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翌日。いくら従兄弟という立場に生まれ着いて幼い頃に可愛がったとはいえ、記憶がある以上沖田総司の性格が早々変わるわけではないのだと、歳仁は思い知らされる事になった。
「土方さん、見合いするんだってっ!?」
講義を受ける為に講堂に向かう途中に出くわした永倉義衛が開口一番に口にした事は、未だ従弟達しか知らない筈の事だった。
「…………。」
無言で廊下の壁に懐いた歳仁を、義衛の隣にいた原田左近が気遣わしげに見遣る。
「義衛……少しは気を使ってやれよ。」
「あ? 何が?」
「ニュースソースは聡志か……?」
「おっ、よく判ったじゃねぇか。」
「創は口が堅い。聡志はこういうネタは面白がる傾向があるからな。」
頭痛を堪えるように蟀谷を抑えながら口を開く歳仁に、左近は苦笑する。
「あいつも昔とちっとも変わんねぇなぁ。」
「……実に失礼な事で。」
「「「!?」」」
左近の後ろから届いた声に驚いて視線を向けると、そこには今年の春に大学部に入学してきた山崎 享が立っていた。
「山崎君か。」
「……おはようございます、土方さん。原田さん、永倉さん。」
山崎は記憶が戻ってから、且つての役職を口にしないようにワンテンポ置いて話し始める癖が始まった。
「おす。」
「よぉ。」
「おはよう。」
慇懃に頭を下げる山崎に、歳仁は苦笑する。
記憶が戻る前から丁寧で慇懃だった山崎は、記憶が戻ってみれば更に歳仁相手には慇懃になった。
「土方さん。見合いというのは?」
「ああ。親父が持ち出した話だ。」
歳仁は、鵜の目鷹の目で話の内容に興味津々な態度も露わな周囲の学生に鋭い視線を走らせて散らしてから、疲れたように口を開いた。
「俺は二限が休講なんだが……。」
「俺達は必須科目じゃねぇな。」
「俺も休講です。」
聞くのが当然という三人の様子に歳仁は苦笑する。
「聞き耳立てられたんじゃ堪んねぇから、部室に集合な。」
「応。」
「了解。」
「承知しました。」
それだけ交わして四人はその場を後にした。
部室というのは、小学部から大学部まで、所属自由の部活動で歳仁が代表として確保している剣術部の部屋の事だ。
歳仁は幼い頃から記憶があった為、小学部の頃から剣道はそれなりに出来た。その為、部活所属許可が出る小学部高学年から中等部で剣道部に参加を始め、中等部からは高等部に所属し、大学進学と同時に剣術部を作って部室を確保した。当然、記憶が戻った従弟達も、中等部で再会した原田、永倉も、剣術部に所属している。昨年高等部に入学してきた藤堂も聡志、創と出会って記憶を戻し、大学部の剣術部に所属しているし、この春に大学部に入学してきた山崎は記憶が戻る前から歳仁を慕ってきていたし一目で山崎と判った歳仁は入部を拒まなかった。
そうして確保した部室は、この春大学部に入学してきた歳仁の従妹・鈴鹿千愛姫以外は女人禁制となっている。千愛姫は貴仁の姉が八瀬の家系である鈴鹿家に嫁いで生まれた千姫の生まれ変わりである。
休講である二限目になり歳仁が部室へ出向くと、既に千愛姫が待っていた。
「……どうした? 千愛姫。」
「歳兄様に訊きたい事があったもので。」
声の固い千愛姫に、内容の見当が付いた歳仁は溜息を吐く。
「ブルータスってやつだな。」
「え?」
「お前もか、だ。噂でも耳にしたか?」
「そうです。」
眼付が鋭くなる千愛姫に、歳仁は苦笑して椅子を引く。
「先ずは座って落ち着け。左近と義衛と亨も来る。話の内容は同じだからな。」
「でも私は、あの人達が知らない事を知ってるわ。」
「……話せる事は同じだからな。」
「……そうなの。」
不満そうにしながらも、どこか諦観めいた歳仁の表情に、千愛姫も歳仁の立場を思い出し、小さく溜息を吐いて自分を落ち着かせる。
歳仁が茶を煎れてやり、千愛姫がそれに口を着けた頃、歳仁の話を聞こうと三人が集まってきた。三人にも歳仁が自ら茶を煎れてやる。山崎は恐縮していたが、左近と義衛は感慨深い表情で茶を啜る。
「土方さん自ら茶を煎れてくれるなんて、あの頃には考えも付かなかったよなぁ。」
しみじみと呟く義衛の頭を歳仁は軽く小突く。
「で?」
口火を切ったのは歳仁に対して遠慮のない千愛姫だ。
「親父が持ち込んだ話でな。」
つくづく嫌気が刺しているという表情で歳仁が口を開く。
「相手は女子高生らしいんだが、事業提携の為の縁談なんだと。親父さんが研修とやらでアメリカ行くけど娘の方は日本を離れたくないから一緒に行かないとかで、未成年を一人で残すのはって事で家で預かる事になったのを機に、許嫁関係を明かして結婚相手と前提して付き合えって事なんだそうだ。」
「土方さんに許嫁ねぇ。」
「女子高生…………。」
「……。」
「……歳兄様としてはどう思ってるの?」
女嫌いを通している歳仁に許嫁などという存在を押し付けてどうする心算なのか、と言いたげな原田と、羨んですらいそうな口調の永倉の呟きと、困惑も露わな山崎の沈黙を他所に、千愛姫は詰め寄りそうな低い声で問い掛ける。
土方と千鶴の事情を知る千姫としての記憶が、千愛姫に不満を抱かせているのだろう。
「土方さんとしては、その許嫁だっていう女子高生と付き合う気、あんのか?」
「今のところ、ないな。」
「……前から訊こうと思ってたんだけどよぉ。」
率直に訊いた原田の質問にずっぱりと切り捨てるように答えた歳仁に、永倉が遠慮がちに口を開く。
訝しそうに眉を顰めた歳仁に、永倉がチロチロと視線を泳がせながら口を開く。
「土方さん。どうして女嫌いなんだ?」
「……。」
「その、あの頃は忙しくて女どころじゃなかったって言うか、本気になれる相手なんか作ってる余裕なかっただろうけど、今世は時代も平和だし、身分差がどうのって事もねぇし、相変わらず男前なんだから選び放題だろ?」
心底不思議そうな表情の永倉に、歳仁は苦笑する。
聡志と創には、記憶を取り戻した際に訊かれた勢いで少しだけ話してしまったが、改めて話すとなると照れ臭くて口に出来なかった為に、函館時代を知る者以外は千鶴との事は知らないのだ。
蝦夷にある鬼の里とも交流のあった千姫以外で、当時の土方と千鶴の事を知っている者で現在歳仁の近くにいるのは島田だけで、その島田には何れ自分から話すからと千鶴との事は話さないでくれと頼んであった。
「俺は、今世ではたった一人の為に生きても良いんじゃないかと思っててな。」
歳仁の重い口が開かれたのだと気付いた原田が、口を挟もうとした永倉の腕を引いて黙らせる。
「そのたった一人と巡り合えるまでは、女は要らねぇかなと思ってる。」
柔らかく唇を緩めて告げる歳仁に、永倉は目を見張り、原田は“たった一人”が誰を指すかに気付いた。山崎は小さく息を吐き、千愛姫は満足そうな表情をしている。顔を見合わせた山崎と千愛姫は、お互いの表情から気付いて(知って)いる事に気付いて目配せし合った。
「ふ~ん? 許嫁とやらが、そのたった一人って可能性もあるんじゃねぇの?」
永倉の気易い言葉に歳仁が苦笑する。
「そんな都合の良い話、あると良いんだけどな。」
零された呟きが歳仁の本音だと気付いたのは、千愛姫か、原田か。
永倉でない事は確かだった。
歳仁が深く溜息を吐いて遠くへ視線を飛ばしたのを機に、その場にいたメンバーが部室を後にする。
(副長…………土方さんが史実通りに亡くなっていたとしても、雪村君と何らかの関係を築かれていたのだろうか?)
鳥羽・伏見の戦いが始まる前に、千鶴の気持ちが土方に確かに向けられていた事に鈍い者以外は気付いていた。何しろ同族である千姫の保護の申し入れを、千鶴は蹴ったのだ。そして、土方が千鶴を憎からず思っていた事は、おにぎりを配っていた千鶴が自分の分を確保していないと知って、自分の分を分け与えていた事からも知れていた。史実に拠れば、新撰組はあのまま転戦に次ぐ転戦を続け、函館で終焉を迎えている。先に逝ってしまった身ではどうなったのか知る術はなかった。
「土方さんって案外ロマンチストだったんだな。」
呑気ともいえる永倉の言葉に、原田は唇だけで笑って応えなかった。
(俺達が新選組を離れて、俺は上野で不知火と共闘したのを最後に記憶が途切れてるから、あの後死んじまったんだろうけど、土方さんはどうも史実通りじゃなかったみてぇだな?)
土方は羅刹になっていたらしいから、函館で銃弾を食らったと言ってもそれが致命傷になったわけではないだろう。となれば、史実とはズレる筈だ。ならば事実は、銃で手傷を負った土方が戦線離脱している間に函館戦争が終結してしまい、行き場のなくなった土方は死んだ事にして生き延びていた可能性が出てくる。その場合、当然千鶴は共にいただろう。近藤を失った土方が自分の命を大切にしたかどうかは怪しいから、羅刹の力を使い捲ったかも知れない。そうなれば函館戦争で生き延びたとしても、土方に残された時間が長かったとは思えない。千鶴とどれだけ共にいられたのか不明だが、おそらく残された時間を千鶴の為に生きたのだろう。長くはなかった時間を共にいて来世も共にと願ったのかも知れない。
だから、今世はたった一人の為に生きても良いと思ってると言ったのだろう。
原田は、大した根拠もないままに、歳仁が求めるたった一人が千鶴なのだろうと推測した。憶測の域を出ない筈の推測が粗当たっているとは、夢にも思わないままではあったのだけれど。
(歳兄様ったら、結局のところはフェミニストなのよね。)
千愛姫は、前世では親友と思っていた同族の心を捕らえ、剰え薩摩の一族の頭領を魅了した男が、転生しても相変わらず周囲を魅了している事に溜息を吐かずにはいられなかった。
新選組が千鶴を軟禁して、千鶴の娘時代を奪ってしまった事に罪悪感を抱いていた土方が酷く後悔していた事を、千姫は知っていた。その所為で罪のない娘に冷たくする事が苦手になっている事も知っていた。
歳仁は前世と変わらずイケメンである。そのイケメンが、いくら意識が大人とはいえ、見掛けの年齢はあまり変わらない女子高生の保護者感覚で接していたら、堕ちない女子高生などいないだろう。況してや、いくらやたらと広い屋敷とはいえ、同じ屋根の下に住む事になるのだ。許嫁の女子高生が、歳仁に惹かれない筈などないではないか。
千愛姫は、歳仁が自分と聡志と創を同居させようと目論んでいる事など露知らず、内心で自覚の薄い歳仁を罵っていた。
構内を大股で歩いて行く青年は、その端正な顔と姿勢で周囲の視線を集めている。
男女問わずに視線を集めずには置かないほど、彼の顔立ちも姿勢も端正だった。
彼が衆目を集めるのは見た目の所為だけではない。
その出自も、能力も、注目の的だ。
「歳兄ィ。」
「聡司。……創も一緒だったか。」
「歳兄さん。」
只でさえ目立つ青年をより目立たせている要因は彼の周囲に集まる人材で、更に拍車を掛けている。
『歳』と呼ばれたのは土方歳仁。
大学部の学生で、この薄桜学院の理事長の息子でもある。
『歳兄ィ』と呼び掛けた沖田聡司は、歳仁の母親の兄の息子、従弟で、同じ敷地内にある高等部の生徒だ。少し癖のある髪が纏まり難く裾が跳ねているが、気にするでもなく無造作な所作で掻き上げる。端正で甘い顔立ちだが性格は皮肉屋でクールなところが勝る。
『歳兄さん』と呼んだ斎藤創は、歳仁の父親の妹の息子で聡司と同じ年の矢張り歳仁の従弟に当たる。聡司と同じクラスで、冷静沈着だが聡司と違って冷めているわけではなく、どちらかと言えば不器用で誠実な性格で寡黙だ。
二人共歳仁の父親の仕事を手伝う両親に放任されがちで、子供の頃から歳仁の母親が面倒を見てきた所為で、幼い頃から歳仁に馴染んでいる。
「ねぇねぇ、歳兄。今度お見合いするって聞いたんだけど?」
「⁉ もう知ってんのかよ。」
「! 本当なんですか、歳兄さん。」
「あ~。親父が決めてきた話でなぁ。」
歳仁が溜息混じりに言うと、聡司と創が空かさず詰め寄る。
「「千鶴(ちゃん)はどうするの(さ)ですか⁉」」
「……見事なユニゾンだな。」
「歳兄さん!」
真面目に応えてくれ、と声音を強くする創に、歳仁は苦笑する。
聡司まで睨んでくるのに気付いて、歳仁は周囲の注目を顎で示して場所を移す事を提案する。
『見合い』という言葉を聞き付けた女学生が付いて来ようとするのを早足で振り切り、三人は薄桜学院と地続きの歳仁の自宅、つまり薄桜学院理事長宅へ裏道を使って向かった。
正門を使うとかなりの遠回りになってしまって、歩くとかなり遠いのだが、裏道を使えば直線距離に近くなるので大幅に短縮される。
学院と理事長宅を区切る高い塀の一部に通用門があり、其処はIDカードを持った人間しか通れない。現在IDカードを所持しているのは土方家の人間と聡司と創のみであるから、追い掛けられても理事長宅の敷地内まで入っては来れないが、出待ちをされては敵わないので位置は秘密にしているのである。
人目を避けて三人が通用門に辿り着きIDID門出門を開くと見知った顔が出迎えた。
「お帰りなさい、歳仁さん。」
「ただいま。」
「今日は島田君は裏口の担当なの?」
高校生の聡司がどう見ても三十代の男に向かって「君」呼びをしていても此処にいる者は誰も咎めない。
「ええ、そうなんです。聡司さんも創さんも、今日は部活は宜しいんですか?」
「……高校の部活などより余程大事な話なのでな。」
応えたのは真面目一辺倒のような創だ。
島田と呼ばれた男は不思議そうに首を傾げたが、それ以上口出しする事なく三人を通して見送った。
「前世に引き続き歳兄の部下なんて島田君も物好きだよね。」
「現在の雇用主は俺じゃなくて親父だ。」
「土方家の使用人である以上それは通らないじゃない。」
少なくとも僕等の間では、と呟くように添える聡司に、歳仁は溜息を吐く。
前世に引き続き。
聡司の言葉が意味する処は、彼等には前世の記憶があるという事だ。
歳仁にも、聡司にも、創にも、確かに前世の記憶があった。
それも他人が聞けばまず信じられない人間としての前世の記憶である。
歳仁は従弟達と並んで歩きながら、思わず溜息を吐く。
「歳兄、幸せが逃げるよ?」
「あ~。……あの親父の息子に生まれた時点で、俺が幸せになる確率が下がっている気がするんだが。」
「ああ、貴仁伯父さん。」
納得しながら同時にくすりと笑いが漏れる聡司に罪はないと思いたい。
歳仁の父・貴仁は、戦後にも関わらず広大な土地持ちだった土方家に生まれ高学歴を積み、都心にあった土方家の土地を売り、当時は田舎だった郊外に広大な土地を購入して、薄桜学院を造り、学院の周りに職員や生徒の家族が住める環境を整え、一つの学園都市を創ってしまった人物だ。
数十年前、丁度世はバブル最盛期と呼ばれていた頃に、貴仁は都心の高騰する土地を売り払い、バブルが崩壊して土地の値段が暴落した時にこの一帯を購入して学院を創ったのだ。詰め込み教育でバーコード人間を大量生産する教育は良くないと騒がれ、ゆとり教育が叫ばれ出した頃で、教育の質が問われ始めた頃に、設備も人材もスポンサーまで揃えられた小・中・高・大・院までが一貫した教育理念で統一された薄桜学院が創設されたのである。
若い頃に北欧に留学経験を持つ貴仁が、理想の教育制度を日本に作る事を夢見て、実現に漕ぎ着けた結果が薄桜学院だった。
それも娘の偲には間に合わなかったが、長男である歳仁の修学年には間に合わせたのである。
(何故、選りにも選って『薄桜』なんだ。)
あろう事か貴仁は、歳仁にとっては所縁の深い名を学院に付けた。
名に恥じぬとばかりに、薄桜学院の敷地内にはいたる所に種類も豊富な桜の樹が植えられている。
今年は桜が早くて、大学部の入学式の日には粗散っていた桜は、高等部や中等部、小等部の入学式頃には、八重桜が辛うじて枝にしがみ付いているという風情が見られるだけだった。
土方家の屋敷内も桜の樹は何本かあるが、どれも既に葉桜となって瑞々しい緑を湛えている。
歳仁は二人を連れて北側の棟に赴き、二階の食堂のバルコニーにお茶の用意を言い付けた。
「源さん、バルコニーにお茶の用意を頼むよ。」
「はいよ。緑茶かい? コーヒーかい?」
「お茶菓子次第ってところかな。」
聡司が口を挟むと、源さんと呼ばれた男はにこやかに笑顔で頷いた。
「桜餅、道明寺があるから、緑茶にしておこうかね。」
「わっ、ありがと、源さん。」
抱き着く聡司を笑いながらあしらって台所へ行ってしまう。
「島田君ばかりか、源さんまで歳兄の家の使用人ってどういう巡り会わせなんだろうね?」
源さんこと、井上優源はホテルでシェフとして働いていたところを貴仁にスカウトされて、土方家の専属シェフとなったのである。歳仁が小学生の頃だった。既に前世の記憶のあった歳仁だったが、井上に前世の記憶がないと気付いて何も言わずにいた。
歳仁との再会か、聡司の幼い姿が引っ掛かってか、やがて井上も徐々に記憶を取り戻していった。
三人が腰を落ち着けたのは、北の棟の二階のバルコニーから学院の森が窺える位置に設置されているガーデン・テーブルだ。
「此処等はすっかり葉桜だねぇ。」
「北海道はどうでした?」
創の質問に、聡司も歳仁に顔を向ける。
歳仁が中等部の修学旅行で北海道、それも道南へ行って以降、桜の季節を狙って出掛けている事は二人も承知している。
何をしに、と訊いた事はないが、二人は歳仁の事情をある程度知っているので改めて問う事をしていないのだ。
何故か二人に知られている事を歳仁も承知しているが、未だ詳細について話した事はない。話そうかとも思ってはいるが、やはり、照れ臭い。
何しろ、二人に対しても歳仁が、否、土方歳三が示していた態度は、「千鶴は子供過ぎて対象外」というものに徹していたのだ。沖田総司には、それが建前になりつつあった事に気付かれていた節があった事を千鶴から知らされたが、斎藤一にも気付かれていたとは思いたくなかった。
歳仁が話を切り出し易いように話題を振ってくれる従弟達に、歳仁は苦笑して視線を走らせる。丁度井上がお茶と茶菓子を運んで来た姿が視界に入り、開き掛けた口を一旦噤んだ。
「葉桜になってしまったから少し季節外れなんだが、この時期に合うように桜の葉を塩漬けしていたから、まぁ、味は悪くないと思うよ?」
「ありがとう、源さん。」
「歳さんの分は餡無しにしておいたよ。」
「…………そりゃ、ありがたい。」
井上の気遣いに苦笑と共に感謝して、歳仁はお茶に口を付けた。
聡志も創も早速桜餅を口に含む。
「ん! 美味しいよ、源さん」
「……うん。美味い。」
「そうかい? 何よりだよ。」
「桜の葉の塩漬けってたくさんあるの?」
もぐもぐと咀嚼して、聡志が口を開く。
「? まぁ、そうだね。」
「じゃあさ。高等部のカフェで一日限定数幾つとかでも良いから、売りに出してくれないかなぁ。」
「…………その心算で用意してみたんだよ。」
考えていた案を聡志からも提案されて、井上が少し驚きながらも笑顔で種明かしをする。
「マジっ!? やったね!」
G・W明けの高等部は、遊び疲れが残っているのか慣れて油断するのか、五月病で鬱を起こす生徒が時々いる。
聡志は創と共に高等部生徒会の本部役員に就いている。五月病から鬱を起こしその流れから退学にまで至る生徒を防ぐのも、生徒会本部役員の密かな務めだ。全校生徒が知る所ではないが、退学者が出た時の生徒会本部役員の評価は下がるのだ。総司と創は歳仁と同じく、薄桜学院の学生証であるIDカードにはゴールドラインが入り、理事長の身内である証明がある。薄桜学院内では現金の持ち込みが禁止され、IDカードで支払いをしなければならない。ゴールドラインが入る学生証は理事長の身内であるから、本来は自分でチャージしなければならない残高は、全て理事長が払ってくれる。代わりのように在籍する学部の学生会の実質は雑用係でもある本部役員を務めなければならない。
「助かるよ、源さん。源さんのご飯もお菓子も美味しいから、生徒から人気があるんだ。5月は生徒のテンションが下がり易いからさ。」
「…………お役に立てるなら嬉しいねぇ。」
桜餅に齧り付きながら井上と会話をしていた聡志は気付かなかったが、創は井上が歳仁と目配せをしていた事に気付いた。
いくら理事長の身内とはいえ、役員を務める任期は一般生徒と同じく1年の後期から3年の前期までなので、2学年違う歳仁と総司・創は任期が重ならなかった。
井上が桜が咲く時期ではなく5月に桜餅を用意していたのは、おそらく歳仁の代での発案だったのだろう。
井上が立ち去り、聞き耳を立てる者がいなくなると、総司と創は改めて歳仁に向き直った。
「で?」
口を開いたのは聡志で、歳仁は苦笑してお茶で口を潤す。
☆~★~※~⁂~*~✳~❄~✤~✡~☆~★~※~⁂~*~✳~❄~✤~✡
歳仁にとって父・貴仁から告げられた事は不意打ちに過ぎた。
函館から戻った歳仁を、珍しく自宅にいた貴仁が出迎えた。
「…………珍しいな、親父。あんたがこんな時間から家にいるなんて。」
「いや、君にね、話があったからだよ。」
「俺に話?」
訝しそうに眉間の皺を増やす歳仁に、貴仁は困ったように苦笑して居間へと歳仁を促す。
逆らうのは得策でない事を知っている歳仁は小さく溜息を吐いて後に続いた。
居間には普段仕事の為に自宅から離れた都心のマンションで生活している姉の姿もあった。
「偲姉? あんたまでいるなんて珍しいな?」
「お父様に呼び付けられたのよ。来ないと勝手に決めて文句は言わせないって言われから放置出来ないじゃない?」
「なるほど。」
偲の言う放置出来ないというのは、貴仁は一度決めた事は例え本人でも口出しをさせずに事を進めてしまうからである。
偲は大学卒業と共に決めていた結婚準備を卒論の忙しさに感けて放置していたところ、偲も相手も望まないほどに派手派手しく披露宴の準備を整えられてしまいキャンセルも効かず、恥ずかしい思いを経験している。
偲は体験させられ身に染みていたし、歳仁はその姿を見て貴仁が言い出した場合、自分に関わる事は何が何でも放置してはいけないと学んだ。
「で? 話ってなんだ?」
「縁談だよ。」
「…………姉貴の?」
「ちょっと! 私は嫌よっ! 今は仕事が面白くて仕方ないし、それにいくら裕司さんが逝ってから3年経つって言っても、まだまだ再婚なんて御免ですからね。」
拳を握って抗議する偲に、貴仁は苦笑する。
「まぁ、どちらかというと、歳仁の、なんだけどね?」
「俺ぇっ!?」
歳仁の驚愕を他所に、貴仁は縁談が持ち上がった経緯を話し始めた。
要約すると、歳仁の相手の娘の父親が貴仁の後輩で、事業提携を結んで資金援助をする為に持ち上がった縁談だという。亡くなった歳仁の母も縁談の事は承知しているという事と、娘の母親は5年前に他界していて、娘の高校進学に合わせて函館から都内に移住してきていて、娘当人は現在都内のお嬢様校で高校生をしているという。
「まぁ、縁談は急に持ち上がったわけじゃなく、実は相手のお嬢さんが生まれた時点でお前とお嬢さんは許嫁関係が成立しているんだけどね。」
「…………今のご時世に、許嫁とかありかよ。」
歳仁がげんなりとしてぼそりという。
「良かったじゃない、歳。これであんたの女嫌いも治るでしょ?」
「別に女嫌いってわけじゃねぇんだけどなぁ。」
「あら? 左近君とか義衛君から聞いてるわよ? あんたが女の子近寄らせないって。」
「…………。」
否定すれば事情も話さなければならず、歳仁は仕方なく無言を通した。
「それで、あいつが今度研修でアメリカへ行く事が決まってね。お嬢さんが日本を離れたくないというので、いっその事家で預かるという話になったんだ。結婚は未だ先の話にしても、親交を深める事も大切だから今から同居してみてはどうかと話が纏まったんだ。」
貴仁の口調に拒否権無しを感じて、歳仁はうんざりとした口調で口を開いた。
「拒否権無しかよ。」
「まぁ、相手のお嬢さんにも選ぶ権利は差し上げたいからね。同居してみてどうしても上手くいかなかったら破談にするしかないだろうが、そうなると資金援助に異を唱える重役が出るだろうから、そうなったら彼と偲で縁談を纏める事になると思うよ。」
「私にお鉢が回ってくるの!?」
叫ぶように自分を指差す偲に、貴仁が重々しく頷く。
「ちょっと、歳! この話受けなさいよ!」
