Fickle Finback

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暇な時にでも書きます

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最近は何かあればすぐにスマホを使いインターネットで調べる。

 

友人の電話番号なんて覚えていなくても全てスマホの中にある。

 

道を覚えなくてもナビがあればいつでも望みの場所へ行くことができる。

 

時刻表なんて覚えてなくても、漢字なんか覚えてなくても、風景も、思い出も

全部が手の中にある。

 

記憶の外部装置化、スマホという第二の脳。

 

ただこれは今に始まったことではない。また、悪いことでも無い。

 

インターネットの前には長らく本が、その前は石板が、個人に収まりきらない記憶と知識を保存してきた。

 

それがIT技術の発達で加速されたに過ぎない。

より、良く生きる。より、快適に生きる。

これを批判するのは文明に対する否定に変わりない。

 

では人間の脳とは、人間とは、人間力とは何か。

 

全ての外部装置から断絶された時に、何ができるか。

それに尽きる。

 

人間力は学力か。

そうだろう。

本に頼らず、インターネットに頼らず、個人に間違いの無い知識があること。

 

人間力はコミュニケーション能力か。

そうだろう。

通信技術に頼らず、生身の他者から情報を得られること。

 

人間力は体力か。

そうだろう。

科学技術に頼らず自身の体一つで、道を歩き続けられること。

 

人間力は人間として、生き物としての力である。

 

人間力はどうだ?という問いかけは一切の外的なモノから隔絶された時の生身の剥き出しの力を問うものだ。

 

外部装置の能力を自身の能力とゆめゆめ誤解しないようにしなければ

私たちはいつの間にか人間としての主体を外部装置に明け渡していることにすら気が付かない。