生徒様みなさんに可愛がっていただいた愛猫の丸子(白猫)が3月20日に亡くなりました。
昨年夏に突然、全身痙攣をおこし泡を吹いて癲癇(てんかん)をおこしました。その後は投薬で落ち着き、もう発作はないかな~と思っていた12月。様子がおかしいので病院で診ていただいたところ、内臓に大きな腫瘍が3つも見つかりました。
そして今年2月頃からは肺と心臓の周りに水が溜まるようになり、油断すると肺が圧迫されるのか息が荒くなりました。週2回通院して水を抜いて呼吸を楽にさせてあげるくらいしかできませんでした。
ついには栄養障害から皮膚がボロボロになり、真っ白な毛並みがあちこちどんどん禿げて血が滲む身体になってしまい・・・痛々しい姿になってしまいましたが、以前と変わらず隙があれば膝に乗ろうとして来たり甘えてきたり、キッチンにもトイレにも私が行くところに足を引き摺ってついてくるような子でした。
今月に入り手足がどんどん悪くなってきて、移動も最低限になってきたのもつかの間、前足の筋肉が硬直して動かなってしまい、トイレも寝がえりも介助が必要になりました。
丸ちゃんが心配で、毎晩明け方まで丸子の横で眠りました。時々目を開けると、30センチくらいの距離でいつも丸子がじっとこちらを見ていました。身体がつらいのか熟睡している様子はほとんど見られませんでした。
なんとかしてあげたい気持ちと、高齢だし身体がつらいなら早く楽にさせてあげた方が良いのでは?という葛藤で、夜中に家族が眠った後丸子を抱っこして泣いてばかりいました。私にはどうするのか最善だったのか今でもわかりません。
抱っこするたびに丸子の骨を感じるようになり、最終的には体重が2キロ台になっていました。
20日は午後に2~3時間だけ外出する予定があったのですが心配で心配でたまらない気持ちでいました。が、午前11時ころに細い唸り声をあげしばらくして息を引き取りました。
一人暮らしを始めた15年前、東横線沿いの新丸子駅近くに住んでいた頃。
当時住んでいたマンションの路地に野良猫が住んでおり、2000年7月に子猫が4匹うまれました。そのうちの1匹が丸子なのですが、丸子だけ両目が開かないうちに眼やにで目が塞がってしまいそのままある程度成長したため目の膜が開かないままになっていました。
ひどい鼻炎もあったので目も見えない、鼻も効かない状態でいつもエサにありつけず1匹だけガリガリで灰色のボロぞうきんの様な姿でぐったりしていました。
私はベランダからその白い子猫を見て気になりエサをあげにいくようになりました。
私の足音と声を覚えてくれて行くだけで走ってこちらへ擦り寄ってくるようになり愛着もわき汚い身体を洗ってあげることにしました。真っ白になった子猫を動物病院へ連れて行きこの子と一緒に暮らす決意をしました。新丸子に住んでいたので適当に丸子とつけました。
とはいえ、当初私は就職1年目の秋。全然お金はありません。目の手術や、いまかかっている病気を治すのにたくさんお金が必要でした(動物病院は保険がききません)
はじめてのボーナスを全部丸子の治療費に充てました。周囲からはバカだのなんだといろいろ言われましたが、丸子の目が見えるようになったことのほうが大切でした。
それから約15年間、丸子と私はぴったりいつでも一緒で暮らしてきました。
丸子は犬のような猫で人見知りもせず誰とでも仲良くなれる珍しい猫でした。丸子に助けられたことも多々ありますし、学んだこともたくさんあります。私の東京生活は常に丸ちゃんと一緒で丸子がいなかったら他の2匹(でんすけとのりこ)を拾うこともなかったでしょうし、丸ちゃんがいなければ上手くいかなかった人間関係もあったんじゃないかと思います。
丸子は今週水曜日に火葬予定です。私が着倒したぼろっぼろのパジャマを一緒に入れておきました。かつおぶしを混ぜたカリカリも入れました。
まだ居なくなった実感はなく、ふと丸子の気配を感じて振り向いたり、他の猫が丸子に見えてしまったり。現実を受け入れなければなりませんね。
↓まだわりと元気な頃

↓腫瘍がみつかり皮膚がすこーしだけ脆くなってきた頃(でもまだ初期)

これ以降の姿は痛々しくて載せられません。。。
丸子に感謝をしてお骨をお迎えしたいと思います。
さよなら、丸ちゃん。
最後に、丸子の治療に親身になってくださった奥沢キャットクリニックの皆様に感謝しています。昨年新しく開院したこのクリニックは15年前に丸子と出会った場所から徒歩3分程度の場所にあります。
当時新丸子から引越しした時はもうここら辺にくる用事はないかな?と思っていたのでとっても不思議な気持ちでした。


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