最近、よく友達から育児と教育について聞かれます。

受験とかするの?

教室とかいくの?


→私はあまり深く考えていません。

  娘の性格にあった学校にいってほしいし。

  勉強だって無理に始めようとは思っていません。

  夫も英語はしゃべれたほうが楽しいといいますが、

  CDとか教室にいくよりも、自分に話しかけてもらったほうが伸びるということで、

  夫が英語の絵本とか読んで聞かせています(ついでに私も聞いてます/笑)

  個人的には、水泳は習わせてあげたいな。

  それもバリバリじゃなくて、50でも100でも泳げる程度でいいです。

  水の事故が防げるようになればと・・・。



で、私のなかでの育児で大切にしたいなって思うことを

今日はつらつらと書いてみようかなって、思いました。



**



昨日は娘が生まれて初めての終戦記念日。


娘の将来は戦争がない時代だといいなと思います。

安保のデモがたくさん行われていますが、

私としてはその安保の態勢を変えなければならない現代の日本なのかなって思いました。


それと、いつまでも米軍に守られててはいけないかなって思います。



米軍に前線にいってもらって、日本は後方支援?


「命は平等なのになんでアメリカの人は前線で戦って命の危険と隣り合わせなのに、

 なんで日本は後ろにいて守ってもらってるの?