「姉貴こそ、死なれちまったとは言え好きな男と一度は結婚したんだから、俺を人身御供に差し出すな!」
「取り敢えず、まずは顔合わせをするから、来週末に彼とお嬢さんとの食事会を設したから、偲も歳仁もちゃんと出席するんだよ。」
にっこりと有無を言わさぬ笑顔で駄目押しをされ、歳仁も偲もがっくり頭を垂れた。
☆~★~※~⁂~*~✳~❄~✤~✡~☆~★~※~⁂~*~✳~❄~✤~✡
「「………………。」」
口八丁手八丁の偲の反論も封じる貴仁の押しの強さを教えられて、聡志も創も黙るしかなかった。
「前々から気付いていた事ではあるが…………。」
「叔父さんの押しの強さって、『土方さん』が押されるくらいなんだね。」
顔を見合わせた3人は無言になり、次いで同時に溜息を吐いた。
「お見合いは、断るわけにはいかないって事なんだね。」
「逃げた場合は承諾と同意だろうな。」
「普通は逃げたら拒否なのにねぇ。」
「うちの親父に普通を当て嵌めようという意識を持つのは間違いだ。」
「確かに。」
溜息を吐いた歳仁は意識を切り替えるように髪を掻き揚げる。
「千鶴ちゃんの事は…………。」
「兎に角、父親がアメリカに行っちまって保護者のいなくなる女子高生を一人で放り出すわけにいかねぇのは確かだからな。同居っつーか、うちにそいつが住む事を拒否するわけにはいかねぇだろう。かといって俺が逃げ出す事も親父の事だから許さねぇだろうし。」
「鍵を掛けるしかないかな?」
「いや。それよりも、千愛姫が学生マンション住まいで大学部に通ってんだ。あいつをうちに同居させちまう方が良くねぇか?」
「千愛姫ちゃんは嫌がるよねぇ。」
「…………いっその事、俺と聡志も此処に住むというのはどうです?」
「………良いかも知れねぇな。」
「歳兄に惚れないように僕らを予防線にしようって?」
「それしかあるまい。」
歳仁が一層深い溜息を吐く。
「許嫁とやらがいっそ千鶴だったら何の問題もねぇのにな。」
「……流石にそこまで都合良くはないかと……。」
「だよねぇ。」
聡志は珍しい歳仁の弱音にくすりと笑いを漏らす。
ひらり、はらり……
舞い散る花弁を眺めながら思いを馳せるのは、此処で且つての〝自分”の死を見届けた大切な女の存在。
大切な女を守る為に、別人として生まれ変わる事を決めたのは此処だった。
残された時間を共に生きてくれた女は、果たして今の世に生まれてくれているのだろうか。
プロローグ
土方歳仁、二十歳。
中等部の修学旅行で北海道は函館を訪れて以来、折ある毎に函館を訪れている。
昔を懐かしんでいるのか、再会を期待しているのか、自分でも判らないまま、歳仁は視線を走らせる。
五稜郭、裏手門側。
現在ではもうすっかり開発されて且つての面影は見る影もない。それでもこの辺りは〝あの時”昔の自分・土方歳三が、鬼の一族の総領でありながら自分に挑む為に追ってきた風間千景と最後に対峙した場所だ。
はらり、ひらり……
あれから百五十年ほども時間が流れた。周囲を埋め尽くす桜は、あの日舞い散っていた桜とは種類が違う。明治の代になってから本土から持ち込まれたソメイヨシノが植樹され、当時の木は残っていないのだろう。
それでも風に舞い散る様は同じように儚くて美しい。
『歳三さん……。』
「ちづ……っ!」
懐かしく甘い声に振り返ると、質素な着物に身を包んだ昔の女の姿が視界に入り、踏み出し掛けた足は、次の瞬間に掻き消えた姿に止まる。
呆然として、やがて深く息を吐く。
「幻、か……。」
幻影を見るほどまでに自分は切羽詰まってきたのだろうか、と自嘲する。
自嘲して、且つてもこの地で同じような事を経験したのだった、と思い出す。
ずっと傍にいて支えてくれていた彼女を、その死を見たくないという覚悟の足りなさを自覚せぬまま、仙台の地に置き去りにした。自分で決めて置いて来たのに、ふとした瞬間に、彼女の幻影を見ていた。
「なんだよ、俺って人間は、結局あいつがいなきゃあ生きられねぇってか……?」
苦笑と共に、それが自分の真実なのだろうと受け留める。
風間千景が最後に言い置いて行ったように、土方は〝鬼”となっていたのだろう。羅刹として命の火を燃やしたにも拘らず、残された時間は思いの外長かった。
幸村隼人として生きた残りの人生は妻・千津と穏やかに過越した。
元々の年齢差もあり、更に純血の〝鬼”であった妻とは寿命が違い過ぎて最期まで傍にいてやる事は叶わなかったから、最期の時に約束をした。
『生まれ変わったら再び共に生きよう。』と。
彼の周囲には、且つての新撰組の仲間が次々と集ってきている。
記憶はないようだが、身内までいる始末だ。
唯一人、共にありたいと一番強く願う存在だけが足りない。
地球温暖化とやらの影響で、昔より早く咲いて散る桜を眺めながら、歳仁は遠く思いを馳せた。
始めてしまいました。
新シリーズ『桜模様』
ちなみに、『桜模様』の模様は、デザインではなく、空模様とかの模様です。
千鶴と神矢達を〝保護”してから数日で年が明ける。
正月明け早々に、大阪へ出張しなければならない用向きがあり、態々近藤さんを出向かせるのも憚られて、山南さんと二人で出掛ける事にした。
俺がいない間に息抜きもするだろう。羽目を外さなければ息抜きくらいは構わねんだが、兎角三馬鹿が羽目を外しやがるから、留守を任せる源さんや近藤さんの負担が案じられる。
斎藤や総司には、千鶴の護衛と神矢達の監視を頼みたい都合上、三馬鹿のお目付け役を頼むわけにゃいかねぇし。
頭の痛い話だ。
ふと気配が近付く。
極傍近くまで寄ると衣擦れの音はさせるものの、足音はさせずに歩く。そんな真似をするのは神矢か八神だけだ。
部屋の前でぴたりと止まった気配が姿勢を低くするのが判る。
「土方さん、宜しいですか?」
低めに抑えていても滑らかに涼やかな女の声。
「…入れ。」
応えを返すと、静かに障子を開き音も立てない所作で部屋に入ってくる。
丁寧な物腰ではあるが、女らしい所作ではない。
初めて遭った日は、言葉遣いも所作も女らしいものだったが、新選組に出入りするようになってから、品のある良家の子息のような所作に変わった。
新選組は女人禁制だから、と言って、男装を強要したにも拘らず嫌がりもせず淡々と受け入れている。
携えていた盆の上には、香り立つ茶が載せられている。何故か初めから俺好みの茶を知っている神矢は、初めて茶を淹れて来た日から熱くて濃い茶を持ってきた。
「少々お願いがありまして。」
願いだぁ? 眉間に皺が増えたような気がするが、そのまま凝視すると、神矢は苦笑を浮かべる。
「私は未来から来たのだと申しましたね。」
「……ああ。」
「ですから、この先の貴方方の未来に起こる事もある程度は判ります。」
「…それで?」
「警告する事は簡単ですが、詳細を知らない事もあります。」
「ふん?」
書き上がった書類の墨が乾くまで手を停めて神矢に向き直る。
神矢は振り返った俺に、ふと口元を緩めて目を細める。
「歴史というものは修正する力というものを持っているそうでしてね。」
「あん?」
「例えば、河原に立っている人が刎ねた水を被る巡り合わせにあると知り、それに注意を促し刎ねた水を避けると、足を滑らせて川に落ちる。水に濡れる巡り合わせは避けられない。刎ねた水よりもより多くの水に濡れる事態に陥る。」
「……災いを避けると倍返しになるってか?」
「陰陽道で言う逆凪と申すものですよ。呪や念は目に見えぬものですが、目に見える物で例えるならば、刀では受ける側も衝撃を受けるし力が強いと刃を折られたりしますでしょ?」
「受け止める力がなけりゃ斬られるな。」
「はい。」
こくりと頷いて黙る。
こいつは時々こういう態度を取る。
答えは言わずに俺が答えを出すのを待つような。
生徒を試す教授のような態度だ。
ちらりと書状に目をやるが、まだ墨は乾いちゃいねぇ。
もう少しくらいなら付き合ってやっても悪かねぇ。
手にしたままの湯呑を傾けて、まだ熱くて濃い茶を口にする。
こいつが言いたいのは、歴史の修正ってやつは、大きく変えようとすると反動がでかくて反って惨状を招く確率が上がるって事だよな。そして、こいつは俺達の未来を知っている。
「……反動が出ねぇ程度に未来を変えたいって事、か?」
僅かにだが目を瞠り、我が意を得たりとばかりの笑みを浮かべる。
「流石ですね、土方さん。」
満足そうな笑みを浮かべた神矢の言葉に、眉間に寄る皺が増えたような気がした。
「お前が動くって事ぁ、同行したい、と?」
「はい。」
にこりと事もなげに答えやがる。
「土方さんと山南さんですからね。小娘に後れを取るとも思えませんし?」
「……嫌味かよ…」
眉間に皺が寄った自覚はある。神矢は嫣然とした笑みを浮かべて俺の返事を待つ。
こいつの物言いからすると、山南さんと行く大阪出張で何かが起こるという事か。それをない事には出来ないが、最小限の被害に留めたいという事らしい。
「人の宿命には、避けられないものがあります。逃れようのない宿命ならどんなに回避しても必ず陥る事になってしまう。山南さんの身に起こる災難を、叶うなら避けたいと思います。」
「山南さんの身に、何が起こるっていうんだ?」
「……剣が握れなくなるほどの傷を負うでしょう。私達の時代の医術を以てすれば回復可能なのですが、生憎と、私達に医術の心得はありません。」
「この大阪出張の間に、か。」
「詳細は知りません。傷が元で山南さんは、この先に訪れる事態の中で追い詰められて『変若水』に手を出してしまうでしょう。」
「何っ!?」
「山南さんは『変若水』の研究を続けておられるようですが、あれの有効成分だけを引き出す事は不可能です。『変若水』は先に申し上げましたけど、西洋の魔物の血なのです。私達に魔を浄化する力はありますが、浄化すれば『変若水』に拠って齎される有効性は消えるでしょう。」
「『羅刹』を浄化したら、どうなる?」
「良くて人間に戻せる可能性あり、ですけど、最悪では浄化と同時に死ぬでしょうね。」
思わず溜息が出る。
こいつらが言うところの浄化なる物が本当にできるかどうかは兎も角、『変若水』の件には役には立たないらしい。
だが、この大阪出張中に山南さんが怪我をするらしい事は確かなようだ。気を付けていても必ず守れるとは限らない。役目を見送る訳にもいかない。神矢の申し出は、この際ありがたいと思うべきか。
「大阪出張に連れて行け、という事なんだな。」
「名目は何とでも。沖田さんが和麻さんに余計なちょっかいを掛けないように、近藤さんに注意して頂ければ心配はありませんし。」
……総司に対して俺の命令が有効じゃねぇ事も把握済み、か。
そういやぁ、ここ数日の昼と夜の食事当番に、千鶴と神矢が加わっていたんだったか。
朝は相変わらず幹部の持ち回りで作っているが、昼と夜が美味い所為か、朝が軽くなっている傾向にあるようだ。昼や夜に美味い飯が食えるのに、無理して朝から不味い飯は食いたくない、という事らしい。平助や新八ですら今までより朝餉の量が減っている始末だ。
すっかり胃袋を掴まれちまった感がある。
その上、朝餉にこそ間に合わないが、裁縫から洗濯、掃除まで、男所帯では滞りがちになる家事を、千鶴と神矢の二人で担ってくれる。
天気の良い日には大抵布団干し迄してくれるのだから、直接関わるのが幹部だけだとしても男どもの気持ちをがっつり掴むには事欠くまい。
本来なら山崎に監視をさせて見極めるべきなんだが、どうも神矢にはそういった事が一切通じないらしい。兎に角気配に敏感なのは半端じゃなく、気配を消していても掴まれちまう。
しかも、神矢が幹部を抜いた事はあの日、壬生寺にいた平隊士に目撃されている。だが、神矢は幹部を抜いたからといって、侮りはしなかった。平隊士の中には、自分に稽古を着ける幹部より強いのだからと、神矢に稽古を着けてくれるように請う者もいたが、そういった者達には、炊事、掃除、洗濯を十分に熟せた者の相手だけはしてやると言ったらしい。諦めてしまう者も多かったが、諦めなかった者の相手はしてやったらしく、平隊士達の区画が少しずつ綺麗になっていってる。
「そういえば土方さん。」
「あ? なんだ?」
茶を飲みながら、考えに耽っていた俺に、思い出したように声が掛かる。
「綱道氏の失踪に着いては、会津藩への申し出は済みました?」
「ああ、あれ、な。」
決して苦いわけではない筈の茶が苦く感じられるようになってしまう。
管理不行き届きを理由にしようとした会津藩との交渉は、神矢の入れ知恵と近藤さんの人柄で何とか難を逃れた。
なるべくなら会津藩と事を構えたくないと思っていた俺達に、神矢は最後の切り札になるという手札をくれたのだ。
知らされてみれば実に苦い手札だった。
『変若水』は、既に幕府内で研究され、改善ならずで狂人を生み出すだけと結論付けられた代物だったという情報だ。
そんな爆弾を押し付けられたという事態は、捨て駒扱いなら未だしも、潰す心算だったとも取れる事態なのだという一面をちらつかせ、既に『羅刹』と化した者達の管理だけが残務とされ『変若水』の研究は中止となった。
山南さんはそれに納得はしていないようだが、少なくとも表向きは中止となった以上、山南さんもあまり『変若水』にばかりかまけているわけにはいかないだろう。
「神矢…」
「はい?」
「『変若水』の扱いについては……。」
「……私が知る歴史は、少しずつ変わっています。」
「何?」
「私達が元の時代へ戻る為には、私が知る歴史を僅かに塗り替える必要があると思われます。だから私は、新選組にとって有利な事態へ好転するように事を動かす心算で動いています。変えようのない、変えてはいけない事態もあります。一つ間違えば、この国の未来を闇に閉ざしてしまうかも知れない事態から救う為に、新選組の力が必要なのです。」
この国の未来が闇に閉ざされる事態、だと?
思いも掛けない大袈裟な物言いに、俺は思わず眉を顰めた。
「大袈裟に聞こえるでしょうけれど……原因と経過を知っても、幕府には事態を収拾する力はありません。下手に幕府が動けば加速させて止める術を失う事態を招き兼ねない。新選組だけでは荷が勝ち過ぎる事態でもあるのです。」
「俺達には無理だと?」
「貴方方『だけ』では無理です。命と引き換えなら可能かもしれませんけど。」
命と引き換え、ね。
神矢の言葉は大袈裟に聞こえるが、それが大袈裟な訳ではないのだと、神矢の瞳を見ていれば判る。
「話の規模がでかいようだが、今度の大阪出張に神矢が同行する事と、それと、関係あるのか?」
「……『変若水』の研究の中止命令が出たようですが、残っていた『変若水』は全て破棄されましたか?」
神矢の言葉に、言葉を伝えただけで実物の確認はしていなかった事を思い出した。
まさか山南さん……?
不信を感じた俺の視線を捉えた神矢が、小さく溜息を吐いた。
「諦めきれないのでしょうね。それでも『変若水』は薬と呼ぶにはあまりにも毒が強い。改良が悪いとは言いません。既に『羅刹』となった者達を救う為に研究したいというなら留め立てもし難い。」
神矢は深い溜息を吐いて視線を伏せた。
「つまり……山南さんの身に降り懸かる災難を避けたいと同時に、『変若水』の秘密についても話をしたい、という事か?」
「はい。」
この女の齎す情報の全てを信用するほど迂闊じゃねぇ心算だが、頭から否定するには神矢の態度はあくまでも真摯だ。
「判った。同行を許す。しかし、お前を大阪に同行させている間、千鶴を屯所に通わせるわけにはいかねぇな。」
「千鶴さんは土方さんの小姓という立場ですから、お二人が大阪出張中は仕事がない事になります。近藤さんの別宅で待機でよろしいのではありませんか?」
「む。そう、だな。」
屯所に来させない口実はないかと無意識に探していた俺に、ドンピシャな答えが返る。時々こいつは、心が読めるんじゃねぇかと思いたくなる時があるんだよな。
小娘とまでは言わねぇが、年下の女に見透かされるのは面白くねぇ事には違いない。
「沖田さんが和麻さんに突っ掛かるのは困るんですよね。沖田さんが近藤さんだけにしか興味がないのと同じくらいに、和麻さんは綾乃と煉が無事なら他はどうでもいい人なんです。かてて加えて自分に敵意を向ける人には容赦がありません。」
右の蟀谷に人差し指を添えて顔を顰める神矢の表情は、苦虫を噛み潰しているかのようだ。
そういえば、八神の技は、木刀を使ってすら鎌鼬を起こせるんだったか。
鎌鼬の前には、真剣すら防御の術はない。それが人の身に向けられれば間違いなく命を絶つ事など容易い筈だ。
「正月となると、近藤さんは局長というお立場で色々とあるのではありませんか?」
「ん、まあな。それなりに忙しいし、出掛ける事も多いな。」
「では、局長の護衛を一番組組長にお願いする、というわけには参りませんか?」
「あ? それは出来るが……」
それをすると、千鶴の護衛と八神達の監視がいなくなる。
「千鶴さんの護衛と和麻さん達の監視は、斎藤さん、原田さん、藤堂さん、永倉さんで交代という事なら、支障はありませんでしょう?」
三馬鹿に仕事をさせれば、羽目外しも内輪で済む、か。
見透かされているようなのがどうにも気に食わないが、その辺も含めて大阪出張の間に訊き出してやる。
神矢の同行に渋い顔を見せた山南さんは、『変若水』の秘密について聞きだす機会だと説き伏せて、神矢を同行させた。
大阪で世話になっている商家への挨拶回りが主な仕事だが、こんな雑用に近藤さんを駆り出すわけにはいかない。かといって組長を使いに出したのでは格を下げ過ぎる事になる。挨拶回りのついでに更に資金を引き出す事が出来れば好都合だから、俺とこういう事の得意な山南さんが揃って出向く事になった。
神矢は名目上だけの山南さんの小姓という事で同行したが、平隊士達は護衛とでも思っているかもしれない。
費用を抑える為に歩いて行こうとしたのを、小舟を借り出すよう提案したのは神矢だ。
「新選組の台所事情は……」
「存じておりますよ。借り受けるのは船だけです。船頭は必要ありません。船の上なら、話を盗み聞きされる心配は皆無です。」
明けて文久四年。
正月も元旦だけ気分を味わい、新選組は早々に隊務を遂行した、
俺と山南さんは神矢を伴い、近藤さんの顔で借り受けた小舟で川を下り、大阪に向かった。
船頭は要らないと言った神矢本人が難なく舟を操り、他に行き交う船と一定の距離を保ったまま進んだ。
「会津藩との交渉は成功ですか?」
「成功、というか、あれの研究が既に幕府内で打ち切りになっていた事を知らなかったといわれたんだが……」
「引き下がったのですか?」
「引き下がれば新選組が潰されたり、千鶴の境遇が悪くなるといわれていた所為か、近藤さんも粘ってくれた。」
「……自分の為には我が張れなくても、誰かの為なら頑張れる方なのですね。」
神矢の声が柔らかい。表情にはあまり出ないが、声に感情が表れ易いらしいと、最近気付いた。
「あれに着いては、私が知る限りの情報を差し上げますわね。」
「貴女は未来から来たのだと仰いましたね。」
話し始めた神矢を遮って山南さんが言葉を紡ぐ。
「……ええ。」
「そう言いながら、この先の事は何一つ情報を与えずに、それを信じろと仰る。」
「歴史というものは連動しながら流転・流動していくものです、先の事を知ったからとて、それを覆す為に行動を起こしても上手くいくとは限りません。」
山南さんの鋭い視線が神矢に向くが、神矢は平然としたまま小舟を操る。
先の事を知って準備を始めたからといって、上手くいくとは限らない。
結果には原因があるものだ。
今ここで『変若水』の秘密を教える事で、神矢はこの先の何かを変えよとしているのかも知れない。
「土方君。君は彼女の言葉に唯々諾々と従う心算ですか?」
「……山南さん。神矢は本当に、俺達にとっての未来の情報を何も寄越さないままか?」
神矢が齎した情報は、『変若水』が西洋の魔物の血だというものと、幕府が既に研究し、狂人を出すだけの使い物にならない代物だと結論付けて研究を中断しているというものだ。
どちらも俺達だけの情報網では入手不可能な情報だった筈だ。
魔物の血なぞという話は兎も角、幕府が『変若水』の研究を中断した事は、会津藩が密かに確認を取った事実だった。
神矢が新選組に協力するのは、自分達が還る為だという。利害が一致するからだと言った。
「神矢君の齎す情報が正しいと信じられるだけの根拠がないといっているのです。」
警戒するなという方が無理だし、警戒心を失くされても困るんだが、これじゃあ話が進まねぇな。
「私は、山南さんをもっと先読みの出来る方だと評価していたのですけど、違いましたか?」
神矢の声が低くなる。これは怒りを覚えてそれを抑えているんだろうな。
「どう言う意味です?」
「新選組の出先機関として、和麻さん達に店をやらせるといいと提案しました。それは長期計画になる可能性が高い事を意味しますね?」
「……そうですね。」
「新選組の監視下に置かれての長期計画を見越している身で、どうして態々嘘を教える必要があるんですか? 嘘だとばれたらそれこそ殺されても文句も言えない立場なんですよ? 態々そんな真似をするような馬鹿だと、見做されているわけですか?」
神矢の声から感情が消えた。これは本気で怒りを覚えているんだろうな。チラリと視線をやると、神矢は総司に向けた笑みを浮かべている。
思わず山南さんを突いて、神矢の表情を見るように促した。訝し気に神矢を振り向いた山南さんは、神矢の表情を見てはっとする。
あの日、総司は神矢や千鶴に絡んでいる間中、頭の上でいきなり雪玉が溶けるという事態に見舞われ続け、ひっきりなしに冷たい水を被っていた。
それ以後も、神矢が千鶴と共に用意した食事は、時間が過ぎても何故か汁物が温かいままだったのだが、総司の分だけはそうなっていなかった。気の毒がった近藤さんが自分の分と取り換えてやると、汁物はあっという間に冷めてしまい、総司の目の前に置かれる時には冷めている。
どういう仕掛けなのか、あの総司が足を滑らせて廊下から雪の降り積もった庭へ転落して埋まる事も珍しくない。
それは必ず、神矢が屯所にいる時に起こるのだ。
最初の夜、監視の為に見張る心算で廊下にいた斎藤と二人、部屋に招き入れられた時。湿ってカビ臭い筈の布団が乾いていた。
布団は乾いていたのに、部屋の中は一晩中、微かな湿りを帯びていて、明け方、神矢が目覚めると同時に少しずつ乾いて寒くなっていった。
何かは知らねぇが、八神も神矢も自然現象の何かを操る力があるのは確かなんだろう。神矢の力は、水に関わる物を操れるような気がしている。
綾乃と煉も何か力を持っているらしいが、それを操るのは禁止されているらしく、何か不思議な事態を起こしたという気配はない。
つまり、神矢の最終警告の笑顔とやらは、無視するとその力を使って報復に出るという合図らしい。
「……失礼。つい警戒心が強くなっていましてね。」
「……ここで癇癪を起こして情報を与えないなんてしたら、後々響きますからね。私が感情で行動を左右されない人間である事に感謝してください。」
にっこりと『最終警告の笑顔』並みの笑顔を作って、神矢は告げた。
「まったく、話がちっとも進まないじゃないですか。」
文句を言いつつ、小舟を操る様には微塵も乱れはない。
「さて、と。まず、あれが西洋の魔物の血を元にした物だという話はしましたね。」
「ああ。しかし、魔物なんてものが本当にいるのか?」
「いますよ。いるからこそ、うちの一族はこの時代でも既にかなりの蓄財をなしている筈ですからね。」
財産家の家系なら、ご先祖に向かって子孫だから養えと申し出ればいいだろうに。
「うちの一族みたいなのは、うちだけじゃなく他にもいるんですが、操れる力の種類は違います。私と和麻さんは、うちの一族では本来操れない筈の力を持っていましてね。一族の力を最強と信じている一族は、私達の力を侮蔑の目で見るんですよ。私達の時代の宗主は綾乃の父親で、そういった考えを持たない方ですから、私も和麻さんも表向きの扱いは、一族ではない者故に侮蔑を受ける謂れなし、という事になっていますが、一族の連中は内心で反発し捲りなんですよ。」
つまりこの時代の一族とやらは、神矢と八神の存在そのものを厭う連中だという事か。いや、寧ろ、一族の恥として暗殺者が送り込まれてこないとも限らない、のか?
