに、生計維持(サブシステンス)や生存のためニーズは基本だ。だが、生存ニーズを別にすれば、マズローなどの西洋の心理学者が想定しているようには階層があるわけではない。むしろ、各ニーズは、同時・補完的であり、トレード・オフ的なのだ。
マックス=ニーフは、さらに重要なことを指摘している。真のニーズとそれを満たすための手段、サティスフィ(satisfiers)とは厳格に区別すべきだという指摘だ。例えば、軍拡競争を見てみよう。これは、自国を守るという意味で保護というニーズを表面的には満たしてはいる。だが、それは、生計維持、参画、愛情、自由といったニーズを破壊している。民主主義は、参画ニーズを満たすとされているが、実際には形式化し、現実と遊離し、人々のやる気をそいでいる。娯楽ニーズを満たすために使われるテレビ番組も、理解、創造性、アイデンティティを妨げている。つまり、ニーズを満たすための手段にすぎなかったサティスフィが、それ以外のニーズを満たす可能性を損ねたり、破壊してしまうことがあるのだ。だからといって、サティスフィがすべて悪いわけではない。シナジー効果である特定のニーズを満たすサティスフィが、それ以外のニーズも満たすこともある。マックス=ニーフが事例としてあげるのが、母乳での育児、自律的な生産活動、公共教育、民主的コミュニティ、予防医療、瞑想、教育的なゲームなどだ。
マックス=ニーフによれば、住宅も食べ物も、それ自身はニーズではない。食べることは生命維持というニーズを満たすが、愛が込められた料理を食べることは「親愛」というニーズも満たし、料理をすれば「創造」というニーズを満たす。こうした分析を地域住民が自ら行なるようになれば、自分たちが求めるものは、実はそれほど物質的ではなのだということに気づいていくだろう。それを深く理解することが、環境を破壊しない真の意味での発展につながるというのである。
このようなユニークな経済学を産み出したマックス=ニーフとは、いったいどのような人物なのだろうか。
マンフレッド・マックス=ニーフ(Manfred Max-Neef)は、チリのバルパライソ(Valparaiso)に1932年に生まれた。1960年代の初めはカリフォルニア大学バークレー校で経済学で教鞭を取り、その後もラテンアメリカ各地や米国の様々な大学で客員教授として研究を行ってきた。だが、マックス=ニーフはその長い研究人生の中で、ラテンアメリカの貧しいコミュニティを実地調査してきた。経済理論と現実の乖離をまのあたりにする中、マックス=ニーフは、1981年に『外から見た裸足の経済学』(From the Outside Looking In: Experiences in Barefoot Economics)を上梓する。この「外」というのは、オーソドックスな経済学を皮肉ったものだ。
「エコノミストとして、私は13年間ラテンアメリカの最も貧しい地域で暮らし、働いてきました。メキシコ、グアテマラ、エクアドル、ペルー、ウルグアイ、そしてブラジルです。ですが、本当に貧しいのは、インディアンのコミュニティや都市です。
そこが、私が経済学を完全に変えなければならなかったところです。なぜなら、ひとたび地図に足を踏み入れ、貧しき人々の顔を見れば、その人に言うためにあなたが教えられてきたもののほとんどが、その人に向かって口にするには、役立たない決まり文句であることに突然気がつくからです。貧しき人に、「GDPが5%成長すれば、あなたは幸せになるはずです!」そんなことを、あなたはその人に口にできるでしょうか?。それにどんな意味があるのでしょう?。そこが、今では「裸足の経済学」の概念として少しは有名となったアイデアが起こった場所なのです」。
そして、同年、ローカル・コミュニティの自給自立や基本的ヒューマン・ニーズを満たす開発を進めるため、チリのサンティアゴに、オルターナティブ開発のためのセンター(CEPAUR)を設立する。開発途上国の極貧解消に努めた功績から1983年にはスウェーデンの「オルターナティブ・ノーベル賞」を受賞し、1987年にはスペイン語だが、ヒューマン・スケールの開発を出版。CEPAURの同僚たちと、人間のニーズの再評価に基づいた新たな開発パラダイム理論を提唱したのである。
マックス=ニーフの指摘は、とても本質的で重要だ。ブータンのジグメ・シンゲ・ワンチュク国王が1972年に提唱したグロス・ナショナル・ハピネス (GNH= Gross National Happiness)とも相通じる概念だが、GNHがイメージとしてはわかるにしても、何がハピネスなのかが曖昧模糊としているのに比べ、マックス=ニーフは、こうした9つのニーズが満たされている状態によって、各コミュニティが自分たちで「豊かさ」と「貧困」とを特定し、真に豊かな開発の方向性を掌握できる分類手法を開発したのである。その後も、ポール・エキンズ(Paul Ekins)との共著で、『本当の暮らしの経済学:豊かさを理解する』(Real-Life Economics: Understanding Wealth Creation)(1992)を執筆、理論を自ら実践するため、1993年には5.55%しか評を獲得できなかったものの、無党派でチリ大統領選にも立候補している。
「いま、別々の二つの言葉があります。経済学の言葉とエコロジーの言葉です。それらは、合致しません。経済学の言葉は政治的にもアピールしているので魅力的です。それは、体制側を喜ばせます。政策決定者はモデルを適用し、それが機能しない場合は、トリックを演じているのは現実だと結論を下す傾向があります。新しいパラダイムのための理論を構築し、古いパラダイムを支える理論が抱える多くの欠点や限界を克服しなければなりません。とりわけ、福祉の機械論的な解釈や不適当な指標をです... 人々が自信をつけ、その礎をしっかりさせる小さなコミュニティを再生するために」
日本や米国のエセ・ネオリベラリズム経済学者よりも、よほどまともなことを言っている。だが、日本のサイトを検索してみても、マックス=ニーフという経済学者については2~3件しかヒットしない。これほど左様に日本の情報は世界から遮断されているのである。
【引用文献】
[1] Kath Fisher Human Needs and Human-scale Development
[2] オルターナティブ・ノーベル賞のHP