村「私の妹の亭主がね、遠友のことになるとお茶も飲まないで一生懸命になるんです」

中「遠友の流れの何かなんですね」

村「妹が日頃から言っているんですよ。何々先生、何々先生。一つの例を言いますと、妹の場合、妹の遠友時代の先生最近亡くなったのですが、泣きながら電話きました。何々先生亡くなったって、心配で、今は元気になっていますが、いますよちょっと待って、あなた優チャンから電話ですよ、すると電話にでておお優子か、こんな感じなのです。遠友時代こんなことがありました。三毛さん妹が一つ成績が丙、父もたまげちゃって恥ずかしいからやめろと言う。小島先生が家にいらして、やればできる子なんです。幹生さんの妹でしょう。やればできる子なんです。教え方も悪かったし、やるという欲も必ず出させてみせるからおいてください、と交渉してとめられたんです」

中「こういうこと言える先生今いるかな」《第一部インタビュー第五章p.61参照》

村「二十三歳の青年ですよ。私も驚いたのは、妹は植物園に就職したんです。博物館の飾り付けを全部壊しちゃったことがありました。自分でセットして、全部書いて、絵も描いて、鹿なら鹿の何年捕獲の鹿だとかを全部一人でやったんです。それを誇らしげに遠友の生徒に言ったんです。気に入らないので全部壊してしまったのです。優子何やっているの、いやこれ気に入らないから壊しているの、そうか、で通ちゃった。なるほど、そこまであの優子を育ててくだすったのかなと感謝いたしました」

中「そういうふうに、学生ながらその人の立場にたってその子のことを考え、お父さんにあって将来のことを言い切れるというのは素晴らしいことですね」

村「それからね、正一って言う魚屋の小僧がいたの。鼻たらしてね、ねちっこいの。仲間にね、腕白で、泣いて先生のところに行くの、先生は試験つくりで忙しいでしょ、また皆忙しくなるでしょ。それで上級生が先生に代わって押さえるの」

中「そういうかたちもあるんだ」

村「上級生は知恵もあるし、力もあるし、勉強なんてしなくてもいいから、自分できちっとしろよで収まるんです。ある時、酒井先生宿直のとき、宿直室・職員室が鼠、虱だらけになって夜中に掃除させられちゃって。夜中に女の子三人で六畳と三畳の畳全部取り出して、たたいて新聞取り替えて、薬買ってきて掃除しました。十七、八の女の子ですよ。

今の女の子に出来ますか。先生は何の役にも立たない。また、おい三毛さんちょっとこいよ。何ですかといくと、おい見てみろよ。先生が生徒に詩を作れといったんです、それと短歌を四つ。正一の作品、佐藤、あたたかくなったからサクラの花も咲き始めた、二人で泣きました」

中「この自然の心の発想が遠友にあったのですね」

村「怒る時は全校、先生も生徒も泣く。また何処からでも笑い声が聞こえてくる。酒井先生声が大きくて、端から端の教室まで聞こえてくるんです。寛ちゃんやってるね。中にはぐうぐう寝ている子もいるんです。寝さしといてやれよ、ジーンときちゃいましたね」

中「普通そういう風にいえないですよね」

村「それをいとおしそうに見ながらね、寝さしといてやれよ。二十三、四の先生の言う言葉ですか、給料も足代ももらわないでこうして教えに来ているのに、なんだって言うものですよ。チビならいざ知らず、二十歳過ぎた自分と同じような生徒でしょう。年齢が接近していますから。忠さんなんか入ってくるのが二十五歳(?)でしたから、兄貴格でしたからね。その中に中学中退して入ってきたのがいましたが脱落していきました。

中にはずるい生徒もいました。昼女学校、夜遠友これも脱落しました」

中「何時の時代にも脱落する生徒はいますね」

村「先生の本職のほうにはいじめなんかは無いんでしょう。あるんですか?」

中「全国至る所にあるんですよ。この地域は絶対無いとか、この学校には絶対無いとかはないんです。今、私のクラスにもあります。普通の生活の中にあるんです。喧嘩とか、口で、また、殴りあうとか、昔もあったと思うんです。ただ、今は一対一ではやらず、一対複数、または皆で一人をいじめる形なんです。対応の仕方がすごく難しい」

村「昔ありました。女の子で、いじめている子は親の背中を見て覚えます。あなたはいじめるほう、いじめられるほうと聞くと、私はそれほど弱くありませんという答え。いじめる子ほど弱いんです」