「お前達には新選組に身を寄せたい理由がある、というわけか。」
「正解です。元の時代に戻る為にも、新選組に身を置いている必要があるみたいなんですけれどね。」
神矢が今まで川の中心を滑るように進めていた小舟を岸に寄せた。
すると、後ろに着いていたらしい舟が追い越していく。監察方の平隊士だ。監察方は俺の直属とはいえ、山崎と島田以外には『変若水』の事は知られていない。その事を、神矢は知っているのだろうか。
「そろそろ昼時です。お二人の分もおにぎり作ってきましたので、ここらで食べませんか?」
小舟は岸に着けられたといっても、辺りは石がごろごろ転がっている河原で、枯れた葦が高く穂を成している場所からも離れて見通しが良い。隠れる所がない。
舟が流されないように手早く立てた櫂に縄を絡めた神矢は、船底に置いていた荷物を開いて握り飯を差し出した。倒れないように置いていた竹筒も、俺と山南さんにそれぞれ手渡してくる。竹筒の中身は茶だ。呆れた事に、屯所を出てから時間が経っているのに、竹筒の中身は俺好みの熱い茶だ。
「あれに改良の余地はあるにはあります。それでも精々日の光に耐性が付くかどうかくらいのものでしょう。」
「方法は?」
「北の地の水に秘訣があるらしいです。希釈率などは判りませんよ。綱道氏が実験を繰り返した結果辿り着いた事らしいですけど、それ以外は改良されなかったようですからね。」
「北の地って、綱道さんの居場所を知っているのか?」
「いいえ。綱道氏の経緯については、想像の域を出ない状態でしたから、今現在の居場所は不明です。ただ、彼が逃げ出した理由は、研究に向かない環境というのは本当の所ではないでしょう。」
「どういう事です?」
「……千鶴さんの負わされた運命は、新選組が負うそれよりも遥かに重く過酷。それを千鶴さんに負わせたのは、討幕派と見逃した幕府。それ故に綱道氏は、研究成果を幕府に与えたくはなく、討幕派を実験体に使う事に良心の呵責を覚えないのです。」
千鶴が新選組にとって切り札になるというのは、綱道さんの娘だから、という理由ではない、という事なのか。
「話を戻しましょう。」
食べ終わり、ひと時休憩をした頃、神矢は立ち上がって再び小舟を操り始めた。
「あれらの習性として、陽の光を厭い、吸血衝動を覚え、抑制が効かなくなれば血に狂う。首か心臓を狙うしか仕留める術がない、で合ってます?」
「ああ。」
囁くような声で話している筈なのに、艫に立つ神矢の声は舳先に腰を下ろす山南さんまで届いているようだ。
「貴方方が得ている情報もそこまでですか?」
「……そうだな。」
「では覚えておいてください。普通の人間にとっては銀は毒足り得ないけれど、あれらにとっては銀は毒に値します。普通の人間が受けた刀傷よりも、あれらが銀で受ける傷は重く深手となり治り難くなります。」
銀が『羅刹』の弱点だと?
「普通の人間にとっては銅の方が毒なのですが、あれらには銀の方が毒です。」
銀、か。
銀は貨幣として流用されている。そんな物を使って刀を作ったらとんでもなく高価になるな。
「それと、あれらの回復力や膂力はどこから来ていると思います?」
「何処からって、そりゃ『変若水』の所為で……」
「あれを飲んだだけで、無尽蔵に力が湧くわけではないでしょう?」
「……なるほど。そういう意味ですか。」
意味が掴めなかった俺と違って、山南さんは意味が理解ったらしい。
暫く考え込んでいたが、考え考え口を開いた。
「確か、『変若水』の元になった魔物は不老不死だという事でしたね。『変若水』を飲んでもそうはならない、と?」
「ええ。厄介な習性ばかり受け継いでいますけれどね。」
「不老不死ではない。普通の人間にとっては害のない銀が害になる。傷の治りの速さや膂力の源……。」
眉間に皺を寄せて考え込んでいた山南さんが、ふっと息を吐いて目を閉じた。
「降参です。判りません。」
「……生命力です。」
「「生命力?」」
知らず、山南さんと俺の疑問の声が揃った。
「その人間が一生懸けて使う生命力を、一時的に注ぎこんで傷を治したり、爆発的な筋力にするのです。」
一生懸けて使う生命力を短時間に使っちまうって事は、寿命が来たら命が尽きるって事になるのか?
「寿命を使いきれば……。」
「灰になって骨も残りません。」
「「!」」
「『羅刹』に未来はありません。力を求めて『変若水』を使えば、引き換えに失われるのは残りの寿命です。そして『羅刹』に身を墜とせば最後、吸血衝動から逃れる術はありません。吸血衝動を堪えて正気を保ち続ける事など、例え幹部でも自殺行為です。意志の力で吸血衝動に耐えれば、それもまた寿命を縮めるでしょう。」
ギリッと歯噛みする音が響く。見ると、山南さんは神矢を睨みつけていた。その視線を正面から受け止めて、神矢は静かな眼をして見返している。
「『変若水』を使って『羅刹』になるという事は、その身を魔物に貶める事なのです。魔物の体に人間の心を宿す事はかなりの苦痛を伴います。」
「『変若水』は使い道がねぇ代物だって事か。」
「……大怪我が元で消えようとしている命を繋ぎ留める事は出来ますよ。出血多量で消える筈の命を繋ぎ留めるというなら、役に立つでしょうね。残りの時間を苦痛に耐え続ける覚悟は必要ですけど。生命力を力に変換するといっても、病気に対して効力はありません。」
怪我が元で死にそうな時には、『変若水』を使って生き永らえる事は出来るわけか。
だが、それに必要なのは壮絶な覚悟。
神矢が淡々と語る声が静かな口調だからこそ、裏に潜む一方ならぬ凄絶さが窺える気がする。
「魔物、か。」
「……例え魔物に身を落としても、守りたい者を守れる力が手に入るなら躊躇わない。そんな表情をしていらっしゃいますね。」
俺の呟きを拾った神矢が、苦笑を浮かべて言葉を紡ぐ。
「それもまた、一つの生き方ではありますね。唯、肝に銘じておいて下さい。貴方の覚悟を理解した上で、心を痛める者もいるのだと。貴方がお仲間を心に掛けるように、周囲も貴方方に心を掛けるのだという事を忘れないで下さい。」
未来から来たから、俺達の生き様を知っているという。
見透かしたような言葉は、俺達の一生を知っているからこその言葉、というわけか。
「俺達は、お前から見たら痛々しい生き方をしたのか?」
「痛々しいとは思いません。不器用な生き方をなさったとは思いますけれどね。ただ、土方さんはご自分で何もかもを抱え込み過ぎていらしたと思います。貴方がご自分だけで抱え込もうとする姿勢は、いずれ近藤さんを追い詰める。」
「何っ!?」
俺が近藤さんを追い詰める?
「貴方は苦い事は全て自分で抱え込んでしまって、近藤さんに苦痛は味合わせまいとしているでしょう?」
「……」
「貴方にとってはご自分の夢の為という意識がおありなのでしょうけど、貴方ばかりが苦労を抱え込んでしまう姿は、見守る側にとっては心配なだけなんですよ?」
「心配なんざ、余計な……」
「貴方のお仲間は、情の薄い方達なのですか?」
俺の言葉を遮って、神矢は静かにだがえらく強い口調で言った。
「近藤さんは、貴方のご苦労を見る力のない方ですか?」
そんなわけねぇだろうが。
うちの大将は、おおらかで懐が深くて情に篤いんだ。
「どうしても苦労を抱え込みたいなら、周りには見えないように熟しなさいませ。」
微かに眉を顰めて浮かべた笑みは、子供の悪戯をいなす母親のようだった。
俺より年下だが、随分肝の座った女みてぇだな。
「土方君を言い負かすとは、神矢君は大したものですね。」
俺が苦労を買って出ているのは俺の勝手なんだがな。
溜息を吐くと、山南さんがふと口元を緩める姿が目に入る。
「鬼の副長に向かって真っ向から意見とは、随分と度胸がありますね。」
山南さんが楽しそうに笑い含みの声で言う。
神矢は肩を竦めた。
「感情で処断する人ではないでしょう?」
神矢はさらりと言ってのけた。
本気で俺の性格や思考を把握してやがんのか?
その後は、雑談になった。
驚いた事に、神矢は伊吹の存在まで知っていやがった。
上京する途中で拾った事も、奴が『変若水』や『羅刹』の存在を知っていた事も、芹沢さんに拾われ、武士を嫌いながらも何故か俺達に懐いていた節があった事も。
細部までは知らないようだったが、その存在を知っているだけでも充分、俺達の機密を握っているという事だ。
「態々そんな事まで話して良いのか?」
利害が一致するというのは、あくまでも神矢達の言い分を信用しての場合であって確証があるわけじゃねぇ。
にも拘らず、そんな事まで明かせば、自分達の置かれた状況を悪くする事が理解らねぇ馬鹿じゃねぇ筈だ。
真意を問うように見つめれば、神矢は苦笑して肩を竦めた。
「未来から来たのだと言ったでしょう? 明確に言えば、何をすれば確実に私達が元の場所へ戻れるのかは判らないけれど、新選組が失った人材を失わずに済む術があります。上げ損なった功績を上げる術も判ります。」
神矢にとっては過去の事、なのだろう俺達の歴史。
これからの俺達に何が起こるのかを知っていながら、全てを語ろうとはしない。
それはおそらく、俺達の未来というものはあまり明るくはない、という事なのだろうな。
小舟だけ借りて船頭は要らないと言った神矢の意図は始めは判らなかったが、人目がない所での船の速さは尋常じゃなかった。
人目のある所では、周りと然程変わらない速さで進む船が、人目がなくなると馬で疾走するほどの速さになる。
一体どういう仕掛けなんだか。
何はともあれお蔭で予定よりもかなり早く小舟は大阪の町に入った。
新選組の常宿に小舟を着けた。
船宿は江戸じゃあ出会い茶屋と似たようなものが多いが、大阪は武士より商人が幅を利かせている町なだけあって、大通りと堀に挟まれた商家や宿が割と多い。
借り受けた小舟を流されないように係留し、小路に上がって宿の表に回る。
大阪相撲との縁で逗留する事の多い宿だ。
隊務で赴くとはいえ、道中は隊服を纏ってはいない。
それでも何度か出向いて利用している所為か、宿の呼び込みをしている小男は俺達の顔を覚えている。
「これは…土方様、山南様、いらっしゃいませ。御案内致します。」
暖簾を潜ると、小男の声を聞き付けたのだろう主人が顔を出した。
「いらっしゃいまし。今回のご逗留は如何ほどのご予定でございますか?」
「また世話になる。用事が済み次第戻るが、2,3日で済むと思う。悪いが今回は二部屋か、広い部屋かにして貰えるか?」
「は……」
疑問を投げ掛けようとして、俺達の影にいる神矢の存在に気付いたらしく言葉が停まる。
「初めてお見掛けするお顔でんな」
「神矢と申します。山南総長の小姓としてお供しています。宜しく頼みます」
他人の前で話す時の神矢の口調は、丁寧だが男にしか聞こえない。声も幾分低めになり、高めの男の声と聞こえない事もない。
「この旭屋の主人の伍平です。神矢様でんな。宜しゅうお頼みします」
小首を傾げるように頭を下げる仕草をしているのに、神矢に女らしさは感じない。動きの切れが良く凛々しいからか。
「二間続きのお部屋がございます。そちらに御案内致します。お波、藤の間に御案内申し上げておくれ」
「へぇ、畏まりました」
女中頭のお波とは既に顔馴染みになっている。
愛想よく先導するお波についていくと、常もの部屋とは棟が違う部屋へ案内された。
「神矢様、初めてお見掛けしますね」
「お波さんだったか? 世話になる」
「へぇ。新選組の方は皆さん、お顔の整った方が多いですねぇ」
「顔の良し悪しで町の評判が良くなるものなら、間違いなく極上だろうにねぇ」
神矢がしみじみとした口調で言う。
「おい」
流石に声を低くして咎めの意味を込めたが、神矢はヘラりと笑っている。
「まあまあ、土方君。お波さんも神矢君も、私達の顔が良いと言ってくれているのですから」
「山南さん。顔と剣の腕は別物だろうが」
「醜男と言われるよりは良いのではありませんか?」
飄々と返してくる山南さんは、神矢に対して警戒心を失ったわけではないらしいのに、息が合っている。思わず溜息を吐くと、お波がくすくすと忍び笑いを漏らす。俺の機嫌を憚っているのか、我慢しているようだが、殺し切れていない笑いが漏れている。
途中で休憩を入れてはいても、ほぼ一日中小舟に座ったままでいたので疲れている。
今夜は早々に休んで行動を起こすのは明日からだ。
「本当に、幹部を抜きやがった」
ポツリと呟く永倉さんの声はどこか呆然としている。
土方さんの眉間の皺が深い。
新選組は最強でなければいけないのだから、たった一人に生え抜きの幹部が全員試合でとはいえ負けたなんて、冗談にもならない筈だもの。
「さぞや名のある剣士なのだろうな。」
斎藤さんが後ろから声を掛けてきた。
驚きもせずに振り返った私に、斎藤さんが眉を顰める。
「殺気のない人に背後を取られたからとて慌てる必要はありませんでしょう?」
「殺気を消している相手ならばどうする?」
「生憎と、危険は察知できる性質です。でなければ今頃ここに立っていませんよ。」
危険を察知する感覚は持ち合わせている。
それを行使して逃げる事が出来ない立場だっただけで、避けるくらいは当たり前だ。時には姿を現す前に攻撃を仕掛けてくる相手と対峙してきたのだもの。
殺気を放つも隠すも自由自在に出来るくらいでなければ生き残れない戦場を駆けてきた。況して身内の筈の者達からいつ攻撃を向けられるか判らない環境で生きてきたのだもの。
「生憎ですが、名は知られてはいませんよ。私は、ね。」
「お前ほどの者が、か?」
「和麻さんが強過ぎるので、私など霞んでしまいますからね。」
肩を竦めると、斎藤さんは我関せずの態度のままの和麻さんに視線を向けた。
「八神は証明したわけではないからな。」
「あら? 斎藤さんほど気配に敏感な方なら、和麻さんが気を抜いているようでいて隙がない事、お解りかと思いましたが?」
目を閉じてまるで転寝をしているような和麻さんの態度に、斎藤さんは目を細める。
当然の反応だろうけどね。
「和麻さんの剣戟は鎌鼬を起こせるんですよ。それに、あの人と殺し合いをして生き残った人など今までいません。」
「へぇ。それは是非、手合せ願いたいな。」
沖田さんも会話に加わる。
「只働きは一切しない人ですから。気が向けば兎も角そうでないと他人の為には、指一本動かすのにも料金を要求する人です。」
「うわっ、守銭奴だね。」
「ええ、まったく。沖田さんを更に不真面目……いえ、土方さんとほぼ正反対の性格、かしらね。」
「へぇ。鬼副長と正反対な性格、ね。じゃあ、優しくて甘くて柔らかくて……。」
「総司。聞こえてるぞ。」
土方さんの突っ込みが入る。
「ほぼ、と言いました。厳しいところは土方さんと一緒ですよ。」
溜息混じりに答えると、土方さんが眉を顰める。
「俺の事を良く知っているような口ぶりだな。」
「沖田さんは割と末っ子気質ですけど、土方さんは末っ子の割にはその気質が薄い人だという事は存じてます。」
「ほう?」
「面倒見の良い方だという事は、雪村君が懐いている事からも理解りますし?」
軽く首を傾げて口元に笑みを浮かべる。
千鶴ちゃんは、綾乃や煉と共に幹部達の後ろから見学していた。
その千鶴ちゃんに視線をやると、呼ばれたと勘違いしたのか、トコトコと寄ってきた。
「凄いんですね、静香さん。新選組の皆さんは相当お強いのに。」
「まぁ、実戦ではないし。」
「試合だから勝てた、と?」
「実戦なら、一対一とはならないでしょう?」
「確かにな。」
土方さんが息を吐く。
新選組の戦い方は、何も正々堂々の対決というわけではない。平隊士なら強い相手には大勢で囲んで対峙する。幹部は囲まれる側だけれど、彼らをして簡単に勝てない相手なら、個人で対する事はない。
風間千景は後に幹部が大勢で対峙した時に、弱いから群れるなどと侮っていたけれど、相手を見縊って負けるなど愚の骨頂の行為だ。
信用して貰うには時間が掛かるけれど、そもそも私達の存在自体がこの時代では証明が着かないものだ。
傷を負ってまで始末する価値があるかどうかを考慮する材料だけ与えられれば、今のところは良しとしなければ。
「で、和麻さん。試合に応じる心算は?」
「ないな。」
にべもなく言い捨てる和麻さんに溜息が漏れる。
「腕を示しておくという気はないわけ?」
沖田さんが揶揄するように問うが、和麻さんは苦笑するだけだ。
「試合じゃ、しずが言うほど、強くはねぇさ。土方さんとそういうとこは同じだな。」
「へぇ。鬼の副長と肩を並べられる自信があるって事かな?」
「是非、相手をしてほしいぜ。」
私が女性と知っている所為か全力を出していなかった永倉さんも原田さんも好戦的な視線を和麻さんに向ける。
「だからって攻撃しないで下さいね。問答無用で反撃されますし、和麻さんは老若男女問わず、攻撃してくる相手には容赦がありませんから。」
「君は僕らが簡単に負けるとでもいう心算かな?」
「沖田さんは、鎌鼬を避け切れるほど、人間離れしてるんですか?」
人の話を聞いていなかったのだろう、と指摘すると、沖田さんは冗談じゃなかったの?と小首を傾げた。
私も本気出せば鎌鼬作れるのよね。怪我させるわけにはいかないからやらないけど。
「和馬さん、報酬出すから一戦。」
「一人だけだぞ。」
溜息混じりに答える和麻さんにほっとする。
「……総司、行って来い。」
土方さんが気が進まない、という体で口を開く。
沖田さんは自分の剣に自信がある所為か、和麻さんの力量を瞬時に測る事は出来ないのか、喜々として木刀を手にした。
和麻さんは飄々とした態度のまま、だらりと木刀を構えるでもなく横に下ろしたままで立つ。
いきなり間合いを詰めた沖田さんが放った三段突きを余裕で躱してしまい、軽く跳躍して沖田さんの後ろを取る。
普通の人間なら、項に木刀を当てられてジ・エンドになる所だろうけど、沖田さんは流石に咄嗟に後ろに下がった。
沖田さんが空かさず横薙ぎに払った木刀に向けて、和麻さんが鋭く木刀を振り下ろし、次いで先端を上げる。
コン! カラン、カラン!