 同じ平等の命なのに、危険にいるのはいつもアメリカの人」


そんな疑問も持つようになりました。

戦争中はいろんなことがあったと思います。



娘の将来に戦争はあってほしくない。

でも娘に命は平等だとよ伝えるのに、もし自分と同じ気持ちを言われたら、

私はなんて答えるのかなって思いました。



私が小学校のときになくなった沖縄の祖母は、沖縄戦経験者です。

私の父と父の兄弟は沖縄がアメリカ領土だったときに生まれました。


だからか、小さいころから戦争と戦争後の話を聞かされていました。


祖母は自分の故郷や家族、親せき、友人がなくなっていくのを肌で感じて、

父たちは日本人なのに日本人として扱われない辛さを味わいました。


祖母は内地が中心なのはわかるでも、終戦記念日が近くなりテレビの特番をみるときは、

広島や長崎の原爆、東京大空襲、硫黄島・・・沖縄はめったに取り上げられないことを

この季節になると嘆いていたのを覚えています。


そして祖母はアメリカ兵だけでなく日本兵も恐ろしかったことを教えてくれました。


日本兵のために防空壕を明け渡さなければならなかったり、

アメリカ兵に見つかる恐れから、子どもを殺されることになったり、


沖縄のひとからすれば日本兵が味方であるという意識も、

あまりなかったのだという現実を、幼いながら泣いたこともあります。


同じ日本人なのに、守ってくれると信じていたひとに裏切られる・・・。


祖母は自分の先祖が眠る、お墓に入っていたそうです。

ただ息をひそめて、アメリカ兵にも日本兵にも見つからないようにと。



父の代に代わっても、

アメリカ領土として扱われている無念さがあったようです。


よくネタにされるけれど、内地にへいくためのパスポート。


これはアメリカ領土であるから当たり前のことだけれど。

そうとうつらかったと思うんです。

父の一番上のお兄さんはいつも話してくれました。




そんな中、私も結婚して、苗字が変わる前に何度か嫌な思いもしました。

私の旧姓は明らかに沖縄の土地の名前でした。

誰が見ても沖縄だということがわかるような。


看護師として実習にいったり、病院で働くようになって

ある年齢層から、



「沖縄なの?日本人じゃないわね」

「本土のほうが大変だったのよ」



その言葉に何度胸を痛めたことか。

戦争を経験していない世代だったからか言いやすかったのか、

それともまだその人のなかで戦争が終わってなかったのか、


日本で唯一戦場になって、

戦後も苦労してきた沖縄の人をすべて否定されているように冷たく感じました。


だから、私もこういいかします。



「父が沖縄の人で、私には半分沖縄の血が流れていますが、

 日本人じゃないなんて思ったことはない。れっきとした日本人です


「大変だったかもしれない。

 でも自分の故郷が戦場になる辛さや銃弾が飛び交う日常。

 終戦後も日本人としてふるまえなかった辛さもあることを知ってもらいたい」



私はそう伝えて、学生のときは担当を変えてもらったこともあります。

相手が拒否したのではなく、私が受け持つことで戦争を思い出されて

つらいようでしたので。

先生や学生指導の看護師の方も理解してもらいました。



人生で初めて、「沖縄」の血が流れていることを誇りに思った瞬間でもありました。

いまだにこうした考えの方もいるんだなって。




夫と娘の進路について、話し合うことも多くなった。

私が職場復帰するには保育園じゃないとダメかな?とか。

でも幼稚園でできるだけふれあっていたいかなとか、

都内で国立の受験圏内だから、受験してもいいかなとか、

私立の幼稚園?小学校?そしたら今から勉強?とか、


確かに学力につながる勉強も大事だと思います。





でも、その前に

私は戦争がもたらす恐ろしいことと、

安保で日本が武力を持てても持たなくても、

その力を正しく使うことを知ってもらいたいです。


自分にはどんな力があって、

その力をどう正しく使っていけるか、


それは勉強だって同じことだと思うからです。

結局起きたり寝たりで朝を迎えた、入院3日目!

朝バイタル測られて、採血されてー。


朝もごはんなしー


11時ぐらいに日勤さんがきて、入っていた尿バルーンをとってくれて、

頭をすこしあげてくれました。


で、衣服を着替える際一度たつとそんなにふらつきもなく、そのまま廊下歩行へ。

昼ごはんはうどんでしたー。

お腹はすいていたのですが、うどんだけたべておかずは残しました。


午後はお腹の傷をみてもらって、あとは廊下をゆっくり歩きながらリハビリ。

やっぱり肩がいたくなったり、おなかの傷というか下腹部?

どうやら、子宮を固定して、それを外すときに出血があったようでガーゼをいれてる

とのこと。


またシャワーもこの日からOK!


廊下は1往復、2往復、3往復とやるごとに1往復ずつ増やして6まで行けました!



この日の夜も寝返りするたびにずきずきしてすごしました・・・。

本日は朝一でのOP。


6時ぐらいに夜勤さんが回ってきて、術前に定期薬内服(ビタミン剤笑)

そしてもうこれ以降は水分も不可。歯磨きだけやってました。


夫は私の実家に前日から泊まっているので、両親と一緒に8時半前に到着。

OP着に着替えてT字体装着、帽子もかぶり娘を抱き上げている姿を

夫が記念撮影と写メをとったところ、看護師さんがお出迎え(笑)


最高に恥ずかしい・・・・。


で看護師さん(新人さんと先輩さん)と3人でOP室へ。

そこで先日きた麻酔科の先生と再度ご対面。

病棟とOP室ナースの申し送りが終わって、てこてことあるいてOP台へ。


寝そべって横を見ると自分MRI画像がでーんと。

脂肪がみえてあら恥ずかしいとか言ってられないほどの卵巣嚢腫。

そこへ主治医のしたにいる女医さん登場(笑)


「はかってみたら9cmあったよー」

「まじですかー?!」


そんなこんなで麻酔科の先生にラインとってもらう。

けどこちらも入局?研修?1年目なのかオーベンに指導してもらってる。

で、ラインとれず。上のオーベンもねらう、とれず。


「手背でごめんね」

「いえ、いつものことですから」


慣れているので結構(笑)

採血は絶対的なエース(血管)がいるんだけど、ちょうど肘中だからね。

ラインがとれたらあとは白い液体が流されて~(噂のプロポ)


「体がだんだん重くなりますよー」

「いつまで耐えられるか挑戦します」

「えー」


そんな話題をしながらマスクを当てられ酸素が流れてくる。

最後までがんばるんだ、あらがえー!


