4月上旬の旅になりますが、震災から2年が経過した東北の沿岸部に少しでもお金を落とそうと思い1人旅に向かいました。
青森空港まで飛行機で行き、青い森鉄道で八戸へ
八戸でイカのおつまみを食べ、八戸線で久慈に向かいました。
八戸線は今では貴重な国鉄時代のディーゼル車ばかりです。
お菓子
八戸は津波で浸水した場所がありますが、車窓からは全くわかりませんでした。
ほとんど元通りに戻って以前と変わらない生活をしているようでした。
久慈に到着
久慈は震災の被害が少なかったようでした。
ホテルにチェックインし、街を散策しました。
翌朝は三陸鉄道で南下しました。
久慈から宮古までの路線ですが、途中の田野畑から小本までが線路の流出などの被害で不通となっています。
田野畑まで始発列車に乗りました。
キットカットのラッピングトレインです。
車窓
この区間は険しい地形の高い所を走るのであまり津波の被害はなかったようです。
鉄道に並走するように高規格な国道を建設していて、開通後の三陸鉄道の経営への影響が心配です。
田野畑に到着
この先の線路はサビついています。
バスで小本へ向かいました。
乗客は数人程度でした。
細くて険しい峠を東京タワーのてっぺん位の高さまで山越えをして小本に向かいます。
列車の数倍の時間がかかります。
小本から宮古行の三陸鉄道に乗ります。
乗客はたくさん乗っており、宮古に着く頃には立ち客も出ました。
宮古到着
駅の周りは津波で浸水したのですが、ほとんどわからない位に復興していました。
駅で少しでも力になれたらと思いたくさんお土産を購入しました。
山田線が不通のため、バスに乗って船越経由で釜石へ
この区間は震災半年前に偶然旅行で使いました。
その頃の駅の周りには街があり、人の乗降もたくさんありました。
途中の吉里吉里や大鎚ではみんな流されていて2年の月日では何も解決していない地域がたくさんありました。
駅の跡や、密集地の土台の数から以前の街並みが想像できますが、途轍もない被害なのが一目瞭然でした。
奥の白い建物は病院で、一見何ともないのですが、津波で浸水して閉院になってます。
団地の2階が浸水してます。
高い橋ですが、逃げた方は津波に飲まれたのでしょう。
沿岸から1キロくらいですが、津波の高さの所は手すりが変形してます。
右側の線路がある所までは建物もあります。線路が途切れた先から街は消えてます。
標高1mの違いで建物の有無が変わっています。
釜石の市街は駅から少し海側へ行くと、今でも津波を受けて1階が鉄骨だけの建物などがあります。
テレビなどでは見た事ありましたが、自分の目で見るのとでは明らかに違います。
釜石から南下したかったのですが、三陸鉄道南線が不通な上、バスが全然なく諦めました。
快速はまゆりの乗客も震災前と比べて明らかに少なく、この地域から住む人も訪れる人も消えてしまった事を実感しました。
真新しいお墓もたくさんありました。
でも着実に復興は進んでいました。
その後は東北線で松島へ
松島は島がたくさんあり、津波の高さが低かったようで被害がほとんど残っていませんでした。
観光地も元気いっぱいでした。
松島から仙石線で仙台へ
仙石線は松島から石巻方面に不通区間があります。
松島とその先では被害が大きく変わるようです。
被害が少なかった所は2年の歳月でほとんど爪痕が残ってませんでした。
本当に復興の早さと前向きな姿勢には驚きました。
翌日は福島の原発から50キロくらいで立入禁止区域まで10キロ位の所にある祖父母のお墓に向かいました。
福島駅からバスで40分で街の中心部へ
人々は普通に暮らしており、震災前と変わらない姿にビックリしました。
福島と聞いて放射能を連想してしまいますが、立入禁止区域以外は変わらない暮らしをしている方が多いようです。
お墓は街の中心部から徒歩30分。
お墓の近くは除染作業中でした。
祖父母に娘の見守りを頼み千葉に向けて戻りました。
離婚していろいろな事があって僕の心の中は大きな津波で流されてしまいました。
被災地の方々の前向きな姿勢を見習って僕も時間をかけて復興していこうと思いました。
東北の観光地は元気を取り戻しています。
皆様も東北に足を運んでみてはいかがでしょうか。
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