「何っ……!?」
振り切った沖田さんの木刀は、本来なら和麻さんの胴に入る位置だろうけど、和麻さんは平然と佇んだまま。
私は和麻さんが切った沖田さんの木刀の先端を拾い上げる。
「勝負ありましたね?」
切られた木刀の先端を翳して見せると、土方さんは瞬間息を飲んだ。
「……一本、八神!」
土方さんが宣言すると、沖田さんは呆気に取られた表情で短くなった木刀をまじまじと見ている。
「八神が鎌鼬を起こせるという話は本当だったのだな。」
斎藤さんがぼそりという。
「眉唾物と思いました?」
くすりと、小さく笑って横目で見遣ると、斎藤さんは幾分悔しそうな表情をしている。
この人も存外負けず嫌いらしい。
まぁ、試衛館出身の幹部は誰も皆負けず嫌いなんだろうけどね。
「八神に攻撃するなといっていたのは、こういう事か。」
斎藤さんが納得したように呟く。
「そうですよ。反射的に反撃すると、咄嗟に鎌鼬が出るから、怪我だけで済む保証がありません。」
「正しく一撃必殺の剣、なのだな。」
「和麻さんが本気になると容赦がないんです。それこそ、ここにいる全員、助けたい者を守った上で、数瞬で片を付けられるほどなんですよ。だから本当に和麻さんに攻撃しないで下さいね。皆さんは和麻さん相手に死んでる余裕ない筈ですよ。」
新選組で名だたる剣豪の五人を、然程の手間を掛けずに抜いた無名の存在に、平隊士達が右往左往して収拾が付かなくなった壬生寺から、八木邸までぞろぞろ戻ってきた。
まぁ、今朝着替える時に晒を巻いて確り男装しておいたので、平隊士達は、取り敢えずは細身ではあっても私を若い剣士と認識していたらしい。
これで新選組に厄介になりながら隊士にならないとなると、後々平隊士の不満が出るかも知れないなぁ。
広間に戻った私達は、座する位置が変わった。上座は局長・総長・副長の三人だけど、近藤さんの左の山南さん側に永倉・藤堂・原田の三人が、右の土方さん側に、沖田・斎藤・井上の三人がコの字になり、土方さんと近藤さんの間に一歩下がって千鶴ちゃんが座る。私達四人は近藤さん達に向かい合う位置で、綾乃と煉を挟んで一番の下座に坐した。
夫々の前には源さんと千鶴ちゃんが用意したお茶が置かれている。
源さんから渡されたお茶を和麻さん達に回す前に、〝力”で〝毒味”を済ませている。
「世の中は広いって事だろうさ」
お茶を啜りながら、和麻さんが飄々と嘯く。
「例え名目上だけでも、新選組は最強である必要があるのですもの。そんなに簡単に言ってのけられては彼等の立場がないでしょう?」
「よく言う。お前が伸した張本人だろうが」
「だって、不審人物ってだけで斬られかねない。無傷で済む相手じゃないって認識して貰わないと困る」
「そんな短慮なのは沖田くらいだろうが」
「その沖田さんが問題。少なくとも速さなら新選組随一ですからね」
飄々と交わされる私と和麻さんの会話に、煉がハラハラしている。新選組のプライドを気遣っているのか、挑発に乗って騒ぎになるかと恐々としているのかも知れない。
和麻さんと私は問題はない。
でも綾乃と煉では沖田さんのみならず、幹部に後れを取る。
人外の力が操れるといっても、体は只の人間なのだから、傷を負わされては命に関わる問題になる。
現代に帰還すればそのまま戦いに突入の可能性の高い私達は、こんな所で負担を負うわけにはいかない。
「何かな? その言い方だと、僕の所為で新選組の幹部が試合とはいえ負ける憂き目に合わされたみたいなんだけど?」
「勿論、みたいじゃなくて沖田さんの所為ですよ。貴方が、近藤さんの障害になる〝かも知れない”という理由だけで刀を抜こうとするから、そんなに簡単に斬れる相手ではないと認識して頂く必要がありましたからね」
にっこり笑って言ってやる。
近藤さんに心酔するあまり、障害の可能性の段階で排除しようとする沖田さんは、はっきり言って迷惑な存在といえる。
なまじ腕が立つだけに厄介なのよね。
沖田さんをその気にさせたのは山南さんだった筈だけど、あの人もここまで沖田さんが見境なしになるとは計算外だったのかも知れない。
それに、山南さんも『羅刹』になった所為で狂気に走るんだから、留め立てする必要があるわよね。
「あんまり生意気な口利くと斬っちゃうよ?」
幾分本気を込めた沖田さんのセリフに、土方さんの隣にいた千鶴ちゃんがピクリと震える。
「良い加減になさいませ。千鶴が怯えていますよ。そういうところが見境がないと申し上げているのです。」
「…………」
「総司」
「お前の敵う相手じゃねぇ、やめとけ。」
無言になった沖田さんに、諫めるような斎藤さんの声が掛かり、止めに土方さんが溜息混じりに告げた。
新選組の剣、だというのなら、剣らしく使い手を選んだら、後は自由意志など持つな。剣が斬る相手を選ぶなら、それはもう魔でしかない。
「だって、どこまで信用できるか判らないじゃない。そもそも言ってる事が「沖田総司!」」
千鶴ちゃんの前では口にするなと言った事も忘れて口走り掛けるのを、名を呼んで遮る。
「私は貴方の事を、近藤局長第一が強過ぎて先走るだけだと思っていたのですが、本当は馬鹿なんだと認識を変えなければなりませんか?」
にっこり笑って言葉を綴る。
「わっ、出た!」
「静香……さんのあれが出た時に逆らうと碌な事ないです。」
「あれに逆らった時、流石の俺も3日くらい死ぬ思いしたな」
ぼそぼそと言い合う未来組の声を聞き付けて、永倉・藤堂・原田さんが顔を向ける。
「あれって……?」
「静香のあの笑顔は最終警告だ。あれに逆らうとあいつの気が済むまで命を狙われる。」
「はぁっ!?」
「それも気を抜かなければ躱せるギリギリのやり方で、ね。」
「しかも微塵も殺気を出さずにやってのけます。」
「おい。」
「いくら総司でも……」
「しずさんって、見掛けに拠らず怖ぇのな。」
和麻さん達のぼそぼそした会話が聞こえたらしい山南さんが、面白そうに私を見遣る。
「神矢君?」
「はい、なんでしょう? 山南さん」
山南さんに最終警告笑顔は向けない。表情を戻して小首を傾げると、山南さんが苦笑しながら訊いてくる。
「八神君達の話が聞こえたのですが、内容に偽りなし、ですか?」
「いくらなんでも、ここで即実行は致しませんよ。許可が頂けるなら実行致しますけど。」
「ふむ。実害はないわけですね。」
「まぁ、流石に間違っても沖田さんを殺すわけにはいきませんから、和麻さんに仕掛けたような真似はしませんからね。精々沖田さんの運が悪ければ風邪を曳くくらいで済ませます。」
私の言葉に仕掛ける内容に想像が着いたらしい和麻さん達が、冷や汗を浮かべながら苦笑している。
「そんなに沖田君の態度は気に障りますか?」
「貴方方にとって確かに私達は得体の知れない不審者でしょうから、警戒心を持つなとは言いません。持たないようなら馬鹿かと思います。けれど、警戒するというのと、斬って捨てて排除するのとでは、意味合いがまるで違います。不審人物だから後が面倒だと判断して切り捨ててみてから、実は自分達にとって有益な存在だったとしたらどうします?」
「……まぁ、確かに。」
「それと、新選組に敵対する心算なら、昨夜、千鶴を助けてそのまま他に駆け込んでいますよ。態々貴方方の前に姿を現す必要などありません。」
言ってから、幹部達を見回す。
近藤局長は尤もだとでもいうように頻りと頷いている。
山南さんは納得したように息を吐いた。
土方さんは思考に沈んだらしく眉間の皺が深くなった。
永倉さんは私の言葉を反芻するように真剣な顔をしている。
平助君は感心したように頷き、笑顔を見せた。
原田さんは私の視線に気付くと肩を竦める。
源さんはほっとしたように頷いている。
斎藤さんは理に適っていると思ったのか、警戒心が薄らいだ。
沖田さんは拗ねた子供のような表情のままだ。
「沖田さんは懲りないと理解できないようですね?」
にっこりと笑顔を浮かべて最終警告。
「近藤局長、土方副長、山南総長。駄々っ子へのお仕置き、開始しても宜しゅうございますか?」
「「「どうぞ。」」」
「ちょっ……近藤さん!」
沖田さんの抗議はあっさり無視された。
斯くして、自分の感情を優先して納得を拒んだお子様への、静香流のお仕置きが開始されたのである。
「さて、冗談はこのくらいにして、私達の処遇は決まりました?」
冗談なのか?
目で言いながら、土方さんは私の顔を見直して一つ咳払いをした。
「千鶴と神矢の処遇については、神矢の提案を受けようと思う。後の三人をどうするか……」
「ん~~。資金があれば、町中か島原近くに茶屋か小間物の店を開いて情報収集の拠点にして店番、とか効率良いんだけど……」
「効率?」
「和麻さん、腕も立つけど、一番の得意分野は情報収集です。」
「情報収集、ね。」
土方さんの視線が鋭くなる。
ふうん?
この人は情報戦の重要性を知っているのね。
「唯、この人。自分の腕利き具合を十分知っているから、報酬が高くって……」
思わず本気で溜息が出る。
土方さんが眉を顰めて暫く考えて、徐に口を開いた。
「相場は?」
「ん~~~と、そうねぇ……例えば、長州の過激派の情報が欲しいと要求したとして、緊急性のある情報があるなら、その内容と計画している人数と名簿、規模、決行日までそいつらが決めている分については正確なところを全て掴んできて、一件に付き十両ってところかしら」
「十両~~っ!?」
永倉さんと平助君が大声を上げるけど、原田さんと斎藤さんは考え込んでいるし、土方さんも思慮しているようだ。
「高過ぎんじゃねぇか?」
「そうですか? 忍びの者が丸二日くらい懸けて掴む情報を、和麻さんは一時くらいで掴んでしまいますけど、それでも高いですか?」
くすくすと肩を竦めながら笑うと、皆が目を瞠って注目する。
「ばかな……」
「どうやったらそんな真似できんだよっ」
「嘘だろ?」
幹部が口々に否定し、口を開かない者も信じられないという表情をしている。
「本当にそんな真似が出来んのか?」
疑わしそうに和麻さんを見遣りながら言う土方さんに、私は頷いて見せた。
「但し勤勉さを求めるのは無理ですよ。他人より仕事が断トツに速い分、思いっきりサボりますからね」
「静香、お前、褒めてんのか? 貶してんのか?」
和麻さんが声に棘を含んで口を開く。
「私は事実を申し上げただけですけど? 兎と亀で言うなら、途中で昼寝をせずに到着してたっぷり昼寝して、亀が到着する直前で次の仕事に懸るっていう性質でしょ?」
綾乃が頻りに頷き、煉は口を挟めない、フォローできないという表情だ。
「兎なんて可愛いものじゃないけどね」
綾乃の呟きに、私は思わず失笑してしまった。
「そうね。鷲か鷹だものね」
顔を顰めて言った綾乃の言い様をフォローすると、煉が頻りと頷く。
煉の反応に、土方さんは未だに信じられない気持ちのままながらも、考慮の価値ありと思ったらしい。
「確かに、事が起こってから動いたんじゃ間に合わねぇ事もあるし、間者が送り込まれてきてるしな。新選組と直接関係なさそうな出先機関があれば、情報は入り易い、か。しかし、十両となると……」
「店を立ち上げる資金と軌道に乗るまでの生活費を出してくれりゃいい。」
和麻さんがぼそりと言う。
「表向き、新選組の出入りがあるのは困る。壬生狼、だったか? 町民に忌み嫌われているようだからな。表立った出入りがあると手先だと知れて警戒される。」
「本当は小間物なら行商の方が良いんですけどね。そうすれば新選組に出入りしたっておかしくないし言い訳も立ちますから。」
土方さんの中では、出先機関としての店を構える事は決定事項になりかけてるみたい。
「ちょっと、土方さんともあろうものが、何簡単に口車に乗せられてるんですか」
はっとしたように沖田さんの横口が入る。
「本当に疑い深いですね、沖田さん。警戒心が強いのは結構ですけど、真偽の見極めが遅いのは問題ですよ。折角味方に出来る存在を疑心暗鬼で敵に回したり、早々に処分して使える力を失う元です。」
くすりと笑ってしまう。
沖田さんの視線が鋭くなる。
「事態が悪い方に傾いてからだと対処する力量がねぇんだろ」
和麻さんの痛烈な指摘に沖田さんがキッと和麻さんを睨む。
「あらゆる事態を予め想定して事態を転がしていくのが、組織を動かすって事なんだよ。可能性の段階で摘み取っちまったら、有効な目も掴めねぇぞ」
和麻さんの言葉は、綾乃にも聞かせたい言葉なのでしょうね。
「僕は別に組織を動かしているわけじゃ……」
「独断で近藤局長の障害になる事をしでかす心算か?」
「……っ!!」
和麻さんは、既に沖田さんの弱点は見抜いているわけね。
「神矢達と俺達の利害が一致するんだったな。」
和麻さんにやり込められている沖田さんに助け舟を出す気配もなく、土方さんが確認してくる。
千鶴ちゃんの手前、言葉を濁しながらになるけど、会話の進め方上手よね。言葉を濁すと何か隠しているって判り易いけど、抜かれていると案外気付き難いものだわ。
「そうですね。」
「なら、神矢の提案を検討してみる価値はある。準備が整うまでは、新選組の客人として扱わせてもらう。近藤さん、別宅でこの三人を扱って貰う事、出来るか?」
「ああ、構わんさ。神矢君と千鶴君も暫くは向こうの方が良いだろう?」
ベストの条件を引き出せたみたいね。
「なら、この件は其れで決まりだな。」
土方さんが肩の荷が下りたように溜息を吐く。
会談の間に天気が回復し、昨夜降った雪が解けかけるほどに好天になった。
「皆さん、隊務がおありでしょう? 非番の方はどなた?」
「非番は俺だが……」
斎藤さんが何の用だ、と視線を向けてくる。
斎藤さんは確か、非番でも刀の手入れと鍛錬で時間を潰す人だった筈。だったらこちらに付き合って貰ってもあまり支障はないわね。
「屯所の中を御案内頂けますか? ついでにお掃除やお布団干しをしてしまおうと思いますので、支障のないように御指導頂けるとありがたいのですけど。」
少し逡巡していた斎藤さんは、土方さんの顔色を窺った。土方さんは『支障がないように』と言った私の言葉の真意を汲んでくれたのだろう。頷いて見せている。
「判った。俺の都合もある。邪魔にならない範囲で付き合おう。」
「ありがとうございます。」
斎藤さんにも土方さんにも笑みを向けて頭を下げた。
これで案内という名目で監視が出来るから問題はない筈だわ。
「あたしも手伝った方が良い?」
綾乃が申し出てくれたけれど、和麻さんは手伝ってくれる気ないだろうしな。
「囲碁なり将棋なり、あります?」
唐突に尋ねた私に土方さんは訝しそうに眉を顰めた。
「近藤さんが持ってたか?」
「ああ。あるとも。」
「斎藤さんは、嗜まれます?」
「……少々は。」
意味が理解らないのだろう一様に不審げにこちらを見ている。
「和麻さんを放置できないから、申し訳ないけれど、斎藤さん、囲碁なり将棋なりで相手してやって頂けます?」
和麻さんは、手伝う気があるなら役に立つけど、そうじゃないなら邪魔にしかならないと思う。
「承知した。」
「あの、僕もお手伝いします。」
煉も申し出てくれた。
千鶴ちゃんと四人、斎藤さんの案内で屯所中を駆け回り、掃除と布団干しを断行した。
千鶴ちゃんは、流石実質主婦業を担っていただけあってまあまあ手際が良い。
屯所内で陽当たりが良い割に人通りの少ない場所に布団を並べて陽に当てる。無論、その前に拭き掃除を済ませておいてからだから、実質布団を日干し出来る時間は短いが、そこは〝力”を有効利用。
布団を干した傍を雪搔きし、その場で煉に焚火をして貰って熱風を送ったから余計に乾いた。
隊務の合間に沖田さんがちょっかいを掛けてきたので、邪魔にならない範囲は好きにさせていたけれど、邪魔になる時は容赦なく冷水を浴びせた。
井戸から汲んだ水?
そんなの勿体ない。
大きな雪玉を作って投げつけ、沖田さんの頭の上で瞬時に溶かしてやったわよ。雪玉は大きくとも水になってしまえば大した量じゃないから、髪が濡れる程度にしかならないけど、どうかすると襟足に落ちるから結構冷たい筈。
折角干している布団の上では仕掛けなかったけれど、廊下などの拭き掃除の時は、雑巾を濯いで絞る手間を省くくらいの気持ちで、容赦なく仕掛けた。
沖田さんは文句を言っていたが、近藤さん、土方さん、山南さんの許可は取ってある。私の方が分がいい。
千鶴ちゃんは始終心配していたが、斎藤さんは流石に私が仕掛けるタイミングが何を意味しているのか早々に気付いたようだ。
私達が掃除をしている傍で刀の手入れをしながら和麻さんと話したり、将棋をしたりしながら、懲りずに繰り返し仕掛けてくる沖田さんを諌めていた。
昼餉の支度にも手を出しながら、掃除と布団干し。
夕餉の支度には綾乃も加わったが、綾乃は質素な食事に眉を顰めていた。
確か新選組は、怪我やら病気やらで、実働人数が隊士数の割に少ないんだっけ。
衛生と食事の管理をもっと徹底しないと資金の無駄だわね。
後で土方さんに直談判してみよう。
夕餉の支度が終了した頃には、短い冬の日は傾き始めていた。
「すっかり斎藤さんの非番を潰してしまいましたね。」
「構わん。あんた達のお蔭で干した布団で眠れるからな。」
夕食の後、近藤さんの案内と、斎藤さん、沖田さんの護衛(監視)付で、私達と千鶴ちゃんは近藤さんの別宅まで案内された。
「この寒空にのんびりお散歩はしたくないです。小走りになってもいいから急ぎましょう。」
言うと、近藤さんが気遣わしげに千鶴ちゃんと綾乃を見遣る。
「私は大丈夫ですよ?」
千鶴ちゃんはニコリと気丈に笑って近藤さんを見返した。
「あたしだって大丈夫です。」
綾乃は意地、なんだろうね。
「着いてからゆっくりすれば良いでしょう。和麻さん、綾乃と煉をお願いしますね。」
「わーってる。綾乃、煉、はぐれんなよ。」
「理解ってるわよ。」
「頑張ります。」
足を速めた近藤さんに、私は千鶴ちゃんの手を掴んで続いた。綾乃はムキになって続いて来ようとしている。ムキになって突っ走ろうとする綾乃を和麻さんが牽制し、千鶴ちゃんのスピードに合わせて近藤さんが脚を進める。ばらけないようにスピードを保ち、固まって速足で歩きながら、近藤さんの別宅まで急いだ。
文久三年の年の瀬。
『薄桜鬼』にはいない筈の私達の参戦は、一体何を求められた為なのか。
なんの力が働いて私達神凪の者がこの時代のこの場所へ飛ばされたのか判らない。
ただ、こういった場合のセオリーとして、要求されたノルマをクリアすれば元の場所へ還れる仕組みになっているもので。
セオリーが当て嵌まるかどうかは不明だけれど、何もしないというのは性分に合わないし、どうせ出来る事なんて限られているんだし、この際思い切りこの事態を楽しむに限るわ。
私個人としては、土方さんと千鶴ちゃんがカップルになってくれると嬉しいので、その方向で擽ってみましょう。
いつまでいられるか判らないけれど、この世界は恋愛シミュレーションゲームの世界だから、最悪歴史を塗り変えてしまっても支障がないと思うのよねぇ。
それにそもそもこのゲーム。俗説や史実で生き延びる人達が死んじゃったり、史実では死んでる人達が生き永らえたりしてるんだもの。
表舞台から消えれば死んだ事に出来るんだから、試衛館出身者を全員生き延びさせても問題ないんじゃないかなぁ。ゲームの中だと選択肢が決まっているけど、この世界だと選択肢は無限大のような気がする。第一、千鶴ちゃんが土方さんや近藤さんと既知の仲というのは、原作にはない設定なんだもの。尤もこの一点だけは、土方さんに一目惚れしたと思われるシーンを私が妨害してしまった為に起きたイレギュラー修正のコマンドの可能性もあるんだけど。
少なくとも、今までの時間の経過の中では、私が与えた情報を新選組は忘れてはいない。
まだ物語は序盤だけれど、明細に描かれていなかった部分や曖昧な部分は修正が効くのかも知れない。
新選組の終焉がそのまま土方さんの運命のような歴史だけれど、史実と事実は必ずしも一致する必要もない筈だもの。
新選組の終焉は変えられなくとも、試衛館からのメンバーが永倉さん以外悉く死んでしまう運命は変えてみせる。
必要なのは情報収集と健康管理、かな。
池田屋討ち入り事件とか、禁門の変とか、長州側の動向を正確に掴んで効率的に新選組が動けるようにしないと。
池田屋事件の時には隊士の半数が動けない状態だった筈だから、それを改善しないと。
千鶴ちゃんを手伝って、一部を除いて幹部の胃袋は掴んだから、平隊士の食事管理まで手を伸ばせる可能性も出てきた。何よりご飯が美味しくなった所為か、沖田さんがちゃんと食事をしている。沖田さんは食生活に問題があったから、免疫力の低下で労咳を発症したのだろうし、免疫力を上げれば、発病を遅らせる事に繋がる筈だ。
平隊士が一部屋で雑魚寝状態なのも衛生面で問題ありだけど、私に剣の稽古を着けてくれっていう申し出をしてきている人がいるから、食事と掃除を条件に出した。いくらかでも改善が見らると良いのだけど。
ッと、その前に、確か文久四年のお正月過ぎに山南さんが怪我するんだっけ。二度と刀が握れないほどの深手を負った所為で後に追い詰められて『変若水』に手を出す筈だから、深手にならないようにするか、傷の治療とリハビリをさせてもらうか、かしら。
どちらにせよ、大阪出張に同行させてもらう必要があるわね。
只着いて行くのは無理だし、不信を買うと困る。
ここはやはり、土方さんに交渉して同行させてもらうのがいいかしらね。
広間では朝食の膳は既に片付けられ、試衛館出身の幹部達は一度は部屋に戻ったらしいけれど、夫々の行動に出る前に斎藤さんから招集が掛かったみたい。千鶴ちゃんの姿だけない。
「幹部には話した」
「では、行動ですね」
「待てよ。平隊士に気付かれないようにここを出るなんて出来るわけねぇじゃんか」
口を挟んできたのは平助君。
和麻さんが綾乃や煉と一緒に現れた時の事を覚えていないのかしら。
この人は本当に行動が先んじるんだね。説明してあげないといけないのかしら。
チロリと視線を向けると、土方さんは眉間に皺を寄せている。
「平助、君、彼らが現れた時の事、覚えてないの?」
沖田さんが呆れたように口を開く。
「は? え?」
キョトンとしている平助君に、原田さんが手を伸ばして頭をくしゃりと撫でる。
「神矢が誰もいない庭に声を掛けたら、三人が突然現れたじゃねぇか」
「あ、ああ。そっか……え? じゃあ……」
「姿を消せるんだろうね。どういう方法か知らないけど」
沖田さんが、くすりと笑いを漏らして肩を竦めた。和麻さんに視線を向けるとうんざりしたように顔を逸らしている。
「山崎を待たせておくか?」
「それだと監視が疎かになりましてよ? 山崎さんを和麻さんが最初に運んで、そこへ綾乃と煉を、次いで私と千鶴さんを運んで貰うのが最良、かと」
和麻さんを見ると面倒そうに眉を顰めている。
「積極的に協力して下さるなら、無事に帰れた暁には別報酬払いますわよ。和麻さん?」
「一件に付き百万……」
「お帰りになりたくないと?」
和麻さんを遮って口を開く。一瞬眉を顰めたが、和麻さんはいかにもという深い溜息を吐いて譲歩した。
「十万だ。それ以上は負けねぇぞ」
「余分な事はその額で。必須はその半額にして下さいね」
にっこり笑ってゴリ押し。和麻さんの反論は封じてしまう。和麻さんが苦虫噛み潰した表情になってるって事は、取り敢えず了承してくれた証ね。
「話は付いたようだな」
土方さんが眉尻を下げて苦笑を隠そうとするような表情で問う。和麻さんが小さく溜息を吐いて天井を見上げる。
「監察方の山崎ってな、天井裏にいるあんただろう。降りて来い」
「和麻? 何を言って……」
綾乃の疑問の声が終わる前に、部屋の隅の天井板が一枚外れて青年が下りてくる。
呆気に取られる綾乃と煉に、私と和麻さんは揃って呆れた視線を向けた。
「二人とも修行不足です。完璧に気配を隠していたわけではないのですから読み取りなさい」
「あたしは和麻みたいに気配を読むのは得意じゃな……」
「綾乃」
綾乃の体がピクリと跳ねる。
