はじめまして。
フィデルです。
なんでニックネームがフィデルなのかは、また書きますね。
さて、ブログを開設した理由をお話します。
(だれからも必要とされず、だれからも愛されていないという心の貧しさ。
物質的な貧しさに比べ、心の貧しさは深刻です。
心の貧しさこそ、一切れのパンの飢えよりも、もっともっと貧しいことだと思います。)
(いまの世の中、人間が人間を見捨てているのよね。
親が子を、子が親を、兄が弟を、友が友を、隣人が隣人を。)
(愛は家庭に住まうものなんですよ。
子どもを愛し、家庭を愛していれば、何も持っていなくてもしあわせになれるのですよ。)
(今日の最大の病気は、らいでも結核でもなく、自分はいてもいなくてもいい、だれもかまってくれない、みんなから見捨てられていると感ずることである。)
(最大の悪は、愛の足りないこと、神からくるような愛の足りないこと、すぐ近くに住んでいる近所の人が、搾取や、権力の腐敗や、貧しさや、病気におびやかされていても無関心でいること。)
(どれほど貧しい人に借りがあったか、天国へ行ってはじめてわかる。
彼らのことでもっと神を愛することを教えられたということのために。)
(私がお願いすること。
飽くことなく与え続けてください。
しかし残り物を与えないでください。
痛みを感じるまでに、自分が傷つくほどに与えつくしてください。)
(与えることを学ばなければなりません。
でも、与えることを義務と考えるのではなく、与えたいという願いとすることが大切です。)
(「余った物、残り物はいりません。
私たちが仕えている貧しい人たちは、あなた方からの憐れみも、見下すような態度も必要としていないのです。
彼らが必要としているのは、あなた方の愛と親切なのです。」)
(イエス(イエスキリストのこと)は私たちに会いにいらっしゃいます。
イエスを歓迎するために、私たちの方から進んでお出迎えに行きましょう。
イエスは私たちのもとに飢えた人の姿、裸の姿、寂しい人の姿、アルコール依存者、麻薬中毒者、売春婦、路上の物乞いの姿でおいでになります。
誰からも構われない寂しい父親、母親、男の人、女の人の姿でいらっしゃることがあるかも知れません。
もしも私たちが、その人たちを見殺しにするなら、手を差しのべないなら、それはイエスその方を見殺しにしたことになるのです。)
(愛はどこから始まるのでしょうか?
私たちの家庭からです。
いつ始まるのでしょうか?
ともに祈る時に始まります。
ともに祈っている家族は崩壊することがありません。)
(私は、親切にしすぎて間違いを犯すことの方が、親切と無関係に奇跡を行うことより、好きです。)
マザーテレサの言葉です。
私は、キリスト教信者ではありません。
しかし、マザーテレサの言った言葉は痛烈に心に響きます。
