FIBERJELLY(杉山圭一)のブログ

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FIBERJELLY(杉山圭一)の個人活動をいろいろと書き記してゆきます。

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鎌田ジョージさんは、初めて僕に邦楽ロックのアレンジ手法と、ロック系アーティストによる演奏現場のバンマスとしての仕事手法と立ち振る舞い、を見せてくれた音楽仕事面での心の師匠でした。

初めてお会いしたのは2005年の春、中村あゆみさんのアルバム制作の終わりころでGW前くらいの時期。僕は会社(セガ)の都合で家庭用ゲームのサウンド制作チームから一時離脱することになり、音楽レーベルのA&Rとして再スタートしはじめたばかりで、先輩ディレクターと一緒にジョージさんの自宅に打ち合わせに訪問しました。
ソファーなどのファブリックからトイレまでゼブラ柄で統一されたジョージさんの自宅兼スタジオのマンションで、2台のYAMAHA QX3と、たくさんのS1100だったかS6000だったか…とにかくAKAIのサンプラーを窓際に何台も積み上げ、レコーダーはROLANDのVS-2480。ギタリストなのに作曲、アレンジ、演奏、コーラス歌唱から録音、ミックスまでその自宅で全部行う、当時の僕からするとスーパーミュージシャンでした。

その年の秋頃に機会をいただいて中村あゆみさんのライブサポートをさせていただけることになり、バンマスのジョージさんの他、ドラムのグリコさん(TENSAW)、ベースの曽我さん(VooDoo Hawaians)と一緒にスタジオに入りました。それまではシンセサイザーズなどのインディーズのバンド経験しかなかった、僕の人生初のライブサポート現場。実は初めて見る、非常に読みやすい譜面の書き方。初めて見る舞台監督・ローディーというスタッフの存在、FOHとモニターの2人いるPAさん。それまでは作編曲と効果音制作、映像に対するサウンド制作、ゲームへの組み込みなどがメインだったので、とにかく今まで持っていなかった知識をできる限り身につけて、現場のいろんな人から盗める技術を目と耳と体で盗み、という日々。顔ではできる限り平常心を装っていても、内心は心臓バクバクでした(これはその後のどの現場でもいつもそうです)。

ジョージさんの譜面は手書きでとでも読みやすいものでした(添付画像)。必要情報がしっかり書かれていて、そして見ていても目が泳がない。キメの位置も正確でわかりやすい表記で、初合わせの時でもバンド演奏がしっかりまとまりやすい。簡単なトップノートやフレーズも書いてあって、今どこにいるかもわかりやすい。とてもシンプルで今見ても合理的な譜面で、ジョージさんの真面目さ、几帳面さ、コミュニケーションツールとしての譜面の在り方、がよく現れていると思います。

マニピュレートのデータにはジョージさんのバックコーラスも入っていたんですが、あれ…この声聞き覚えあるぞ…思い出したのは、中学生の時に友達とかとよく聞いていた、中村あゆみさんのシングル曲「Brother」のイントロの分厚いコーラスでした。わー!あのかっこいいアカペラコーラス、ジョージさん本人だったのか!と、ものすごい鳥肌が立ちました。
https://www.youtube.com/watch?v=fR1fgC9FF98

A&Rの3年間、ズブの素人スタートながらもいろいろと経験をさせてもらい、中村あゆみさんの全国ツアーやテレビ収録などでも演奏させていただいて、3年後に会社を辞めフリーランスのミュージシャンになり、中村あゆみさんがレーベルを移籍なさられてからも引き続き僕もアレンジで参加させていただく機会があり、ジョージさんからもアドバイスを受けつつギターを弾いていただきました。
僕のコーラスを人生で初めて褒めてくれたのもジョージさんでした。それまで自分の声についてはメインボーカル向きの声ではなかったので全く意識したことがなかったのですが、あゆみさんのアレンジ制作中にデモで入れていた僕のコーラスを、これイイじゃんと軽く褒めていただいて、結果そのまま使われることに。その後他の邦楽アーティストの現場でもコーラスは自分の声が使われることも多くなってきて、一つ自分の自信にプラスになりました。

その後僕はバタバタと忙しくなってしまい、なかなかお会いできていなかったのですが、スタジオカリーブを設立してからもたまに電話をくださって「オーディオインタフェースって何買ったらいい?」とか「最近パソコンを使い始めたからさ、BFDの使い方教えてよ。」とか、相談をいただいて、いつも何かと気にかけていただいていた気がします。

ジョージさん、本当に今までありがとうございました。
僕はいつもジョージさんの横で勝手に勉強をしていました
そのことをいつか伝えようと思っていたのに、いつの間にか伝えられなくなってしまいました。
ジョージさんが当時僕に、他の方と同じく平等に接してくれたように、僕自身も後輩にいろいろ目をかけつつ先輩と同様に平等に接してあげなくては、と思います。
いつか僕が死んだ時に、改めてお礼をさせてください。