って思いましたけど、無理ですね、はい。


ものの1分もたたずに熟睡。自然と寝てしまい。





気が付けば、手術終了(笑)

起こされたときは気管挿管されていて、反応があったので外されました。

で、そこで記憶がまたきえて、いつの間にか部屋に戻ってました。


うっすらうっすら夫と娘、両親の声が・・・・。


夫が娘を私の顔のもとにもってくるんですが、なんともいえない。


「へー」


みたいな娘の顔・・・うつろながら娘の顔はわかるんだということがわかった。

ぽへーって顔しているのでこのやろ!かわいいな!と思っても体が動かず。


夫が頭をなでてお疲れ様といってくれたきがする・・・でも声もでず。

うつらうつらしてまためが覚めた時は、夫と娘だけの声しかきこえず。


しかもその時娘が大量の便をしたみたいで、夫テンパってる(笑)

服まで!あー!と叫んでるのは聞こえた。

その時看護師さんがはいってきてさらに焦る夫。

で、看護師さんと医師がきて血栓予防の注射をうたれる。

「いたいね、ごめんね」と何度も言われていて、確かにうつろでも痛かった。


翌日みたらあおなじみになっている・・・そりゃいたいわ。


で、便を片付けた夫、ちょうど帰ってきた母親。

娘はおむつ1枚にガーゼタイプのおくるみで包まれているだけ。

娘は嬉しそうに聖者の姿で帰宅したそうです。


私はそのご寝返りもまだできず腰がいたくて・・・(朝一からずっと寝てるしね)

ようやく寝返りができたとしても、お腹がぐるぐるるるr-と臓器が動く音と痛み。


悶絶に耐えながら寝返りをしてねておきてはを繰り返し。

ようやく水を口にしたのは夜の22時ぐらい、消灯してから。


寝るに寝れない、寝返りしても痛い(傷も痛いし、お腹の中が気持ち悪い)

そして腰痛でいたい。


これ大変だなーと思いながら、腕で柵につかまりながらゆっくり変える。




腹腔鏡下手術では視野を広げるためガスをいれるというけれど、

お腹の中、ガスがあったからか・・・・。

中身がでちゃって生理食塩水で洗ったからか・・・。


っていうか中身はどんなんだったのか、よくわからず一晩中うなりながらごろごろしてました。

私のこと以外も♡

連続投稿で失礼します><


連日ですが母が娘をつれて遊びに来てくれています。


今日は両親+娘で面会~♡

私と母が遊んでいるところ、父が娘にいないないばーしていたところ、



娘が大爆笑?!


えへへ、へへえへへへ!


と父が顔を出すと大笑い、いなくなると探している。

そんな感じでずっと遊んでいました。

今までは微笑んで微笑みを返す、よく笑う子でしたが、

まだ4か月と6日・・・・いつの間にそんな遊びを覚えたのか。

家ではおばあちゃんにいないないばぁの絵本を読んでもらうのが

日課になりつつあり、よんでよんでとせがむそうです。


絵本に興味を持ち始めたのかな?と思いきや、

カレンダーとかの数字やポスターの文字に興味をもって、

身を乗り出して見つめたり、指をさすみたいで・・・



母がお腹に穴をあけている間に、娘は日に日に成長するんだと

本当に思いました。


早く退院して、早く娘と思いっきり遊びたいなぁ・・・。

10時~11時の間にきてくださいと言われていたので、

10時ちょいすぎに病院に到着。


(病棟看護師でいたころ、11時ぎりぎりにくるよりも10時前後でくると踏んで待っているので

それぐらいにきてもらいたいと自分。だから私もそれぐらいに乗り込む・笑)


入院受付し、いざ数か月ぶりの産婦人科病棟へ(笑)


出産時にはいなかった新人さんかな?先輩フォローで担当してくれるみたいでした。

入院説明、手術の流れなどしてもらい、緊張している様子。

春に出産しているし、看護師だったのでくだけていいですよーと言ってしまう(笑)

採血も頑張って探していたので、ここでよくとってますよと伝えてあげました。

とてもういういしくていいなぁ♡(笑)


どうやら、

本日内診、寝る前にはマイスリーと下剤が処方されるようです。

ふむふむ、よく眠れるようになのかな。パスに組み込まれているのですね。


もちろん、この日はなんの痛みもない。



絶食は21時

絶飲は翌の6時



お腹いっぱいだけれど、明日一日はほぼ食べれないから、

たくさん食べようと思って夕食は完食して気持ち悪くなりました(笑)


そして花咲舞が黙ってないを悠長にみて就寝




昼間に抜け出して病院内の売店にいったら主治医で友達の父親でもあるおじさん

とばったりあってしまったなんて・・・・そんなハプニング・・・・初日から出すという私。