中「弱い子をいじめ、強い子にはいじめられる。一人じゃなく皆でやらないと出来ない。

だから弱いのです。昔から今まであるのだけれども」

村「昔は喧嘩はカラッとしてたでしょう。さっき喧嘩していたと思ったらもう一緒にいるという状態でしたね」

中「強いのにぶつかっていって負けて自分の弱さを知ったり、やむにやまれず喧嘩して勝ってみたり、いろいろ経験して小学校時代過ごしましたからね」

村「私どもの時代は喧嘩するでしょう。まあ傷つけたりする。先生が叱ると、いじめたほうもちょっと悪くなって謝って終りですね。今は親が重大問題にしてしまう、先生も困って、保健室に行って赤チンつけて包帯巻いて大げさなことするから親は抗議する。もう一つは親の意識が良い悪いでなく先生以上に高くなっている。生意気なの、今の親は。

先生に任せるっていう気持ち無い。昔は先生に任せたものです」

中「今は先生なんてと親は思う」

村「でもしか先生」

中「その定義はおいておいても、学校という職場ではそういわれても仕方ない面はあるのですが、公立の学校では必ずと言っていいほど、“遅れず、休まず、働かず”、の先生はいます。先生方への規制は多くなりました。管理教育ですか、また、地域も崩壊状態です。違った時代に違った対応が求められています」

村「一つの細菌みたいなものだと思っています。社会の流行病みたいなもので、人間がエゴク成りましたね。非常にエゴが膨らんじゃって・・・」

中「中村さんの場合だったら戦前の明治憲法のもとに生まれ育って、戦後の新しい憲法のもとで生活するという大きな変化がありました。前の時代の考えでは今の時代は生きられない。最近もう一度変化があったのです。それはバブル崩壊です。今の子はとても豊かな時代に生まれ育ってきたのです。が、この変化に気づいていないと思います。気づいても変わらなければ意味がありません。私達がどうするか、家庭で、学校で、社会で、問われているのです」

村「感心したことがあります。ラーメン屋のお母さんがこういうこといっていました。今の不景気これが当たり前だ。バブルにだまされたのが長く続いたら人間が駄目になる。

商店の女将さんがですよ」

中「そのとおりで駄目にしてしまったのが前の時代、駄目な時代に家庭、学校、社会それぞれが駄目になった。取り戻す時代に入っているのですが、国家が、地方が中心になっていかない。個人では難しい」

村「戦後ね、モノ・カネできた結果がこのような社会情勢になった。人間性の喪失ですね。今ここでがくんとしてやっと我を取り戻して、人を大事にしなければならないと。携帯電話、ゴミは散乱、事故、詐欺、弱い者いじめ、・・・乱れる流れをどう止めるか。人間と言うものは年々歳々その時代において行動を自覚していくものじゃないですか」

中「そのような精神は若い時代から育まれたものですか?」

村「そりゃーもう遠友ですよ、何処そこ考えても原点は遠友ですよ」

中「とてもいいめぐり合わせがありましたね」

村「でも、私の人生は、子守り、女中、子守り、女工そして先生に拾われてね、北大で働い

て、夜学校に入って、人間らしい雰囲気の中に交わりを持って、水族館でしょう、わ―と世界が広がっちゃってね、そうしたら本来の自分を取り戻したんでしょうね」

中「私を受け入れて下さいましてありがとうございました」

村「遠友の人達は遠友に関する話には喜んで会いますよ。理由はどうあれ、丁寧にお話しすると思います」

中「そこを私は吸収したいし、残しておきたいと思います。先ほど言われた菫会の『文の園』が記念室に結構残っています。それを写して今学級通信に載せています。名前はもちろん載せませんが、時代によって子供の気持ちの違いがわかります。遠友夜学校はなくなったのでなく今も役立っています」

村「有難いことですね」

中「市のほうも協力して頂いております」

村「プロデュ-サ-の方が、中村さんこれ覚えていますかって出されて、忍耐という題の 綴り方なんです。作者の名前が書いていないの。これ何ですかと言ったら、十七歳の少女の書いたものです。小さかったのね、今どうしているだろうねといったら、あなたのですよといわれました」

中「やはり明治期の四十四年の有島武郎の倫古龍會の一番最初の巻頭言を読ませていただきましたけれど、市の方の許可をとって活用させて頂いております。市の方は名前を伏せてくださいということです。自分で勉強させてもらったり若い人達にも伝えているんです」

村「石塚先生からも、髙倉先生からも原稿頂いております。菫会の中には酒井先生の原稿 がはいっています」

中「入っています。読んでいます」

村「それ勉強になりますよ」

中「分かりました。それで、一番残っているのが文の園なんです」

村「やはり女の子が真面目でしたからね。努力しましたよ」

村「いろいろな話をして忘れることがあっても、これだけは取れません。マインドコントロールです。夜学校の存在です。一番最初のT字形の玄関に入っていくと廊下でしょ、こっちに教室、こっちに職員室、あとこっちに教室がいくつかあって曲がったところに教室がもう一つある。ここじゃT字形に並んで、正義と善とに身をささげ・・・と校歌を皆で歌う」

中「生徒はこの廊下のところに並んだのですね」