「生きて帰りたいならこの程度の事はこなせるようになりなさい。この時代で貴女の〝力”を派手に使うわけにはいかないのだから」
「……はい」
しおしおと綾乃が小さくなる。
山崎さんを観察していた和麻さんが息を吐く。
「面倒だからな。山崎さんといったか? 三人纏めて外へ連れ出すぞ。履物を持て」
綾乃と煉に千鶴ちゃんから借りておいた草鞋を持たせ、山崎さんに視線をやると、彼も準備万端のようだ。障子を開けて辺りを窺うが誰の気配もない。和麻さんを振り向いて頷くと、和麻さんは綾乃に煉を抱き込ませて腰を抱え、山崎さんの腕を掴んで姿を消す。
予想通り大声を上げようとしていた平助君と永倉さんの口を塞ぎ、遠去かる四人の気配が消えてから二人の口を放した。
「驚いたからといって一々声を上げないで下さい」
冷たい一瞥をくれて言い放ち、土方さんに視線を向ける。
「斎藤、千鶴を呼んできてくれ」
「御意」
言われて斎藤さんが向かったのは厨の方向。朝餉の後片付けをしているのね。
斎藤さんに連れられて千鶴ちゃんが広間に現れる。
「お呼びですか、歳兄様」
ふわりと、千鶴ちゃんが常もの癒される笑顔で小首を傾げる。
「いつの間にかここにいた、では平隊士の手前困るのでな。一旦屯所を出て神矢君と一緒にここを訪れた事にして貰いたい」
用向きを口にしたのは、局長の立場上か近藤さん。困惑して土方さんに向けられた千鶴ちゃんの視線に応えたのは土方さん本人。
「そうだ。少々訳ありでな。綱道さんが行方不明というのは新選組にとって都合が悪い。今までお前に知らせてやれなかったのもその所為だ。密かに探していたんだが、これ以上隠し通すのは無理がある事が判明してな。上に報告するに辺り、お前の身柄は新選組で預かって於きたい。協力してくれないか?」
「え、でも、新選組は女人禁制では……」
困惑を深くした千鶴ちゃんに、土方さんは渋い顔をしている。
「千鶴さんは土方さんを兄様呼びしておられるので、平隊士の手前は土方さんの親族という事にしては如何です? 私が近藤さんの親族で。隊士になれなくとも、そうすれば新選組預かりの立場を取れるのではありませんか?」
「……千鶴には悪いが男装して貰って、近藤さんなり、山南さんなりの小姓にでもすればいいか」
土方さんが呟くように言うと、近藤さんが目を輝かせる。
「うん、それがいいだろうな。流石は歳、名案だ」
「じゃあ言いだしっぺって事で、土方さんの小姓に」
沖田さんがつるりと口を挟む。
「「「賛成」」」
続いて土方さん言うところの三馬鹿が口を揃えた。
「え? ちょっ……待てっ!」
土方さんが慌てるが、話はトントン拍子に進められていく。
「土方君に預ければ安心です」
山南さんが爽やかそうな笑顔で駄目押しをする。
土方さんの反論を聞いていると話が進まないから、ここは無視する方に協力しておく方が得策ね。
「そういったお話は、まずは平隊士に見つからずにここを出て改めて訪れた形を整えてからにしましょう」
和麻さんの気配がしているけど、姿を現さずに済ませる心算みたい。
「千鶴の履物は?」
話を振ると、千鶴ちゃんが反応する。
「あ、はい。何故か理解りませんでしたけど、斎藤さんに言われて持ってきました」
流石は斎藤一。使える男は状況判断力も確かね。
「じゃ、私も自分のを」
昨夜脱いだ草履を懐に入れておいて正解だったわね。草履を引っ掛けて庭に降り、千鶴ちゃんを手招きで呼び寄せる。不思議そうにしながらも寄ってきた千鶴ちゃんを抱き込んだ次の瞬間、和麻さんの力を感じた。驚いた千鶴ちゃんが悲鳴を上げないように慌てて口を塞ぐ。ふわりと体が浮き上がり、驚いて目を丸くしている千鶴ちゃんの耳元で囁く。
「静かに。折角姿を隠しているんだから。声を上げて発見されたら元も子もなくなる」
体が空中に浮く恐怖心から固くなっているけど、千鶴ちゃんは大人しくこくりと頷いた。屯所の周りの塀を楽々と越え少し進んだ所で、ゆっくりと体が地上に降りる。
ほっと息を吐いた瞬間、綾乃、煉、和麻さんに気付いて僅かな警戒心と疑問が千鶴ちゃんの顔に浮かぶ。
「千鶴。私の従妹の綾乃」
紹介されて綾乃が千鶴ちゃんに頭を下げる。
「綾乃の夫君で、親族でもある八神和麻さん」
和麻さんが眉を顰める綾乃の表情にくすりと笑ってから、千鶴ちゃんに会釈する。
「和麻さんの弟の煉」
「初めまして」
にこりと煉に屈託のない笑みを向けられて、千鶴ちゃんもふわりと笑顔になる。
「平隊士の手前、いつの間にか屯所にいた、では困るから、これから貴女と一緒に屯所を訪ねる予定の顔ぶれ」
「これから?」
「そう。こちらの山崎さんは新選組の方で、近藤さんの親族の私が繋ぎを取ったという建前」
片目をパチンと閉じて千鶴ちゃんに向けると、千鶴ちゃんが目を丸くする。
さて、と。ここから屯所まで歩いても然して懸らないわね。
「さて、ここから屯所までは然して懸らないわ。歩いていきましょう。山崎さん、先導をお願いします」
「……承知」
山崎丞という人も言葉の少ない人だわね。沖田さんの軽口の反動で、土方さんは無口な人を側近に置きたくなっているのかしらね。
山崎さんの先導で屯所に着いた私達は、彼の案内で幹部の待つ広間へ通された。
「これで千鶴さんが新選組の屯所に身を寄せる口実は整いましたね。早々に会津の松平公に使者を出す必要がありますけど、駆け引き出来ます?」
土方さんと山南さんに視線をやると、二人は力強く頷いた。
「近藤さんが矢面に立たなくちゃならねぇんだが、近藤さん、神矢が授けてくれた知恵、使えるよな?」
「勿論だ。本来なら綱道さんが行方不明になったすぐに報告したかったんだからな」
近藤さんのこういうところは卑怯なのよね。おおらかで真っ正直だけど、自分だけが正しい事をしていればそれで許される立場に甘んじているんだから。本気でみんなを守ろうという気が薄い。こういう人を立てるには、土方さんも山南さんも汚れ仕事が出来ないくらいに潔癖なのに、自覚が薄いから荷が勝ち過ぎてしまう。
「で、千鶴さんの処遇は土方さんの小姓として、私達はどうなります?」
私達が戻るまでの間考え続けていたらしく、土方さんの眉間の皺が随分深い。
「その前に、散々大口叩いたんだから、腕前見せてほしいんだけどね」
沖田さんが舌なめずりする獣のような眼をして口を開いた。
「総司」
咎めるように名を呼ぶ土方さんを無視して、沖田さんが刀を立てた膝に抱えて私を直視する。
沖田さんの食いつくような視線に、土方さんは深い溜息を吐いて諦めたらしい。沖田さんばかりでなく永倉さんや原田さんの思惑がその辺にある事を、山南さんも理解っているのか苦笑を浮かべている。
まずは沖田さんの戦意を喪失させないと話を進める事も出来ないと判断したのか、土方さんは深い溜息を吐いてこちらに視線を向けてきた。
私は苦笑して和麻さんに向き直る。
「どうします、和麻さん?」
和麻さんは面倒臭そうに一瞥しただけで返事をしない。
苦笑して和麻さんに話を振る。
「腕前披露は必須ですよ。私が雇った用心棒、なんですから」
くすりと笑いながら言うと、和麻さんは苦虫を噛み潰したような顔をする。
「大した事ではないでしょう? 貴方の腕なら〝力”を使わなくても幹部相手に負けない筈ですもの」
「……お前な。どうしてそう煽るんだ」
和麻さんが頭が痛いというように額を抑えて呟く。
「勿論、久し振りに和麻さんの剣捌きを見たいから」
語尾にハートマークを付けてにっこり笑顔で言い切ると、和麻さんは驚いたような表情で私を凝視する。
和麻さんが厳馬伯父様に厳しくしごかれていた頃、極偶に時間があった時に母に頼まれて和麻さんが私の相手をしてくれた事があった。だから和麻さんは私が一族の力を持っていない事を知っていたし、私が選りにも選って水の力を持っていた事を初めて知った一族の人間は和麻さんだ。
和麻さんは諦めたように溜息を吐いてそっぽを向いた。
私達のやり取りに綾乃が眉を顰めているが、和麻さんと私が関わっていた頃は、綾乃は他の一族の者同様に和麻さんを物の数でもないと考えて歯牙にも掛けなかった頃なんだから、不満を持たれても、ね。
「話は決まったね。道場へ行く?」
沖田さんの語尾に音符が付いてる。楽しそうねぇ。
「確か、壬生寺の本堂を道場代わりに使っているんでしたっけ?」
土方さんの視線が鋭くなる。だから、一々そんな事で睨まないでほしいわ。
本質を見極める能力もなしに組織を率いていけると本気で思っているのなら、新選組が愚直な態度を貫く誠実さを持ちながら嫌悪される存在になったのも道理だわ。
これじゃあフォローが大変。先が思いやられるわ。
「じゃ、取り敢えず、場所移動しましょうか。警戒心を持たれているのははっきり言って鬱陶しいので、さっさと払ってしまいたいですから」
くすりと笑って、態と挑発する。
この程度の挑発で動揺するなら取るに足りないけど、どうなるかしらねぇ。
内心で考えながらもそれを表には出さないように気を付ける。
ぞろぞろと連れだって壬生寺に出向くと、巡察当番に当たっていないらしい平隊士が集まっていた。
主だった幹部が勢揃いしている集団に、平隊士達がざわめく。
千鶴ちゃんはおっかなびっくりといった様子で土方さんの後ろからくっついている。
沖田さんと並んで歩く私の後ろで、和麻さんがうんざりしたように溜息を吐きながら歩き、綾乃が面白そうに、煉が心配そうに見遣っている。
近藤さんの実力の程は判らないけれど、少なくとも和麻さんはこの中の誰よりも強い事は確かだものね。
「で?」
一音で疑問を向けてくる土方さんに、私は頷いて応える。
「まずは私からお相手致しますよ」
前に進み出た私に釣られるように、周囲から人が引けていく。
真ん中に立った私に、斎藤さんが木刀を投げて寄越す。
斜め後ろから投げられた木刀を振り向かずに受け取ると、平隊士の間にざわめきが起こる。
和麻さんに視線を送り軽く肩を竦めると、和麻さんは軽く視線を伏せて鼻先で笑いを漏らした。
斎藤さんは気配を消していなかったのだし、投げられた木刀は緩い放物線を描いていたのだ。
受け取る事が難しい状態などではなかった。
軽く握ってゆっくり振る。
一振りでこの木刀のバランスを把握するくらい、私にも和麻さんにも訳なく出来る事。
「平助……」
「待って、土方さん」
平助君を指名し掛けた土方さんを遮って沖田さんが声を上げる。
「僕にやらせてよ、土方さん。神矢は散々僕を挑発してくれたんだから、応えるのが礼儀でしょ?」
「総司」
一瞬眉を顰めた土方さんが此方を窺うように視線を向けてくる。思わず失笑してしまう。
「天下に名だたる新選組の沖田総司に相手をして頂けるとは光栄の極みというもの。私は一向に構いませんよ」
沖田さんは『羅刹』の首を刎ねた時の私の剣捌きを見ているから、私の腕を把握した気になっているのでしょうけど、生憎とあんなのは普段の鍛錬並みでしかないのよね。
どうせ昨夜のも、思い掛けない手だったから油断した、なんて言い訳染みた考えなのでしょうし。
内心の余裕を隠し、態度はあくまでも真剣に。というか、どんな小物相手でも気を抜くのは愚の骨頂。
獅子は鼠を刈るにも全力を傾ける、という諺があるくらいだもの。
うっかり手抜きなんかして隙を突かれる愚を犯す心算はない。
尤も、沖田さんにだけ理解るようにわざと負ける心算ではいるけどね。
「いいか? では、始めっ!」
開始の声と共に沖田さんが素早く踏み込んでくる。
鋭い横薙ぎが走るけれど、こんなもの余裕で躱せる。次いで息も吐けぬ速さ(らしい)で面、胴、小手が撃ち込まれる。それらを悉く軽いステップで躱しながらも攻撃は加えない。
見せて貰おうじゃない、三段突きとやらを。
沖田総司を天才と呼ばせた神業呼ばわりされた技。
鬼には掠りもしなかったという三段突き。いくら鬼が人間離れしているとはいえ和麻さんの速さには敵わないでしょうけど、膂力では和麻さんに勝る筈だから、それを防ぐには相当な速さが必要になる。だから掠りもしなかった沖田さんの三段突きの速さを確認したい。
殺気と勘は確かに人並み外れて良いけど、天才呼ばわりは永倉さんが書いた手記で大袈裟に褒め称えているだけじゃないの?
隙だらけじゃないの。態と負けるにしても、こんなに未熟なんじゃ、負けてあげる気にもなれない。
小さく舌打ちして態と隙を作る。
勿論足を滑らせて出来た隙のように装って。
案の定、簡単に誘い込まれて三段突きを撃ち込んできた。仕方ない。三段とも木刀で受け止めて流す。
目を瞠ってる場合じゃないわよ。もう少し根性入れた撃ち込みをしてちょうだい。
沖田さんの耳に届く程度の舌打ちをする。
「これで本気を出してる心算? これじゃあ負けてあげる事も出来ないじゃない」
鍔迫り合いをしながら囁くと、沖田さんが目を瞠った後、視線を鋭くする。
瞬時に、剣のスピードが増す。
なんだ、やっぱり力を抑えていたのね。
神業と称えられていようと、所詮はこの時代の日本人の運動能力の域でしかないという事なのかしらね。
現代に置き換えれば、剣道を嗜む一般人よりは強い、というくらいだ。
全国大会優勝クラスの和麻さんを相手に鍛錬した経験がある私にとっては、楽な相手でしかない。
尤も、和麻さんと比べる事自体が無茶なんだけど。
それでも、このくらいじゃ、負けてあげるわけにはいかないわね。
「百五十年の時間の流れは伊達じゃないのよ。沖田さん」
「え?」
驚いて一瞬止まった沖田さんに、五段突きをお見舞いする。
但し切っ先が当たる程度。
はっとして慌てて飛びずさった沖田さんに、飛んだ方向から横薙ぎに剣を振る。
「一本、神矢!」
スパン!と小気味のいい音がして胴が入ったのと、土方さんの判定の声が上がるのが同時だった。
私の勝利を周囲が認識したのは、沖田さんが膝を着いてからだった。
起きたのは歓声ではなくどよめきだ。
当然だろう。
新選組は最強軍団と自負し、そうあるよう鍛錬をしてきただろうし、平隊士は沖田さんのしごきで簡単に沖田さんに伸されているのだろうから。ぽっと出の若造に負ける沖田総司など、新選組の沽券に関わるだろう。
5,6人が木刀を振り翳し、2,3人が真剣を抜いて一斉に掛かってきた。
さては一番組で沖田さんの下に就いている隊士達ね。
仕方ないな。
乱取りの心算で隙だらけの隊士達を叩きのめしていく。
この程度の事で真剣を抜くような冷静さに欠ける輩は況して隙だらけだ。
ヒュ~♪
楽しげに和麻さんが口笛を鳴らす。
「腕を上げたな、静香のやつ」
「兄様、何を呑気な。いくら静香姉様でも……」
「大丈夫よ、煉。静香姉様ったら遊んでるわ」
綾乃が呆れたように言うと、煉も冷静になったらしく慌てていた声が平成に戻った。
「静香姉様、剣は得意ではないと仰ってませんでしたか?」
「あいつは実戦向きだからって截拳道を使うからな」
「この時代に截拳道を持ち込むとタイムパラドックスが起きるんじゃ……」
「そのままじゃな。だが、勝つ為には手段を選ばないってのは新選組の真骨頂だろう。少しくらいなら使っても問題はないだろうさ」
和麻さんは流石常に冷静よね。
仰る通り、截拳道を使っても、土方さんの喧嘩剣法と然して変わらないだろうと踏んでいるけど、それは平隊士や沖田さん相手に出すほどの代物ではないわ。平隊士如き、私の剣道で十分よ。
一斉に掛かってきた連中を全員、床に沈めて見回すと、呆気に取られた土方さんと目が合った。
肩を竦めると、土方さんははっとしたように息を吐いて声を上げる。
「何をやってやがる! 恥晒しな真似してんじゃねぇっ!」
顔色を変えて後に続こうとしていた平隊士達の脚が止まる。
くすりと笑いを漏らすと、隊士達の視線が集中する。
「鍛錬の時に、沖田さんに乱取りで簡単にあしらわれている人達が、沖田さんに勝った私に敵うと本気で思ったのですか?」
「貴様……っ」
ダンッ!
土方さんが手にしていた木刀で床を打つ音が響く。
「俺ぁ、恥晒しな真似をするんじゃねぇと言った筈だぞ」
低い声がどすを効かせて響く。
「お前もだ、神矢。うちの隊士を挑発せんでくれ」
「この程度の挑発に簡単に乗るようでは、いざという時に役に立ちませんよ」
握ったままの木刀を軽く振って言葉を紡ぐ。
「いざという時?」
「沖田さんはご自分の腕に自信がおありになる所為か、相手の力量を見極める力が不足しているようですね」
言いながら沖田さんを見遣ると、沖田さんは悔しそうではあるけれど不思議そうではない。
流石に打ち合って力量差を認めざるを得なかったかしらね。
「土方さん並に強い方は、気力で実力以上の力を引き出してしまわれる事もありますけど、本番で実力以上の力を出せるなんて早々出来る事ではないんですよ。相手の実力を瞬時に測り、対応するだけの力量を発揮するにはどうしたらいいか、自明の理でしょう?」
嘗て、赤穂浪士が吉良邸に討ち入りし、死者を出す事無く吉良上野介を討ち取る事が出来たのは、一人に対して数人掛かりで立ち向かったからだ。堀部安兵衛は吉良家の家臣の中で一番の剣客とされた清水一学と一対一で対戦しているが、それも清水一学が他の志士と対して体力が落ちた後の事だ。
「数で掛かれば力量差があっても討ち取れる、なんて頭から決めて掛かっているなら認識不足もいいところです」
土方さんが深い溜息を吐く。
「一々尤もで耳が痛いな」
「精進あるのみでしょうね」
肩を竦めると、土方さんに斎藤さんが歩み寄っていく。
「副長。神矢との試合、俺にもさせてもらえませんか?」
「あ、あ~、神矢?」
「……構いませんよ。幹部の方全員抜きをしますか?」
「自信満々だな」
「沖田さんと斎藤さんが、私にとっては難関なので。お二人を抜く事が出来れば後は何とでも」
「言うねぇ」
永倉さんが好戦的な表情になる。
「無理に挑発してんじゃねぇよ、まったく」
和麻さんが苦虫を噛み潰した表情で呟く。
煉ははらはらと見ているようだけど、綾乃は不審そうな表情になっている。綾乃から見たら私の行動は不審でしょうね。
この時代で余分に目立つのは命取りだと言っている私が、新選組の幹部をごぼう抜きなんてやらかしたら間違えば記録に残ると思うでしょうから。でもね? 新選組の幹部を叩きのめす者がいようといまいと、日本の歴史に影響はないのよ?
斎藤さんの特技は抜刀術。所謂射合い抜き。試合ではあまり使われない技だけど、この人の場合はかなり極めていそうなのよね。
沖田さんはイケイケだったから読み易かったけど、この人は静かな分、沖田さんよりは読み難い。けど、足音をさせているようではまだまだね。
間合いを詰めてスピードを読んで剣筋を測り、避けて反動を利用して振り抜く。バランスを崩した隙を突いて小手で木刀を落とす。
よし!
「一本! 神矢」
斎藤さんをして驚愕に目を瞠っている。
「随分早い」
「ありがとうございます。和麻さんと比べたら半分にも満たない速さですけどね」
「八神殿はそんなに速いのか」
「ええ。最早人間の域を逸脱していますからね」
ウインクをすると、感心したような視線を和麻さんに向けた。和麻さんは何処吹く風である。
それにしても、沖田さん、斎藤さんと続くと癖が強くて切り替えしなくちゃだから結構クルかも。
乱取りとかなら複数分を自分に都合よくリズムを作ってしまえばいいけど、一人相手だと相手を自分のリズムに引き込むのは案外大変なのよね。沖田さんも斎藤さんも若い割に熟練度が高いから。
「んじゃ、次は俺様が行くとしますか」
名乗りを上げたのは永倉さん。
この人は、試衛館出身者の中では一番癖がない正統派だから楽といえば楽なのよね。
強い事には変わりないけど、剣を振るう時には計算よりも勘だから、
速さで沖田さんに劣る以上勝てない相手じゃない。
青眼に構えた永倉さんに合わせて青眼に構え出方を待つ。
一歩踏み込むと同時に振り上げたので、軽く横に動いて構えた木刀で流すように受けて滑らせるように流す。
方向を操り、永倉さんが反転する前に、受け留めていた木刀の角度を変えてそのまま突き込む。
仰け反って避ける処へ続け様に撃ち込む。
沖田さんの三段突きを真似て撃ち込んでみたが、ぎりぎりで躱された。
脚を停める事無く移動しながら、永倉さんが体制を整えて横薙ぎに払ってきた木刀を、立てた木刀で停め、袈裟懸けに撃ち込んで来ようとするのを避けて擦れ違い様に脇に撃ち込む。
パンッ!
小気味のいい音が響く。
「い、一本! 神矢」
土方さんが狼狽えたように判定する。
試合、となれば永倉さんが試衛館出身者では一番強い筈だから、無理もない反応なのかも知れない。
土方さんの視線が鋭くなっている。
あらら? もしかして読みに走っている?
「休憩を入れるか?」
あ、やっぱり。
くすりと笑って、小さく首を振る。
「続けてで構いません」
「……平助、思い切っていけ」
「応さ!」
軽い身のこなしで立ち上がった平助君の剣は、正統派の永倉さんとは大違い。
服装と同じで、基本や規則性を無視している。
熟練度が足りない所為か無駄な動きが多いから、読み難いけど体力消耗も激しいわね。
次々繰り出される技を軽く躱しながら観察を続ける。
癖は強いけど、性格かしら、かなり素直な剣筋だわ。
これは気合で強いクチみたいね。
撃ち込んでくる剣を躱し流し、相手の力を利用して体力消耗を防いで凌ぐ。隙だらけ過ぎて決め所に悩みそうだわ、これは。
苦笑して、時間のロスを抑える為に、平助君の小手を受けた木刀を跳ね上げて、そのまま振り下ろし肩に叩き込む。
「あっ!」
負傷するほどの力は入れてないけど、手にしている木刀を落とすくらいの力は入れたから、もしかしたら痺れくらいはあるかも知れない。
「一本、神矢」
土方さんの声にはもう驚きは含まれていない。
平助君は顔を顰めて肩を抑えていたが、荒くなった息が収まる頃にはほっと息を吐いて立ち上がった。
「すげぇな、神矢」
「ありがとうございます」
すっと頭を下げる。
「続けていけるか?」
背中から掛かった声に振り向くと、好戦的な笑みを浮かべた原田さんが、既に木刀を肩に掛けて立ち上がっている。楽しそうな表情でそれこそウキウキしている。
「あ~、やる気満々、ですねぇ」
苦笑して、正位置だろう真ん中に戻る。
身長差は和麻さんと然して変わらないけれど、流石に体格差は威圧感を感じるくらいだわね。尤も、これくらいで気押されたりはしないけれど。
確か原田さんは隊士に稽古を着ける時に、相手に合わせて剣を振るう人だった筈。もしかしてバリエーションを楽しめるかも。
私もつい、期待にワクワクしてしまう。
「なんか、静香姉様、楽しそうですね」
ぼそりと煉の声がする。
和麻さんが、観察するような視線を原田さんに向ける。
綾乃は不思議そうに私と原田さんを見比べている。
足を踏み出し、横薙ぎに剣を払う。
軽く横へ飛んで躱されるのは計算の内。
そのまま走り込んで間合いを詰める。
リーチを使われたら私の方が不利。
原田さんが間合いを置けないように、小刻みに次々撃ち込み、擦れ違いざまに脇から払いすぐに取って返す。
袈裟懸けに振り下ろされた刀を下から跳ね上げて、一気に間合いを開く。
流石にこの程度じゃ、原田さんの反応の良さには通じない。
原田さんに合わせて右利きで撃ち込んでいたけれど、私は剣に限らず武道全般両手利きで使える。
剣道は、神凪の中での修行として身に着けたものだけど、私はどちらかというとフェンシングの方が得意なのだ。
細身の剣を両手で操り八方の敵に対応できる。
日本刀は重いから長時間は使えない。
尤も木刀なら余程重い剣を使う人相手でなければ両手で使えるんだけどね。
原田さんが得意な得物は槍。
つまりはバランス感覚が良い事。
だったら、私としては思う存分楽しめるって事になるのかしら。
原田さんが私の出方を待って撃ち込んでこなかった間を、こちらから次々撃ち込んでいく。
前後左右に自由自在に動きながら、撃ち込み、払い、斬り下ろし、切り上げる。
右利きの動きに左利きの動きも混ぜる。
「何っ!?」
淀みなく動いていた原田さんの脚が止まった。
崩れたリズムを見逃さず突きを入れるが、辛うじて避けられた。
避けた方向から横薙ぎに滑らせた木刀が、原田さんの脇を捉える。
スパーン!
