“こだわり”を価値観の相違であるということもできるはず。


障害から状態群へ。


私は知らないことが多いなと改めて思った。


コロナ禍の中でも「人が密集して社会的な喧騒に身を晒し、笑い声や同時多発的な会話に満ちた空間にいる」ということがどうしてもやめられない人たちというのは、社会的な情報や刺激に強い快を感じる「神経学的な特性」を持っているという考えが、分かりやすかった。どういうつもりなんだろうかと思っていた人たちのことが少し分かった気がした。