地元の図書館に本を探しにでかけたんだけど、お目当ての本はすぐに見つかって、他に何か有るかなあ~~って感じでキョロキョロしていたら、新聞のコーナーの前に。
そういえば・・・・12月に参加したイエノコトであったお料理教室の写真が、1月1日付けの毎日新聞に載っていたってことを思い出したので、探してみようという気になりました。私が写っていた写真・・ということは聞いていたんだけど、どんな記事なんだろうって気になったので。
記事はすぐに見つかって、内容も読んで満足したんだけど、ふとその記事の下をみると、見覚えの有るお顔が・・・。
大牟田の老舗、菊水堂の森史朗氏のお顔でした。
内容は、大牟田のかすてら饅頭の記事です。
かすてら饅頭というのは、千鳥饅頭のような饅頭といえばわかりやすかなあ(福岡の人は特にね)小麦粉、砂糖、卵で作った生地を使った焼き饅頭です。中身は白餡。北部九州に多く見られるお饅頭であります。
かすてら饅頭の発祥の店が、大牟田の菊水堂というわけで(他にも諸説ありますが・・)新聞に紹介されてました。
菊水堂の森史朗氏には、昨年、お店をお訪ねしたときにお会いする事ができて、いろいろとお話をうかがわせて頂きました。その後、私の大学時代の友人(大牟田出身)にその話をしたら、どうも知り合いのようでした。世間は狭いものです。
昨年の大牟田の事はこのブログにもUPしてますので、ご覧下さい→☆☆☆
大牟田は炭都でした。
三井三池炭鉱とともに、お菓子の文化が育った土地です。炭鉱が全盛時代だったころ、和菓子屋が200軒もあったそうです。今でも、多くのお菓子屋さんがあります。スイーツ好きには、楽しい町です。
それにしても、シュガーロードのお菓子を追いかけていたら、お菓子関連の情報が集まってきます。面白いな~~・・・って・・・ちょっと不思議なんですけどね。
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~長崎街道(シュガーロード)に魅せられて~
長崎街道(シュガーロード)は江戸時代に整備された脇街道の一つで、小倉の常盤橋を起点として長崎にいたるまでの路線です。長崎の出島に入った砂糖はこのルートを通って大阪や江戸に運ばれました。この砂糖が通った道沿いには、さまざまなお菓子が生まれることとなります。そして、時代が下って、炭鉱が華々しい頃にそのお菓子たちは筑豊で大きく花開く事になります。今では全国的に有名になっている【ひよこ】や【チロルチョコ】などは筑豊生まれのお菓子です。
私はこのシュガーロードを歩いて、お菓子が生まれた土壌、文化などを調べたいと常々思っていた・・というわけです。小倉~長崎までの宿場町に繁栄したお菓子、今でも残っている古いお菓子、新しい時代のお菓子、絶滅しかかっているお菓子など調べますよ。そして長崎まで調べたら、南蛮菓子の故郷、ポルトガルへ・・・と野望をいだいております。
近頃は、長崎街道からはみ出しております。あしからず・・・
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街道に当てはまらないお菓子などのことは、テーマ、お菓子ストーリー・スイーツ女子の日々に書いています。
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