「一本、神矢!」
微かに眉を顰めたが、然程力はいれていない斬撃に、原田さんは息を吐いて苦笑した。
第1章ー2
意識が浮上して、目を瞑ったままで周囲の状況を確認する。
色こそ判らないけれど、目を瞑っていても周囲の状況が把握できるから、力って本当に便利よね。
純和風の造りで機械の気配が何もない。
やはりご都合主義な現代にトリップ、はしていないわけね。
千鶴ちゃんはゆったりと私の腕の中で眠っている。
その向こうでは、土方さんが目を瞑っているけど寝息は聞こえない。
障子の手前の斎藤さんからは微かに寝息が聞こえる。
室内の気温は外よりもだいぶ温かい。このままだと外に出た時にヒートショックを起こしかねないな。
少しずつ室内の気温を下げていく。
斎藤さんが寒さの所為で目を覚ました気配がする。
目を開けると室内は少し明るくなり始めている。
「……おはようございます。土方さん、斎藤さん」
「おはよう。よく眠れたか?」
「お蔭様で。千鶴ちゃんが行火になってくれましたから」
小声で返す。
「お前の力って……」
眠れなかった所為で気付いたのかも知れないわね。
「流石は土方さん。敏い方ですね」
みなまで言わせずに肯定する。
「おはようございます、副長。神矢」
「おはよう、斎藤」
「神矢の力を、副長はご覧になられたのですか?」
「見たっつーよりも……」
「土方さんは勘の良い方ですね。目に見えない使い方をしていましたから、気付かない人は気付きませんのに。和麻さん以外の力は本来は目に見える力なので、うっかり使うと同業者に簡単にばれてこの時代の本家に通報される事になりますから、余程の事態でない限り使わないですよ」
「目には見えない力?」
「私と和麻さんだけは本来の一族の力とは違うので。武家社会の中で武家の出ではないのに武士らしくあろうとする土方さんや近藤さんが、謂れのない侮蔑を受けているのと同じ扱いを、私も和麻さんも一族から受けますよ。受け入れてくれる人も認めてくれる人もいますけどね」
魔術を使える事は敢えて教えない。気付く人が気付いて尋ねられたら応えるだけだ。
「本家に知られると困る、というのは……」
「申しましたでしょ。和麻さんと私の力は、本来の一族の者が持つ力ではありません。血筋に与えられる力なので、勘違いしている者が多いのですよ。自分達が選ばれた存在なのだ、とね。私達の存在を知られると要らぬ厄介事を引き寄せる事になります。」
「……神矢、というのは偽名か?」
「流石は新選組の副長殿。鋭いですねぇ。でも、本名を名乗っても、少なくともそん所其処らの者に身元を突き止める事は出来ませんよ。」
土方さんの視線が鋭くなる。
「例え新選組の監察方でも、です。うちの一族がその存在を知らせているのは本当に極一部の者にだけです。」
「う………んっ……」
腕の中の千鶴ちゃんの意識が浮上し始めた。
「流石に明るい所で着替えをするのはお互いによろしくないでしょう? 男女七歳にして席を同じうせず、でしたっけ? 私は目を瞑っていますから着物を着て一旦は部屋を出て下さい」
土方さんはさっさと起き出して着替えをする。斎藤さんも寝起きは良いのかさっさと動いた。布団まで畳もうとする。
「お布団はそのままで。千鶴ちゃんが起き出す前に部屋を出て頂いた方が良いと思います」
「そうか。しかし……」
「うぅ……んっ……」
「ほら、お早く」
さっさと斎藤さんを促し、土方さんに続いて二人が部屋から出ていく。
障子の外で立ち止まった斎藤さんを土方さんが促している。
『俺は仕事がある。お前も朝の鍛錬があるだろう』
『しかし……』
『何も知らねぇ千鶴を傷付けるような女じゃねぇさ。少なくとも逃げ出す気はねぇよ』
流石というか、土方さんは本質的に理解るのか見極めがいいのか、私の態度や行動が芝居じゃないと思うのか、若しくは水を操るという事がどんな力に繋がるか理解したのか。ある程度の信用か、私に監視を着ける事は無駄と判断したのか。
本当のところは判らないけど、鬱陶しい思いはしなくて済みそうだわ。
つらつらと考えていると千鶴ちゃんが目を覚ました。
大きな茶色の瞳がぼんやりと開かれる。
「おはよう、千鶴ちゃん」
「……おはようございます」
ふわりと笑う。
本当に笑顔の多い娘だわ。
清純で一途、自分の事には鈍感で、でも頭は良くて、兎に角可愛い。
これじゃあ、新選組の若手がみ~んな千鶴ちゃんに惚れるのも無理ないか。
「起きましょう。斎藤さんと土方さんは既に起きて部屋を出て頂いたわ」
「歳兄様と、斎藤さん……あ。そうか。昨日京に着いて、色々あって……歳兄様に遭って、新選組の屯所まで連れて来られたんでしたね」
「そう。で、新選組の屯所は本来女人禁制だから、私達も男装して動く必要があるって事」
「はい」
「まずは着替えましょう」
「はい」
昨日原田さんから借りた晒を胸に巻いて、袴姿に着替える。何やら視線を感じたけれど、千鶴ちゃんしかいないよね?
振り返ると何やら羨ましそうな視線?
「千鶴ちゃん?」
「あ、すみません。静香さん、女らしい体つきしてらっしゃるから……」
ああ、なるほど。
幸か不幸か、私はプロポーションはかなりいいと思う。胸があるからモデルとかは出来ないけど、まぁ、邪魔というほどではない。常に鍛錬と仕事の繰り返しだから筋肉も着いているし余分な脂肪があると動く時に邪魔だからダイエットもしている。
「千鶴ちゃんはまだ数えで十四でしょ? 私なんてもう二十四よ? 子供の二人や三人いてもいいくらいじゃないの?」
首の横で髪ゴムで纏めていた髪を解いて、羽織の内ポケットに折り畳み式の櫛が入れてある事を思い出し、それで髪を整えた。
「お布団…………」
「後で干しましょう。女人禁制って事は男所帯だもの。況してや京の治安を預かるという事は、忙しくて掃除や洗濯は手抜きに違いないのよ? 皆さんのお布団も干してない筈だわ。剛道殿が見つかるまでにしろ、ここにいる事になるのではない? 客人として扱われても何もせずにいるのは心苦しい事になるもの。初めから動いてしまいましょう?」
「でも、勝手が分からないし……」
「どなたか捕まえればいいのよ」
言って、私は布団を干し易いように選り分けて障子を開けた。
外気の冷え込み方で予想はしていたけど、庭には一面雪が積もっている。昨夜のちらついていた雪が明け方までに積雪したらしく、庭木はすっかり雪綿帽子を被っている。
それでも雪は止んでいて、雲間から僅かにだけれど陽が射し始めている。
丁度視界の端に平助君の姿が映る。
「おはようございます、藤堂さん」
「お、おはよう、神矢」
藤堂君はこの寒空でも構わず短く切って改造した着物を身に纏っている。
「早いじゃん」
「普通ですよ。千鶴は家事を担っていたのだし、私は鍛錬で夜明け前に起き出す生活が普通でしたよ」
「おはようございます。えっと……」
「おはよう。あ、俺、藤堂平助。平助って呼んで?」
「雪村千鶴です。藤堂さん、じゃ駄目なんですか?」
「堅苦しいだろ? 歳も近いし。俺も千鶴って呼び捨てにするからさ」
「え、ッと、じゃあ、平助君、で」
「うん」
よしよし自然な流れね。
「私の事もしずかで。字は『静香』ですけど『静』と書いてもしずかと読みますし。『静君』か『しずさん』とでも」
「あ、上だっけ。う~ん、じゃあ。『しずさん』て呼ぶよ。俺の事は平助で良いぜ」
「では平助君と呼ばせて頂きましょう」
「呼び捨てで良いぜ?」
「私の立場は隊士でもありませんし、平助君は幹部でしょう? 苗字で呼ばれる事はお好きではないようですから妥協案ですよ?」
「何で知って…………」
驚くような事かしら?
「見ていれば判りますよ?」
納得いかないって表情ね。千鶴ちゃんは兎も角、私は不審人物のままなのに、その私に名前呼びを要求する時点で苗字呼びをされる事を嫌っているって丸判りだもの。
はんなりと笑って話を逸らす。
「平助君はこれから何か御用でも?」
「あ、ああ。俺、これから源さんと朝食の準備をしなくちゃなんだよ。持ち回りの当番でさ」
「なら、千鶴と一緒にお手伝いしましょうか? 私は仕事の都合上あまり家事をしないのですが、包丁と味付けならある程度できますよ」
「え、いいのか?」
「はい。泊めて頂きましたし」
千鶴ちゃんを振り返ると、千鶴ちゃんも心得たように大きく頷いた。
嬉しそうな平助君の後をついて厨まで行くと、源さんがお釜でご飯を炊き始めていた。
「おはよう、源さん」
「ああ。おはよう」
「おはようございます」
「おはようございます」
振り返る事もなく平助君に返事をした源さんは、続いた私と千鶴ちゃんの声に驚いて振り向いた。
「……ああ。おはようさん、二人とも。昨夜はよく眠れたかい?」
「はい」
「お蔭様で。心強い警護が二人も付いて下さいましたからね」
千鶴ちゃんは素直に、私は『警護』という言葉に『監視』の意味を込めて答えた。
気付いたのだろう源さんは苦笑している。
「それでどうしたんだね?」
「お手伝いに来ました。泊めて頂きましたし、実は昨日の夕餉を取り損ねたのでお腹空いてます」
あっけらかんと言うと、源さんは呆気に取られた表情になり、次いでくすりと笑った。
「大らかだねぇ。しかし、助かるよ」
「千鶴は炊事は出来るでしょう?」
「はい」
「私は火を扱うのがあまり得意ではなくて、煮炊きがイマイチ自信がない。味付けなどには自信があるのだけどね」
「そうなんですか?」
「そう。なのでその辺はよろしく」
「判りました。お手伝いします」
「で、献立は何ですか?」
サクサク千鶴ちゃんとの連携を確約し、源さんに向き直る。
「献立というほどのものではないんだよ。納豆と味噌汁くらいしかできないんだが………」
「食材は何がありますか?」
「豆腐と納豆と、ネギと大根と青菜くらいだよ」
「若布わかめか昆布か海苔、ありますか?」
「若布ならあるが…………」
「じゃあ。お豆腐と若布の味噌汁、納豆には大根卸とネギを添えて、青菜のお浸し、大根と青菜の浅漬け、でしょうか」
千鶴ちゃんの顔を見ると、思案顔だった千鶴ちゃんも頷いた。
「出汁は煮干しですか?」
「うん」
「もう下準備しちゃいました?」
「いや、これからだよ」
「じゃあ。使う分の煮干し出して下さい」
「「「?」」」
三人揃って不思議顔。
不思議そうにしながらも、源さんは煮干しを数本出してくれた。
案の定だわ。
煮干しが少ない。
これだけじゃ出汁っ気が足りなくて私は美味しくないよ。
「擂鉢ありますか?」
「あるよ」
出して貰った擂鉢は普段使われていない証拠に埃っぽい。
これじゃ、洗わなくちゃ使えないわ。
「私は擂鉢を使えるようにしますから、千鶴、お浸し任せます。湯を沸かす時、ついでにお味噌汁の分の湯も一緒に沸かして。平助君、煮干しを芳ばしい香りがするくらいまで乾煎(からいり)して下さい。焦がしたり燃やしたりしないように」
「それじゃ、私は大根卸でもしようかね」
「お願いします」
平助君が源さんに訊きながら煮干しを乾煎りしてくれる。擂鉢を丁寧に洗い、精霊に頼んで水を払って乾かす。
「乾煎りできたぞ」
「ありがとう。頭と内臓取れる?」
「どうやんの?」
「こう」
平助君の目の前で丁寧に実演してみせる。平助君は目にした通りに器用に頭と内臓を外した。煮干しをむざいて擂鉢に放り込む。
「平助君。これを丁寧に磨り潰して。出来るだけサラサラの粉状になるようにして下さい」
「おう」
若布の塩抜きをしている間に豆腐を小さく切る。その間に平助君が丁寧に磨り潰してくれた煮干しに、千鶴ちゃんが沸かしたお湯を入れて、擂鉢を漱いで鍋に移す。火にかけて煮立ててから、豆腐を入れて火を弱める。
「煮干しを丸ごと入れてしまうのか」
源さんが感心したように言う。
「本当は鰹節の使い方なのですけどね。出汁が薄いと美味しくないし、でも贅沢は出来ませんから」
肩を竦めて答える。
源さんが大根卸を作った残りの大根を一口大に薄く切り、塩を掛けて軽く揉む。千鶴ちゃんが手早く湯通しした青菜の一部を細かく切る。大根に味が着いたら青菜と混ぜて浅漬け風。
一応、一汁三菜の膳が出来る。
平助君を付けて千鶴ちゃんに広間へ膳を運ばせる。
声が聞こえないくらい離れてから源さんに声を掛けた。
「井上さん。私は連れと一緒に食事をした方が宜しいでしょう? 沖田さんと斎藤さんもそちらの方が都合が宜しくないですか?」
「……そうだねぇ。勇さんは嫌がるかも知れないが……」
「今朝だけで済むかも知れませんし」
「まぁ。交代で、という事になるかも知れないが……」
源さんは苦笑しながら膳を持ったので、三人がいる部屋まで案内してくれる心算だろうと踏んで、私も膳を持った。
後に続くと案の定、三人の気配がする方へ進む。
案内された先は本来は斎藤さんの部屋だという。斎藤さんが土方さんと一緒に私の監視に就いて部屋を空けたので三人に宛がわれたらしい。
和麻さんは沖田さんから借りた着物を着ていたし、綾乃と煉は斎藤さんから借りた着物を身に着けていた。
「おはよう、三人とも。昨夜は眠れた?」
「まぁ、私と煉はなんとか。和麻は眠れなかったでしょうけど」
「和麻さんの気配は一晩中強かったものね。沖田さんが殺気を放っていた?」
小首を傾げながら沖田さんを振り返ると、沖田さんが微かに唇を歪めている。
「私の監視の方に沖田さんと斎藤さんだと思っていたのよ。どうせ眠れない同志なら土方さんの方が和麻さんとは良いかなって。土方さんがこちらに来たから、和麻さんには気詰まりだったかしら」
「沖田が綾乃を揶揄うから大人しくさせとくのが大変だったかな」
「綾乃は揶揄うと面白いでしょうからねぇ。沖田さんの気持ちも理解るけど」
「ね~え~さ~ま~~~ぁ!」
「大きな声を出さないのよ。綾乃。貴女は未だここにはいない事になっている身なのだから。それに新選組は女人禁制。姉様なんて呼び掛けをこの中でするんじゃないの」
しれっと言ってのけると綾乃が言葉に詰まって息を呑む。
「兎に角食事。こちらに膳を運ぶから、沖田さんと斎藤さんもご一緒にこちらでどうぞ、というかこちらで摂って下さい。私もこちらに参りますから」
千鶴ちゃんと平助君が広間と四往復する間に、私は源さんと三人のいる部屋まで二往復した。
「あの、静香さん?」
「ん?」
厨に取って返すと、千鶴ちゃんがおずおずと声を掛けてきた。
源さんが同伴してくれて、斎藤さんの部屋と二往復したのだけど、和麻さん達の分を運んでいる事を千鶴ちゃんに悟られないように、広間に膳を運ぶ千鶴ちゃんと平助君が厨に戻る頃には、膳の盛り付けをしていた。
「膳の数が足りないのですけど……」
広間に運んだ膳の事だろう。
「私は別部屋で沖田さんや斎藤さんと食事を頂きます。いくら貴女を助けた経緯があるとはいえ、新選組にとっては私は身元不明の存在ですからね。処遇が決まるまでは別ですよ」
「え……」
「京の治安を預かるという事は容易い事ではないのです。敵もあるのですから警戒しない方がどうかしていますよ」
「……はい。そうですね」
まだ幼さを残すとはいえ、本来はとても敏い娘。余分な説明も言い訳も必要ないのは助かるわ。
土方さんや近藤さんと親しい知り合い関係を築いている千鶴ちゃんが、幹部達に警戒されるとも思えないし、沖田さんの苛めに遭う可能性があるなら沖田さんをこちらで引き受けてしまえばいいもの。
準備をしながら片付けていたので、後片付けは食器と鍋を洗うだけで済むようにしてある。
「神矢は未だここか?」
斎藤さんが顔を覗かせる。
「ああ、丁度良かったです、斎藤さん。後二膳、あちらへ運ばなければなりません。ついでに手伝って下さい」
立ってる者は親でも使え、という諺があるくらいだ。自分より年下の男を使って悪い事はあるまい。
「……承知」
何やら思うところはあるようだけれど、無駄口を叩かない男は行動に出る。
硬いとこはあるけど、斎藤さんの真面目で頭の良いところは大好きだわ。
「え?」
無言の心算だったけど、声に出していたらしく、斎藤さんから反応が返る。
「声に出ていましたか? 失礼。貴方の真面目過ぎるところが晩生に繋がるけれど、かなり理想的な殿方だと、好ましい気性だと思いまして」
「そうか?」
「ええ」
「そうか」
少し照れたように微かに頬を染めている辺り純情さんだよね。
誠実で真面目でいざという時は精悍で攻撃的にもなれて、余分口は叩かず必要な時は口も回る。少しくらい女遊びもして余裕を持てば実に理想的だわ。尤も生真面目で固いところがあるから、女遊びなんて出来ないだろうけど。
そんな事をつらつらと考えていると、斎藤さんの部屋、つまり三人と沖田さんがいる部屋に着いた。
着いてみると、まだ誰も手を着けていなかった。
「あら、待っていて下さいましたか。お待たせしましたね」
私が運んできた膳を沖田さんの前に置き、その隣に斎藤さんが座る。
味噌汁が冷めないように精霊達に頼んで於いた命を解き、私も席に着く。
パン!っと、一拍柏手を打つ。
「「「「「「いただきます」」」」」」
勢いに呑まれたように声を揃えて箸を持った。
「! 美味い……」
一口食べるなり斎藤さんが口を開いた。
「私と千鶴がお手伝いしましたからね」
「へぇ……」
沖田さんが感心半分、揶揄半分の声を上げた。
「静香姉様は料理出来たんですね」
煉の感心したような声に、私は苦笑してしまう。
「煉、新選組では『姉様』呼びはやめなさい。何の為の男装だと思っているのですか?」
「あ……すみません」
「呼び捨てでも構わないから。……料理は惣菜程度なら何とかなりましたが、この時代の竈での火加減は未だ覚えていませんから、出来るうちには入りません」
溜息混じりに答えると、綾乃が不思議そうな表情をする。
「火加減が出来ないって……あ、そうか」
「綾、忘れていましたか」
「はい、ごめんなさい」
素直に謝るから許さざるを得ない。
不思議そうな表情をしている新選組の二人には今の会話の意味が理解ろう筈もない。
「それにしても、私達、どうなるのかな?」
綾乃がぽつりと不安そうに口を開く。
「秘密を知られたからといって、安易に殺害して葬ろうなんて考えで纏まるなら、反撃すればいいだけでしょう?」
「そうだけど、新選組の人達、普通の人達なんだし……」
「『羅刹』は魔の力で作り出された存在だけど?」
「干渉しちゃ駄目だって言ったの、静香」
「害意を向けられた場合は、容赦の必要を感じません」
「うわっ! 和麻並に過激」
「殺して良いとは言ってません。和麻さんも、綾乃を守る為でも殺意を向けられたからって彼等を殺さないで下さいね」
「敵と見做されて攻撃されるなら、容赦する必要は感じないが?」
「力の差が歴然としています。少なくとも和麻さんは、幹部並の人達百人が束になっても、一瞬で勝負着けられるじゃないですか」
「お前もだろうが」
「一瞬じゃ無理です。綾乃や煉と違って、相手が人間だからって躊躇はしませんけど、和麻さんほど速くはないですからね」
沖田さんの顔に、プライドを傷付けられたという表情が浮かんでいるけど、知らぬが華、彼は私達の力を知らなさ過ぎる。
「随分と自信があるみたいだねぇ。大口を叩くからには腕にさぞかし覚えがあるんだろうから、手合せ願おうかな」
頬を引き攣らせながら余裕そうな声を出している。
昨夜腕の差を示したのに、あれじゃ足りなかったのかしら。
「あら」
「あら、じゃありませんよ……静香…さん。無理に挑発しなくても良いのに」
煉が溜息を吐きながら説教してくる。
煉は本気で新選組を慮っているようだけれど、綾乃も和麻さんも私が態と彼等を挑発した事に気付いているわね。
綾乃は何を企んでいるんだろう、とでも言いたそうな表情をしているし、和麻さんは面白がっている。
「手合せなら喜んでお相手致しますよ。千鶴の手前、この三人を宿から呼び寄せたという体裁を繕ってからならね」
「その事なんだが……」
廊下にあった気配は、声を掛ける前に会話に割り込んできた。
障子が開き、土方さんと山南さんが顔を覗かせる。
膳を隅に押し遣り、上座を譲る。二人は当然のようにそこに陣取り腰を下ろした。
「そういえば、今朝の食事は雪村君と貴女が主体で整えてくれたそうですね。美味しかったですよ、御馳走様」
「お粗末様でございました」
山南さんの労いに頭を下げる。
笑みを浮かべる山南さんをチロリと横目で見て、土方さんはコホンと咳払いした。
「あんたらの処遇だが、取り敢えずは屯所にいて貰う。新選組は女人禁制だから、神矢と、綾乃といったか? 二人には男装をして貰わなきゃならねぇんだが、その辺は承知してくれ」
「男装って……」
「袴姿で、髪を高く結うくらいで良いのではない?」
「それって男装になるの?」
綾乃が不思議そうに小首を傾げる。それは普段の仕事の時の私の服装だから、綾乃にしてみれば男装とは感じられないのかも知れない。
「綾。時代考証を忘れてる。この時代の女性の服装は着物で、髪は日本髪か首の高さで結うか。私達の時代なら身軽に動く為に男装なんて珍しくないけど、この時代は、ね」
「服装だけでばれないもの?」
眉を顰めている綾乃に、和麻さんがにやりと笑う。
「心配要らん。お前なら普段通りにしてりゃばれやしないだろ」
「か~ず~ま~っ!」
常もの調子で追い駆けっこを始めそうな綾乃の首根っこを掴んで引き戻す。
「和麻さん。綾を揶揄うのは構いませんけど、時と場所を選んで下さい」
軽く睨み付けながら言うと、和麻さんが肩を竦める。
相変わらず和麻さんは緊張感がない。
和麻さんの態度に再度切れそうな綾乃の掴んだままにしていた首筋を引く。
「綾もいい加減にする」
「だって……」
「だってじゃありません。そんなだから、いつまでも和麻さんの玩具にされるのだといい加減学習しなさい」
不満顔の綾乃を宥めながら和麻さんに視線をやると、和麻さんはどこ吹く風で飄々としている。
ふうっと、思わず溜息が出る。
「八神は総司と同じ性格してるのか?」
土方さんの呟きが聞こえてしまって、思わず噴き出した。
「土方さん?」
沖田さんが威圧を込めて土方さんを呼んだけど、土方さんは沖田さんの声を聞き流す。
「あんたも苦労しているようだな」
斎藤さんの労いの声に振り向いて苦笑する。
「土方さんほどじゃありません。和麻さんが揶揄うのは綾だけですから」
軽く肩を竦める。
斎藤さんは片眉を僅かに上げただけで言葉はなかった。
「話を戻してもいいか?」
幾分不機嫌そうな土方さんの声がして、みんなの意識を集める。
「失礼致しました」
姿勢を正して向き直ると、土方さんは眉間に皺を寄せながら口を開いた。
「新選組としちゃあ、身元も不明な存在に重要機密事項を掴まれている上で自由にさせとくわけにゃいかねぇんだ。俺達の監視下に置かせて貰う」
「まぁ、当然の処置でしょうね。尤も私達の言い分が正しい以上、この時代に私達の存在の証拠はないから、身元の証明は付かないわけですが」
「監視なんて面倒な事しないで斬っちゃえばいいんだよ」
「……総司」
土方さんの眉間の皺が深くなる。
安易に斬る斬ると嘯く沖田さんに、土方さんの機嫌が悪くなっている。
私達としても沖田さんの不穏な発言は嬉しくない。
これを黙らせるのには、やはり実力を見せつけるしかないのかしらねぇ。内心溜息を吐きながら、あれこれ思考を巡らせる。
「で? 立場としてはどうなるんですか?」
「どう、とは?」
「まさか四人纏めて監禁というわけにもいかないでしょう?」
「まぁ、そうだな」
「千鶴さんの手前もある。私達を葬って千鶴さんの不信を買うのは得策ではないでしょうし、唯監禁状態に置くには場所も人手も足りない」
土方さんの眉間の皺がより深くなる。
笑いが漏れそうになるのを無理矢理抑え込む。
「土方さん、そんなに眉間に皺を寄せていると、年より老けて見えますよ?」
「余計な世話だ」
声に苦味が混じる。揶揄う心算はなかったけれど、結果としては揶揄ったような形になってしまったかしら。
「平隊士の手前があります。唯の客人というわけにはいかないでしょう? かといって、隊士にはなれませんし」
「腕に自信があるんじゃないのか?」
沖田さんを挑発した言葉を聞いていての皮肉かしらね。
「新選組に入隊して戦力になってから、いきなり私達が元の時代に戻れたりしたら御迷惑でしょう?」
「戻る方法が理解っているのですか?」
山南さんが驚いたように訊いてくる。戻れる方法が理解っているのにここに留まる理由があるなら、それを新選組に対する害意と考えるのかも知れないわね。
「何時、戻れるかは判りませんけど、切っ掛けになるだろう事態は見当が付いています。その切っ掛けを掴む為にも、新選組に関わり続ける必要があるんです」
「なに?」
「私達は未来から来ていますからね。新選組が辿った運命は、私達にとっては歴史です。その、私達にとっては決定した過去に、現在進行形で関わりを持っている。求められているのは、歴史の修正と受け取るのが正解なのだと思いますよ」
「歴史の修正……?」
「政変をひっくり返すなんて事までは求められてはいないと思いますけど」
「そんな事まで求められるのは理不尽だと思うがな」
和麻さんが溜息混じりに呟く。
「当然、そこまで求められてはいないでしょう。歴史が変わってしまったら、私達の帰れる世界ではなくなってしまう可能性の方が高くなる」
「百五十年の時間が流れる中で修正可能な程度で、大きく歴史が変わらない程度に干渉しろって事か」
「だと思うけど? しかも私達がこの時代に出現した時期と地点を考えれば、確実に千鶴さんか新選組の援護を要求されてるとみるべきね」
「歴史が変わらない程度に、ね」
和麻さんが苦笑しながら肩を竦める。
「具体的には?」
綾乃が困惑顔で口を開く。
「そうねぇ……」
具体的な事件を列挙するわけにはいかない。山南さんは計算高い人物だから、具体的な情報を早く与えてしまうと歴史を変えられる恐れがある。
「精々、新選組が苦戦していた事態を重症人が出ても死人が出ない程度に援助するとか、新選組が見逃した為に大惨事になった事を新選組の活躍で防ぐとか、そのくらいかしらねぇ」
「新選組に政変を起こせるほどの影響力があったか?」
和麻さんが思案顔で口を開く。
「動き次第ではね。まぁ。今更無理だけど」
「政変とは、討幕ですか?」
山南さんが重々しく口を開く。
少し考えれば思い付く事態よね。
「どう思われます?」
意味深な笑みを口元に浮かべて山南さんに向ける。
「しずか……っ、さん。今っていつなんですか?」
煉が詰まりながら訊いてくる。
強引だけど話を逸らす必要があると感じ取ったみたい。こういうところ、煉はやはり敏いわ。
「文久三年師走。1863年年末ね」
「何故、言い切れる」
突っ込みどころはそこですか、和麻さん?
「千鶴さんが京に来て『羅刹』に襲われ掛けていたから」
「なるほど」
この説明で納得するのは、ここが物語の舞台だと言ってあるから、だろうね。史実と創作が絡み合った世界だから、史実だけで判断出来ないと理解ってる。
「千鶴は歴史に名を残すのか?」
土方さんが驚愕の表情で訊いてくる。
「いいえ。『変若水』に関わった綱道さんの娘ですからね。歴史からは存在そのものが抹消されますよ」
「新選組隊士名鑑には、小姓としてすら名前が載っていなかった筈だしな」
「あら、和麻さんはご覧になった事がおあり?」
「全部は覚えちゃいないが、雪村なんて名はなかったからな。況してや千鶴なんて女名前だから、目にしていたら忘れねぇと思うぞ」
「はい、正解。まぁ。隊士として登録されていなければ記録は残らないしね」
私達のやり取りを窺っていた山南さんが土方さんに耳打ちする。土方さんは渋い顔だけど反対はしていないようだ。
「千鶴は新選組に身を置く必要はないわけだから……」
「お忘れですよ、土方さん。雪村興道が姿を消した事、千鶴さんを他に預ければばれますけど、宜しいんですか?」
「昨夜のあんたの提案、受け入れてみるのも手だと思ってな」
「でしたら一つ忠告して差し上げます。『変若水』から手を引く事が出来ないなら、千鶴さんを手放してはいけません。彼女を幕府に渡すと彼女自身も幸せを奪われるし、新選組は救いの手を失いますよ」
「あの子が僕達の助けになるっていうの?」
沖田さんが小馬鹿にしたように訊いてくる。
「人や事象との関わりは良い事だけを引き寄せるというわけにはいきません。千鶴さんを保護すれば、彼女の存在によって齎される好条件がある代わりに、引き寄せられる災いもあります」
「なるほど、道理ですね」
山南さんの冷静な声が割って入る。
「具体的には雪村君を新選組で保護した状態で、貴女方も新選組と関わって貰うには何かいい方法がありますか?」
「ん~~~。平隊士の手前のでっち上げる身元としては、近藤さんや土方さんの親族という扱いが適当でしょう。屯所の近くに家でも借りてそこから新選組に通って家事担当すれば私達は都合が良いのだけど、監視するのは大変よねぇ。和麻さんの腕なら新選組に勧誘されない方が不自然だし。う~ん?」
「俺の仕事は綾乃の警護だぞ。静香」
余計な事はしたくない、とありありと和麻さんの声に滲んでる。
「判ってます。どうしてもの時以外に和麻さんの手は借りたくないわ。報酬が高いんだから。無理のない設定は……」
「静香さん?」
「ん?」
頭を悩ませている私に、おずおずと煉が声を掛けてくる。
「あの、確かこの時代、綾乃姉様のお歳だと結婚していない人は少ないのでは?」
「ん。まぁ。そうね。当然私も婚姻は結んでいるのが普通……。綾乃が和麻さんと夫婦っていう設定なら無理ないかも」
「ええっ!?」
綾乃が反発して声を上げる。
「あら、嫌なの? だったら、和麻さんと私でも……」
「……」
素直になれなくとも、和麻さんと他の女性が仲良くしているのは気に入らないのが綾乃だものね。
「……それで? その設定だとどうして無理がないの?」
感情を抑えましたという態度で綾乃が口を開く。
「千鶴さんが土方さんを兄様呼びしているから、千鶴さんは土方さんの親族という設定。で、私が近藤さんの親族。江戸から京までの道中で千鶴さんを守る為に、私の知り合いだった和麻さんを用心棒に雇って同行した」
「なるほど。女房持ちを新選組に勧誘はし難いからな。八神が新選組に入らなくても筋が通る」
「で、会津藩や幕府への建前として、近藤さんの親族の私が、密かに千鶴さんの警護に当たっていたところ、一人で京に向かった千鶴さんを陰から守る為に、知人の和麻さんを用心棒に雇った」
「女子供を連れて用心棒というのは無理があるのではないか?」
斎藤さんが珍しく口を挟んでくる。
「綾乃も煉も、浪士二、三人に絡まれても払い除けるくらいは出来ます」
「ほう?」
「静香。あたし人間相手に真剣は……」
「だったら新選組で鍛えて貰う? いい機会だと思うけど?」
「う……」
普段、炎雷覇に頼り過ぎているって事は、和麻さんから指摘されている筈だものね。実際、精霊魔術を封じられた時に、綾乃の腕は未熟で苦戦したのだから。
「その設定を通すには実力が伴わないとね」
沖田さんが嬉しそうににやりと笑う。
強い相手と遣り合いたいというのが、この男の真意で、私の挑発に載せられたまま頭が冷えていないというところか。若しくは、あわよくば厄介な存在である私達を纏めて葬れるとでも思っているのか。
「試合となると、沖田さんか斎藤さんか永倉さんが腕利きでしたっけ? 実戦だと近藤さんと土方さんが断トツだった筈だけど」
「そうなのか?」
和麻さんが訊いてくる。この人も史実しか知らないしね。
「沖田総司は天才剣士として歴史上に名を残しているわよね」
綾乃が思い出すように呟く。
綾乃の言葉に沖田さんが満更でもない表情で満足そうに目を細める。
「それ、〝あの人”が残した手記の中での話だから。歴史に名を残した剣豪よりも名が残らなった者の方が強かったみたいよ?」
「しかし、宮本武蔵は名を残しているがかなりの剣豪だろ?」
「まぁねぇ……でも実際はどこまで強かったかは測れないし、あの時代の剣豪は粒揃いで試合したらどうだったかは不明だから」
「……考えてみると、武家育ちの奴よりも、郷士だの農民の出身だのの者の方が実戦で強かったと言われている傾向があるな」
「戦場ではお行儀よく試合なんてしていられないもの。生き残る意志の強い者が勝つのは当たり前。家康公が江戸に幕府を置いてからは、何のかんの言っても武士は制度によって守られていたからね。虐げられていた郷士や農民の方が生き残る意志が強くなったのは当然の結果だと思うけど?」
「宮本武蔵の頃は……あ、関ヶ原からあまり時間が経っていないって事なんですね」
とうとう大人しい煉まで話に参加してきた。
「そう。だから仕事の時に和麻さんがぎりぎりまで綾乃を守らないのは綾乃を鍛える為。稽古を百回繰り返すより実戦一回の方が身に着くものだから」
「なるほど。新選組が強いと言われたのは、京の治安維持の為に毎日巡察して不定浪士相手に斬り合い繰り返していたからか」
うんうんと頷く和麻さんに苦笑する。何か言おうとした綾乃を遮って会話が続けられてしまい、綾乃は口を挟む機会を失って黙り込んだ。
「話は済んだか? 神矢の連れを宿から呼び寄せたという形を取りたいんだが、どうする?」
土方さんが訊いてくる。この場の仕切りをしているのは私だ。自分達にだけ都合良く進めていないのを見て取って、私が仕切る事で話がスムーズに進む事を気付いているのだろう。
「それ以前に、平隊士の手前、千鶴さんも私もいつの間にか屯所にいた、では困るのではありませんか? 尤も、厨で朝食作るのをお手伝いしてしまったので、敏い者は私達に気付いたからもしれませんが」
「いや。基本的にここは平隊士は立ち入りは禁止だから気付かれてはいないだろう」
「でしたら、千鶴さんと私達が連れ立って新選組を訪ねてくるという形を取る方が良いですね」
「……まぁ。そうだろうな」
「監察方の山崎さんを着けて頂ければ良いかと。監視も出来るし、私が近藤さんの親戚筋で千鶴さんの警護をしていたという建前も、繋ぎを取る相手として監察方の山崎さんは適任でしょう?」
「……読みが深いじゃねぇか」
「……申し訳ないけれど、腹黒さ、もとい策士ぶりが、土方さんや山南さんが比でない相手と、命の遣り取りした経験があるのでこの程度は策が立てられます。それに私は土方さんのファン……愛好家とか贔屓とかの意味です……なので、そういう点は読めますよ」
「ほう」
山南さんが意味深に土方さんに視線を送る。
「そういえば初めて遭った時も、土方さんが好みだとか何とか言ってたよね」
沖田さんが揶揄の心算でニヤニヤしながら言うけど、そんな事でたじろぐ静香さんじゃないんだよ、沖田さん?
「土方さんは、顔立ちだけでなく纏う気配が綺麗な方ですもの。顔だけでない有能な殿方は好きですわ」
にっこりと笑ってつるりと答えると、沖田さんは詰まり、斎藤さんは『慎みがない』と小声で呟いた。
『お前の独壇場になってるみたいだな』
和麻さんが遠耳で声を掛けてくる。この方法だと和麻さんが意図した人以外には声が届かないから内緒話が出来る。尤も、和麻さんしか使えないから、私の言葉を綾乃や煉に伝えるのは無理なんだけどね。
肩を竦めて和麻さんとアイコンタクトを交わして、土方さんに向き直る。
「手順としては、綾乃と煉が屯所を出て山崎さんと待っている所へ、私と千鶴さんを和麻さんが連れて行って合流し、山崎さんの案内で屯所を訪れた事にするのが宜しいかと」
土方さんは私の提案に、暫く思案した後、深く溜息を吐いて答えた。
「まあ。それが無難だな」
土方さんの言葉に、斎藤さんは頷き、沖田さんは肩を竦めた。
山南さんは眉を顰めていたが、代替案が浮かぶわけでもいらしく反論はなかった。
「なら、早いに越した事はないな。広間に移ろう。斎藤、皆を集めてくれ」
「御意」
相変わらず土方さんと斎藤さんのコンビネーションは良いわね。
沖田さんに手伝って貰って食べ終わった後の膳を厨まで運び、それから広間へ足を向けた。
第1章ー1
上座には土方さんと山南さんが腰を下ろしている。
「改めて自己紹介させて頂きます。神矢静香と申します。ある特殊な力を持つ一族の出身です」
お茶やお花のお免状は伊達じゃない。綾乃は洋装を好んでいるけど、私は和装の方が好きだから、大学へ行く時とか友人と出掛ける時は洋服だけど普段は和装だから、着物での身のこなしには慣れてる。
「私があそこにいた事情ですが、本当の事を言っても皆さん、お信じになられないと思います。」
「へぇ?」
沖田さんが殺気を向けてくる。でもね? その程度の殺気で私を脅せると思わないでほしいわ。
「普通は信じませんよ。いきなり、『私は未来の世界から来ました』なんて言われても」
「はぁっ!?」
反応は、意味が理解らないという顔をしている人と、眉を顰めている人と、ふざけるなという表情をしている人とに分かれたな。
「かてて加えて、私は一人ではありませんの」
「一人じゃない?」
「先に申し上げておきますけど、攻撃しないで下さいね。反射的に反撃しますから。その上で、沖田さんが良いかしら? 障子、開けて下さいます?」
「! まさか、いるの?」
咄嗟に飛び出すように動いた沖田さんが障子を開け放つ。開けた視界に入ったのは月明かりに照らされた静かな庭。
「? 誰もいないじゃない」
当惑している沖田さんの肩越しに、気配のする上空へ視線を向ける。
「和麻さん。お待たせ。綾乃と煉も一緒に降りていらして」
風が緩やかに舞い、綾乃と煉を両腕に抱き込んだ和麻さんの姿が現れる。
突如姿を現した三人に、新選組の幹部が浮足立つけど、私や和麻さんは落ち着いたものだ。
山南さんと土方さんは、三人が纏う服装に眉を顰めて、私と三人を見比べている。
「山南さんと土方さんが仰りたい事は理解りますけど、確かに三人は私の連れですわ。三人とも、他の人間に姿を見られるのは拙いわ。早くお上がりなさいな」
「ああ」
「うん」
「はい」
夫々に返事をして沓脱石の上で靴を脱ぎ部屋に入ってくる。
沖田さんはかなり冷静な性質みたいで、三人が部屋に入ると周囲を見回して見られていない事を確認後、障子を閉めた。
原田さんや平助君の視線が綾乃の脚に向いているので、私は取り敢えず纏っていた羽織を綾乃に渡した。
「何?」
「時代考証をしなさいね、綾乃。女の子が脚を晒さないの」
「あ、そか」
上座の二人と向き合う幹部達との間に、私と綾乃、和麻さんと煉が向き合うよううに位置取りして腰を下ろす。綾乃の膝には私が渡した羽織が掛かる。
「紹介させて頂きますね。従妹の綾乃、また従兄の八神和麻さん、和麻さんの弟の煉です。年齢は、和麻さんが永倉さんと、私が原田さんと同じです。綾乃が数えで十九、煉が数えで十四だから千鶴さんと同じですね」
綾乃と煉は低姿勢、和麻さんは慇懃無礼ながらも、礼儀に則った綺麗な所作で頭を下げる。
「……新選組の幹部の方達。上座のお二人は、眼鏡の方が山南敬介総長。お隣が土方歳三副長。下座の方達は、向かって右から一番組組長・沖田総司さん。十番組組長・原田左之助さん。八番組組長・藤堂平助さん。二番組組長・永倉新八さん、六番組組長・井上源三郎さん。千鶴ちゃんに添うて行った方が、三番組組長・斎藤一さん。局長の近藤勇さんはいらっしゃらないわ。皆さん試衛館出身者で、新選組の最高機密に関与していらっしゃるわ。斎藤さんと藤堂さんとが同じ年。山南さん、近藤さん、土方さんが一つずつ下がるのだったかしら。」
和麻さんの視線は山南さんと土方さんを交互に見てる。やはりこの二人が曲者というか、策士だと見て取ったのかしら。
煉の瞳はキラキラしてるなぁ。新選組なんて歴史上の人物を生で見られて興奮しているってところかしら。
「みんなタイプが違うけど美形揃いなのね」
綾乃がぼそりと呟くのを聞き取ったのか、和麻さんの眉が微かに顰められた。
「和麻さんも美形じゃない」
こそっと囁くと、綾乃は微かに頬を染めて唇を尖らせる。
「性格が不真面目過ぎて顔立ちを台無しにしてるんだもの」
返ってきた答えに、思わず失笑してしまった。
新選組のメンバーはいざ知らず、和麻さんには私達の会話は筒抜けなんだけどね。
「で?」
促す声は土方さん。
何のかんの言っても、副長の土方さんの方が実質上の主導権を握っているのよね。
「彼らの服装も、この時代の物ではありませんけど、後は……」
今日は鍛練中に呼び出されたから、珍しくスマホを持っていたのだけど、何が幸いするか判らないものね。
本来は、羽織の内側にポケットなんて着いていないのだけど、私は戦闘中に道具を入れたバッグを持ち歩くのが面倒だから、羽織に内ポケットを付けてそこに色々入れている。バッグとかだと戦闘中に邪魔になったり、落としたりする事があったら必要な時に使えないもの。
「綾乃、内ポケットにスマホあるから取り出してくれる?」
「あ、うん」
綾乃が取り出したスマホでカメラアプリを起動して、正面の土方さんの写真を撮る。
当然、こんな薄暗い場所だとフラッシュが機能するから、いきなり光ったそれにみんなが警戒する。
クスッと笑みを零して、起動したアルバム画面で土方さんの写真を見せる。
「……土方さんの姿が」
「この時代の写真技術はこんな薄くて小型な機械での撮影は不可能。しかも色付きなどまだないでしょう?」
土方さんの手の上にスマホを載せる。隣から山南さんが画面を覗き込んでいる。
「紙媒体にする為には私達の時代の技術の道具が要りますから、この写真を紙に、は出来ませんけどね」
「確かにこれだけでも、貴女方がこの時代の人間ではないのだろうと思われますね」
山南さんが仕組みの見当が付かないと独り言ちながら、私の手にスマホを返してくれる。
「どれほど先の未来の人間だと?」
「百五十年ほどですね」
百五十年。小さく呟いて、山南さんは感慨深そうに言う。
「僅か百五十年で、そんなに技術が進歩するのですか」
「そうですね。目覚ましい進歩を遂げますね。それでも進歩出来ない分野もあります」
「例えば?」
「生体実験などは禁止されています。薬の実験は動物実験で行われますから、成功までに時間が掛かります」
私の言葉に緊張が走る。
「本題に入れそうだね。訊きたかったんだけど、君は何故『あれ』の首を刎ねたの?」
早速口を開いたのは沖田さんだ。
「? 拘るような事ですか? 古今東西、化け物は首を刎ねて退治するものと相場が決まっていますよ」
肩を竦めて答える。
八岐大蛇然り。里見八犬伝の犬房然り。
沖田さんてば言葉に詰まってる。
その程度で詰まるなんてまだまだ未熟ですよ、沖田さん?
「詳しいよね」
一々突っかかるなぁ、沖田総司。
「我が一族は、平安の昔から、陰からこの国を守ってきた一族でもあるのです」
「陰から……」
これだけで意味が理解るようなら、それは表の世界だけで生きてきていないという事。流石にこの場にはいないようね。
「人外の力を有して悪意を以て人の世に害をなす存在を、人外の力を以て浄化し払ってきた一族なのですよ」
「人外の力、浄化、払う……」
「悪霊退治でもしてるわけ?」
沖田さんが小馬鹿にしたように口にする。
「魔を払うのですよ。『変若水』はおそらく西洋の魔物の血を元にしています」
「西洋の魔物?」
「人の血を糧とし、普通の刃物や銃で負った傷は瞬く間に治り、力も強く空も飛ぶとか。その化け物の血を飲んだ者は同じ化け物になると伝えられています。眠っている間に聖別された杭で心臓を貫くか、朝の清浄な光を当てるかしない限り滅びる事のない永遠の命を持つという化け物です。」
『変若水』の正体が吸血鬼の血なら、浄化の力で払えるけど、もしも『キリストの血』説の方だと厄介なのよね。でも、そんなものだったら、そもそも輸入されないだろう。
「つまり何か? 魔を払う一族だから、魔に関わる記録として『変若水』や『羅刹』の事が一族に伝えられていて知っているって事か?」
原田さんは、普段永倉さんや平助君と攣るんでいるから三馬鹿なんて呼ばれているけど、本当は鋭いのよね。
「未来から来たってんなら、『あれ』の事も未来に記録が残ってるって事か」
「いいえ。」
土方さんの呟きに否定を返す。
一同の間に動揺が広がる。
「私達の時代、新選組は大層有名です。誠を貫いた武士として人気があります。だからこそ、芹沢鴨暗殺は史実とされますが、『変若水』や『羅刹』の事は歴史の闇の部分として新選組も幕府も関わりのないもの、なかったものとされています」
ならば何故知っている。
ありありと浮かんだ疑問は、当然の事だけど、土方さんや沖田さんが気付いていないのは、やはりこの人達は表の世界の人間で、甘いところがあるという何よりの証拠ね。
「申しましたでしょ。私達は未来から来たんです。覚えているかは兎も角、一部の幹部の方は、誕生日まで情報が残っていますよ。」
「へぇ。それ凄くね?」
藤堂君が口笛を鳴らして言う。
「それはつまり、我々が歴史に名を遺す存在だ、と?」
山南さんの突っ込みどころはそこですか。
「そうですね。尤も史実というのは、残したくない事実は消去しているものですから、『変若水』も『羅刹』も、新選組とも幕府とも関係のないものとして闇に葬られていますけれどね。『変若水』や『羅刹』についてだけなら、史実としてではなく、俗説として伝えられていた事を小説、戯作として発表されたので知っている人は空想の産物として知っています」
「戯作……」
土方さんが眉を顰める。
「人気がないと戯作のネタにはされませんよ? 百五十年も経つと、真実は闇の中、事実は謎に包まれたまま、となってしまったのです。」
くすりと笑う。
「ふうん。現在のここじゃ、俺達壬生狼なんて呼ばれて嫌われてるけど、時間が過ぎると好意的に見て貰えるようになるんだ?」
「好意的か否かは人によります。擦り付けられた罪を晴らさなかった為に、無実の罪で謗られていた部分もありますからね」
「例えば?」
おや、自然な流れで情報を引き出そうという辺り巧みだわ。流石は山南さん。
「今その情報は早過ぎます。分岐点で情報を差し上げますよ」
ふわりと笑みを浮かべると、山南さんは引っ掛からなかった私に驚いたようだ。
同時に土方さんは苦い表情をしている。
「つまりここにおけ、と?」
「あら? 解放して下さる気がおありでしたの? どこの誰とも知れない不審人物に新選組の最重要機密を握られているのに、野放しになんてしませんでしょう?」
小首を傾げて言って見せれば沖田さんから殺気が放たれる。
「簡単だよ、斬っちゃえば良いんだから。君達が本当に未来から来たのだとしても新選組に関する情報が正確だとは限らないんだし」
「短絡的ですこと」
沖田さんが殺気立つ。
私は平然と居住まいを崩さない。
「この程度で殺気立たないで。申し上げましたでしょう? 古くからこの国を陰から守ってきた一族だと。人外の力に対する為に人外の力を有しているのですよ。その力を使いこなす為に人の技の修練は怠りません」
沖田さんが鯉口を切ると同時に席を立ち、大小を奪って首の前で交差させて刀の背を首筋にピタリと当てる。
子供の頃から鍛錬してきたのだもの、このくらい難なくこなせる。当然、同時に動いている和麻さんは綾乃と煉を安全圏に確保している。
私の技に、彼らは目を瞠り言葉を失くしている。
私はニコリと笑みを浮かべてみせる。
「先手必勝です」
「くっ……!」
「自分が最強などと思い上がらぬ事です。上には上がいるもの。そう心して精進なさる事ね。」
「……話を続けて下さい」
山南さんが溜息を吐いて、苦笑しながら私を促す。
「恐れ入ります」
軽く頭を下げてから、沖田さんに刀を返して席に戻る。幹部達を見回し口を開く。
「新選組の立場としては、綱道氏が姿を消した事は幕府側に知られたくない事実でしょうし、千鶴さんを京都所司代や会津藩に預ければ綱道氏が行方不明である事が知られますよ」
「そうだ」
「ふうん、だったらあの子、ここに置くしかないよね」
もう沖田さんが口出ししてきた。立ち直り早いなぁ。
「問題は、綱道氏が『変若水』を完成させて討幕派の力として使われた場合です」
「それは……」
「その場合、新選組が綱道氏に対する監視を怠った事になります」
「だが……」
「策がないではありません。新選組は会津藩お預かりですから」
「どういう事だ?」
「芹沢殿の暗殺を命じたのは会津藩でしょう? 明確な言葉はなかったでしょうが、芹沢さんが暗殺された事を承知していながら近藤さんに新選組の局長を改めて命じた以上、会津藩も呉越同舟」
山南さんの視線が鋭くなる。
「私達はいつ未来に戻れるか、もしかしたら戻れないかも知れません。この時代で生きていくしかなくても一族に身を寄せるのは頂けない。私は、新選組に降り懸かる災難を幾つかは未然に防ぐ術を持っています。共闘関係を結べると効率が良いので、協定を結びたいと思っているのです」
土方さんと山南さんを交互に見ながら、殺気の収められない沖田さんに対する注意は怠らない。不意打ちを食らって沖田さんを殺しちゃうわけにはいかないもの。
「策がある、と仰いましたね」
流石に山南さん。計算が早いのかしらね。
「それこそ先程の『羅刹』が使えますわ」
「使える?」
「つまり、芹沢さん暗殺後、綱道氏が新選組で研究する事に難色を示し始めた。逃亡を図りそうだった矢先に診療所が火事になったので、新選組に軟禁状態に置いていたが、研究材料を自分で吟味しなければならないと言ったので、見張りを着けて外に出した。江戸の娘御に手紙が届いていたので綱道氏が裏切り行為をしていた事に気付くのが遅れた。娘御が京に来て手紙が途絶えていた事を知った矢先、見張りに付けていた者達が『羅刹』となって新選組屯所を襲い、次いで町に出て凶行を働いたので成敗した」
「それでも新選組の責任は……」
「綱道氏の逃亡の動機が会津公ご命令の芹沢暗殺となれば、新選組だけに責任を押し付ける事は出来なくなります。新選組だけに責任を負わせようとするなら差し違える覚悟があると見せればいい。新選組は腕利きです。敵に回すのではなく抱え込んで最悪飼い殺しにすれば良いと考えるでしょうね」
「それはつまり、私達は最前線に送られるという事ですね」
「このままでも変わりませんよ? 役に立てば飼い殺しにするのは惜しいと考えるようになるものです」
「乗るか反るかの大博打、というわけか」
「現状でも博打を打っているようなものではないのですか? 『変若水』や『羅刹』という爆弾を抱えさせられているのです。隊則が厳しく切腹する代わりに『変若水』を飲むという選択肢を与えているといっても、新選組が『変若水』の実験に使われている事実には変わりがないでしょう? 千鶴さんは、幕府にとっての切り札になります。土方さんとも近藤さんともお知り合いなのですから、新選組が取り込んでしまえばいい」
「千鶴を道具にするわけか……」
土方さんが苦い表情をする。身内には甘いのよね、この人は。
「新選組を守る為だけに千鶴さんを利用するなら千鶴さんを道具扱いした事になりますけど、新選組も千鶴さんも両方取るなら、掴んだ者の勝ちですわね」
挑戦的な視線を向けると、目を瞠った土方さんはにやりと力強い笑みを浮かべた。
強気になったところで、私の都合も押し付けないとね。
「それと……」
「なんだ?」
返事をした土方さんに首を振って見せて、視線を綾乃と煉に向ける。
「綾乃、煉」
「え?」
「はい?」
二人にとっては不意打ちだったらしく、反応が遅れる。
相変わらず突発事項に弱いのは、経験不足が否めないのよね。
「ここまで離れていると気配は読めないかしら?」
「え、っと?」
「?」
やはり読めないのね。溜息を吐いて和麻さんに視線を送る。
顔色には出ていないけど、この人が気付いていない筈がない。
「綾乃。煉。ここでは一族としての義務は放棄しなさいね。『羅刹』の存在は、新選組にとっては表沙汰に出来ないけど放棄する事も叶わない秘密事項なの。普段は彼らが監視・管理しているけど、時々血に狂って暴走するから、その時は『力』を使わずに首か心臓を狙う事。貴方達じゃ『力』が大きいのに隠せないから『西』に気付かれて厄介事に巻き込まれる事になるわ」
「静香姉さま」
困惑頻りの煉の表情が見えるけど、『羅刹』に無暗に手を出されるのは困る。
「いいわね」
念押しすると、綾乃が反感を抱いたような表情で私と和麻さんを見比べる。
「和麻には確認や釘を刺したりしないわけ?」
溜息が出る。
「確認する必要があるとでも? 私が感じ取れる気配を和麻さんが気付かない筈ないし、報酬無しには指一本動かしたくない和麻さんが、義憤に駆られて余分な手出しをする筈もないでしょう」
納得はしたくないけど納得せざるを得ない、という表情になって綾乃が黙り込む。
沖田さんの殺気が和麻さんに向く。こっちも溜息ものだわ。
「言っておきますけど、和麻さんは私より遥かにお強いですよ」
私の指摘に沖田さんばかりか、原田さんも永倉さんも息を呑む。
「で、後、着替えをお願いしたいのです。私は兎も角、三人はこのままでは目立ち過ぎますからね」
「まぁ。そうだな。和麻には、総司、お前のを貸してやれ。綾乃と煉は、斎藤から借りるといいだろう」
「それから、無理に私達を監禁したり監視したりする必要はありませんよ。」
言い放つと、土方さんだけでなく幹部達が殺気立つ。
ある意味単純過ぎるのよね、この人達。
「よく考えて下さいね。私達としても面倒事に巻き込まれるのが明白なのに、態々こんな事を吹聴する気はないし、そもそも私達が新選組にとっての重要機密を握っている事を、誰が知って情報を引き出そうとするというのです?」
『薄桜鬼』の原作の中ではその点が矛盾していた事でもある。
「それから『変若水』についての情報が洩れる経路として考えられるのは、行方不明の雪村綱道がどこで『変若水』の実験を続けているかという事と、それから新見錦が情報を流していた可能性を十分に考慮してください。」
私の言葉にまたしても幹部が殺気立つ。
一々ウザい。
思わず苛立ちの籠った溜息を吐いてしまう。
土方さんが眉を顰めた。
「一々殺気立たないでくださいます? 少し頭を使えば理解る事でしょう? もしも新選組に敵対する気があるなら、こんな情報を態々開示してみせて警戒心を煽るより、黙ってさっさと逃げ出して敵対する連中に情報を売った方がお手軽だわ。」
丁度タイミング良く、湯を使って着替えた千鶴ちゃんを斎藤さんが案内して広間に向かってくる。
「さて、このお話は今はここまで。千鶴さんが来ます。皆さん、くれぐれも千鶴さんにはご内密に。特に藤堂さんと永倉さんは迂闊なところがおありになるようですからね。」
「名指しかよ。気を付けるさ。」
「俺も新八っつぁんと同等なの? 了解」
「当然だな」
「当たり前だ」
「いいよ。乗ってあげる」
「続きはまた後ほど」
「そうですね」
皆さん、何のかんの言ってもフェミニストだからありがたいわ。
「和麻さん。千鶴さんの前では今は姿を消していて。明日の朝、宿から呼び寄せた事にした方が無難でしょうから。土方さん、沖田さん、三人の着替えの手配、お願いします。今夜のところは三人とも一緒の部屋で良いわよね」
抗議しようと開いた綾乃の口は和麻さんが塞いだ。千鶴ちゃんが近付く気配がしているから時間がないと判断したのだろう。実際時間はなかった。綾乃に貸した羽織を返して貰って、三人の姿が消えたのと、斎藤さんが障子を開いたのはほぼ同時だったもの。
千鶴ちゃんを中へ促した斎藤さんが障子を閉めようとするのを無言で阻止した沖田さんは、沓脱石の上の靴が三足消えるのを確かめてから障子を閉めた。
湯を使って綺麗になった千鶴ちゃんは、きちんとした、という土方さんが込めた意味を汲んで女物の着物を身に着けている。
冬の夜の冷え込みと、女が新選組の屯所にいるのは拙いという気遣いからだろう、斎藤さんが頭から羽織を被せていたらしい。
乾ききっていない濡れ髪は、まだ年若い少女を女らしく見せる。
千鶴ちゃんの纏う艶に、平助君は顔を赤くしている。
永倉さんも千鶴ちゃんが女の子だと判って唖然としている。
「女だったのかぁ。」
ぽかんと口を開けていた藤堂君が呟き、永倉さんがうんうんと頷くのを、原田さんが呆れた目で見ている。
「二人とも気が付かなかったのかよ?」
「だってなぁ、左之。」
「まるっきりガキだしさぁ。」
ポリポリと額を掻いて言い訳する藤堂君に、原田さんが可笑しそうに口元を歪める。
「二人とも、そんなんだから女性にもてないんだよ。」
「んだとぉ。だったら総司は判ってたのかよ?」
沖田さんが横口を入れると、永倉さんがムキになる。
「当たり前じゃない。どう見ても女の子でしょ?」
永倉さんの反論はあっさり沖田さんの反撃に合った。
「ガキとか言いながら、湯上り姿に見惚れてたじゃねぇか。」
「そ、それはっ……」
原田さんの揶揄いに藤堂君が口籠る。
「やらしいよね、新八さんも平助もさ。女の子だって気付かない内はぞんざいだったのに、女の子だと判った途端に態度変えるんだ?」
沖田さんが揶揄うのに、二人はたじたじになっている。
ぽかんとしながらその様子に視線を奪われている千鶴ちゃんの髪は、湿り気を含んだままだ。
「千鶴さん、こちらへ」
「えっ?」
呼び寄せるときょとんとしている。
苦笑して軽く千鶴ちゃんの手を引き、私が坐していた位置に座らせ、その後ろに膝立ちになる。
羽織を肩に掛けさせて、その上に綾乃から返して貰った羽織のポケットに入れたままにしておいたグラスファイバーのタオルを広げて、千鶴ちゃんの髪を下ろす。
「あ、あの……」
「すぐに済むわ。大人しくしていらっしゃい」
戸惑う千鶴ちゃんを無視して、手櫛で千鶴ちゃんの髪を解きながら、水の精霊達に千鶴ちゃんの髪から離れるようにお願いする。
いくらもしないで髪が乾いたので、首元で緩く纏める。
タイミング良く、新選組の局長殿の姿が広間に現れた。
「おお。千鶴君。久し振りだなぁ」
おおらかに千鶴ちゃんに笑い掛ける近藤勇に、千鶴ちゃんは行儀よく三つ指着いて頭を下げた。
「ご無沙汰を致しております。近藤さん」
その所作の上品なこと。
従妹の綾乃は猫被ってこういう所作をするけど、千鶴ちゃんは素でこうだからなぁ。
流石は名門の姫だわね。
町医者の娘というには上品に育て過ぎてる。
内心で感心しながら千鶴ちゃんを眺めていると、近藤さんの視線が私に向いた。
「君が神矢静香君か。千鶴君を助けてくれたそうだね。俺からも礼を言うよ」
「恐れ入ります」
苦笑して、千鶴ちゃんに引けを取らない所作で頭を下げる。
流石に袴姿でも私を男と見間違うほどの間抜けはいないらしい。
尤も男というには無理があり過ぎるから、言葉も敢えて男らしくしなかったし、いくらなんでも晒を巻いていない私を男と思うようでは間抜けを通り越してバカだろう。
「積もる話もあるが、今夜は流石にもう遅い。詳しい話は明日にしよう。千鶴君は今夜の宿がないと聞いたし、神矢君も夜道は物騒だ。二人とも泊まっていきなさい」
「部屋を用意しなけりゃならねぇが……」
「新選組は女人禁制なのでしょう? 明日の朝には千鶴さんも男装する必要がありませんか?」
「それよか静香ちゃん、どう見ても女だぜ?」
「そうだな、新八でも間違えないくらいだもんな」
「左之っ!」
「千鶴ちゃんが女の子だって判らなかった以上、新八さんはあまり大きな事言えないと思うよ」
原田さんに続いて沖田さんがとどめを刺す。
そういえば沖田さんと永倉さんは、千鶴ちゃんをちゃん付けで呼ぶんだっけ。
溜息が出る。
「新選組は女人禁制なのでしょう?」
繰り返す。
「呼び捨てや苗字呼びなら兎も角、名前にちゃん付けなんて、女の子扱いこの上ないのではありませんか?」
「あ……」
永倉さんは初めて気付いたという表情だけど、沖田さんは肩を竦めてる。永倉さんは無意識、沖田さんは承知の上なのね。
「私の事はご心配なく。晒でも巻いて声色を使って所作を偽れば男に見えますよ。ちゃん付け呼びされたら元も子もありませんけどね」
くすりと笑う。
千鶴ちゃんが困惑しているのか眉を下げている。
「詳しい話は明日にして、今夜は近藤さんの仰る通り休むべきですね」
「客間があるんだが、布団は干してないから埃臭いと思うが……」
土方さんは本当に千鶴ちゃんが大事なのね。
「今夜一晩くらいは我慢しますよ」
ねぇ、と千鶴ちゃんを振り返って同意を求める。
千鶴ちゃんは困惑しながらも頷いた。
「すまねぇが、そうしてくれるか?」
土方さんが千鶴ちゃんに謝罪を入れる。
本当に千鶴ちゃんの事、大事にしてるわねぇ。
ここまで千鶴ちゃんに心を砕いている土方さんって、どうなんだろう。
なんだか面映ゆい。
斎藤さんの先導で客間に案内される事になった。
部屋を出る時ちらりと視線を送ると、土方さんと沖田さんが頷いてくれた。
三人の事は任せても大丈夫、よね。
事情が解らない以上、余計な事をして事態を悪化させたら拙いくらい、いくら綾乃でも理解るだろうし、和麻さんが私より遥かに強いって言っておいたから襲撃なんて馬鹿な真似、しないでくれるだろうし。
京の町から壬生村まで歩いたし、千鶴ちゃんもお風呂を使ったし、食事をしていないけど明日の朝までくらいなら我慢出来るかな。いざとなればチョコレートがポケットに入っているし。
布団は自分達で敷いて早々に休む事にした。
「あの、神矢さん」
「静香でいいわ。静なら男名前としても通るから。二人きりの時は千鶴ちゃんて呼ぶけど、人前では雪村君呼びにするね」
「は、はい」
「で、千鶴ちゃん、夕餉は食べていないのでしょう?」
「は、はい」
「実は私も。携帯食でムシ抑え程度になる物があるから、今夜はそれで我慢しときましょ」
ウインクしてポケットから取り出したチョコレートを千鶴ちゃんの口に放り込む。
「! 美味し……」
「数が少ないから内緒ね」
千鶴ちゃんは口をもごもごさせながら頷いた。
部屋には家具らしい家具はないけど、文机と行灯がある。
手早く髪を解くと、綾乃と似た髪質で色の違う私の髪が広がる。
「綺麗な髪ですね、静香さん」
「そう? 土方さんには遠く及ばないけど」
「そりゃあ歳兄様は髪もとても綺麗だけど」
千鶴ちゃんの口調には当然というニュアンスがある。
「あらら? 土方さんは別格という事なのかしら?」
「え、あ……」
千鶴ちゃんが真っ赤になる。この反応からすると、千鶴ちゃんは仄かには自覚しているのかも。
微笑ましいこと。
押し入れから引き出した布団は言われた通り湿気って黴の臭いがした。
精霊に頼み、黴が枯れる程度に湿度を払って貰いながら布団を敷く。自分の分と千鶴ちゃんの分も。和麻さんの力なら、お布団を温める事も出来るんだけど、私はそうはいかないわ。
ポニーテールにしていた髪ゴムで、首元に髪を纏め、袴と着流しを脱ぎ襦袢姿になる。
千鶴ちゃんも着物を脱いで手早く畳み、私達は月明かりだけでそれらを済ませて布団に潜り込んだ。
障子に月明かりで影が射す。
気配を消されていたので今まで気付かなかった。廊下に土方さんと斎藤さんがいる。
ふっと溜息を吐いて布団から抜け出す。
「静香さん?」
「千鶴ちゃん、一緒の布団で寝てもいい?」
「え…」
「その方が温かいし。警護の為だと思うけど、廊下に斎藤さんと土方さんがいるの。廊下じゃ寒いから体に悪いわ」
「あ…」
「せめて部屋に入ってもらいましょ?」
こくりと頷く千鶴ちゃんの同意を得て、真ん中に並べて敷いた布団の位置をずらす。あと一枚布団を敷く事が出来るスペースを確保して、羽織を引っ掛けて障子に向かう。
そっと障子を開けると並んで座っていた二人が驚いて振り返る。
「そんな所にいては冷えます。せめて部屋に入って下さい。私は千鶴ちゃんと一緒に寝ますから、お布団一組運んできてお二人も布団で休んで下さい」
「いや、女子の隣で休むなど…」
狼狽える斎藤さんに苦笑する。
「信用しておりますよ。斎藤さんは真面目な方ですし、土方さんは千鶴ちゃんを大事にしてらっしゃるから、お二人とも無体な真似などなさいませんよ。寝ずの番などして明日の仕事に差し支えても困りましょう? それに眠っていても、すぐ傍にいる者が抜け出して気付かない迂闊者でもないでしょう?」
斎藤さんの反論も、土方さんの意図も承知の上。
尤も、起きていても二人に気付かれずに抜け出す事などそう難しい事ではないけれど、それを明かす事もない。そもそも抜け出す気はないんだし。
「千鶴ちゃんは兎も角、私がいては土方さんはお休みになれないでしょうけど、布団で横になるだけでもして下さい。貴方は新選組を支えなければならない方でしょう?」
本来なら寝ずの番の見張りなど平隊士の仕事だけど、私の事は平隊士に気取られるわけにはいかない筈。だからって、何も副長が自ら寝ずの番なんて……。あぁ、沖田さんが斬る斬る言って千鶴ちゃんを脅す心配があるのかな。それとも、和麻さん達の見張りに、沖田さんが付いているのかしら。
困惑して顔を見合わせていた二人は、私の顔を見て溜息を吐いた。
「斎藤。お前の部屋の方が近い。布団を持ってくるといい」
「いえ、副長。布団をお持ちしますので、副長がご自分の布団でお休み下さい」
切がなくなるな、これは。
「土方さん、私の事は斎藤さんには?」
千鶴ちゃんの耳には届かないように、小声で言葉を伝える。
土方さんは小さく首を縦に振った。それに頷き返して、今度は斎藤さんに話し掛ける。
「お布団は、力を使って乾かしてあります。斎藤さんはご自分の布団を運んで下さい」
訝しそうな表情をしたが、襦袢の上に羽織を掛けている私の姿に、これ以上口論を続ける事は好ましくないと考えてくれたようで、行動に移ってくれた。
「土方さんは先に部屋に入って下さい。私が壁際で、土方さんとの間に千鶴ちゃん、土方さんの向こうに斎藤さんで良いですね?」
「あ、ああ。……仕切るな、神矢は」
「え? ああ。一族は実力主義なので、新選組と同じ機構です。組の人数は少ないですけど。まぁ、本音を言えば、弱い者を守りながらだと人数が多いと大変なんですよ」
「神矢は強いって事か」
「……手合せしますか? 得意は徒手ですが、剣も使えますし」
「それは知ってる」
あ、そうか。『羅刹』を始末するところ見られてたっけ。それに沖田さんを封じたし。
近藤局長がどこまで強いか判らないけど、土方さんクラスを相手に乱取りしてもそうそう負けない実力あるしね。
剣を使うなら、現状では鬼と新選組を合わせた中で風間千景が一番強いけど、彼など私にとって敵じゃない。
スタミナが足りないから和麻さんには到底敵わないけど、小技なら和麻さんと張れるんだから。
「すまないな、千鶴」
「いいえ。歳兄様。静香さんが教えて下さらなければ、歳兄様達が廊下にいらした事も気付けなくて、申し訳ありませんでした」
土方さんが苦笑している。
気配を消していたから、二人の事に気付く人間はそうはいないけど、敢えてそれは言わずにおく。
私は、押し入れに残っていた座布団を三枚ほど引き出して重ねて乾かした。この時代の枕は私には使い難いから、物が座布団でも構わない。流石に折り曲げて使うわけにはいかないから三枚は必要になる。
そうこうしていると斎藤さんが布団を抱えて廊下を歩いてくる。斎藤さんが部屋の前に着くのと同時に障子を開いて、止まる暇なしに部屋に入るように促す。
障子の傍に布団を敷けるスペースを見付け、斎藤さんは自然にそこに布団を敷いた。
現代の東京から幕末の京都に来た身としては、かなり寒くて堪える。確か斎藤さんも寒さは苦手な人だった筈だから。
部屋の外側の方が気温が高くなるように精霊に温度調節をお願いして、朝方には自然に気温が下がるようにして貰おう。
兎に角全ては明日から始まる。
目が覚めたら戻ってた、なんていうのはお気楽だけど、中途半端過ぎて消化不良になりそうだから、まだ戻りたくないかも。
私が本来の私の居場所に戻れるか戻れないかは謎だけど、私がここに飛ばされた原因だけでも知りたいかも。