

GWスタートした昨日は「昭和の日」。
自分が若い頃は天皇誕生日でした。
戦前の言い方なら「天長節」。
かつて満州事変が起きた翌年、昭和7年(1932年)の天長節式典は、続く上海事変の最中に現地上海でも行われていました。
その最中に演壇へ爆弾を投げつけ、陸軍大将白川義則などを爆殺したのが、朝鮮人の尹奉吉(ユンポンギル)。
(上海の天長節式典 マイク前が陸軍大将白川義則 後列奥は後に外相になる重光葵で、このテロで片足を失う)
日本側からみればテロリストですが、韓国では安重根(伊藤博文暗殺者)などとともに近代史上の民族英雄として讃えられる1人です。
その後の日中戦争に続く展開で、抗日運動として日韓が連携する構図の契機になった意味合いもあるみたいですね。
彼はその後何故か日本の金沢刑務所に送られて、そこで死刑になったらしい。
現地金沢の在日韓国民団なども、小さな記念碑を設置してはいたようです。
そんな金沢で今年、爆弾事件の日(つまり昭和の日)に合わせて尹奉吉記念館が開館される予定でした。
しかし右翼団体などから猛抗議を受け、とりあえず開館延期になったというニュースあり。
ちなみに記念館を準備していたのは韓国に住む元ジャーナリストで、現地の在日民団はむしろ反対していたというから、話はちょっと複雑です。
民団の人たちは、おそらくひっそりと尹奉吉を顕彰していたかったのでしょうね。
自分がそれで思い出したのは、女優黒田福美さんのこと。
彼女はかつて、日本の特攻隊員として亡くなった韓国系青年を慰霊する碑を、本人の故郷泗川市に建てようと奔走しました。
けれどあちらの激しい反対運動に遭って、直前に中止を余儀なくされたのです。
顕彰される相手も、企画した人のスタンスも、今回の話とは全く違います。
けれど日韓両国民の民間レベルの歴史認識をめぐる交流が、そう簡単ではない事例として、連想がはたらいたのです。
そういえばあの韓国の慰霊碑は、その後どうなったのか、検索してみました。
それで見つけたのが、この記事です。
もうあの騒動から17年が経っているんですね。
慰霊碑はその後龍仁市の尼寺に場所を代えて立てられたものの、それも抗議運動を受けてからは地べたに倒されたかたちになっていたとは……。
石碑の銘が「帰郷祈願碑」だったのも、今回初めて知りました。
ちなみに尼寺がある龍仁市は、調べてみると同じ韓国でも本人故郷の泗川とはだいぶ離れてます。
尹奉吉も展示された独立記念館がある水原市の近くですね。
「帰郷祈願」の意味も複合的になりました。
17年前に辛い交渉を余儀なくされた黒田さんの発言が、今や韓国側に厳しくなっているのは無理もありません。
あの国に何度か行ったことがあるだけで、彼女とは比較にならないくらい浅い交流経験しかない自分です。
そんな自分から見ると、黒田さんの韓国評価は当たってる面もあるとは感じつつ、それは他の国でも(日本も含め)ありがちなことでは〜と思わなくはない。
それでも彼女は諦めずに、韓国との関わりをいろんなかたちで続けてるのだから、傍観者の分際がどうこう言う資格なんか無いですよね。
ともあれ、金沢の尹奉吉記念館は、今後開館できるのでしょうか…。
個人的には開館にこぎつけてほしい気持ちもあります。
でも17年前、泗川市と丁寧な交渉をしていた黒田さんでさえ、実現できませんでした。
まして今回の金沢では、地元の韓国民団とのコンセンサスさえ出来ていないようです。
抗議に街宣車を走らせる右翼団体はけしからんとしても、やはりこういうナーバスな施設を民間で作る場合は、地元の理解が大切なはず。
民団以外の金沢市民の間にも、歓迎する空気は乏しいように見受けられます。
安重根に暗殺された伊藤博文も、日本国内では日本の憲法体制を進めた比較的リベラルな藩閥政治家のイメージはありますよね。
でも彼だって、若い頃は幕末の高杉晋作に率られて、イギリス公使館を焼き打ちしたりしてるのです。
英雄とテロリストなんて、見方次第で紙一重でしょう。
ただその紙一重をすり合わせてゆくことが、後世の人間たちの相互理解につながるはず。
龍仁市の尼寺に倒されている石碑も、金沢市でスペンディングされてる記念館も、そういう擦り合わせのプロセスにある苦い道のりであれば…。
かつての天長節も労働者祭典メーデーも併せてGWにしてしまう「多様性」というやつが、日韓の各地域でも定着してゆきますように。
ちなみに、尹奉吉が爆弾を投げた半月後には、あの五・一五事件が起きました。
犬養毅首相を殺した青年将校たちには、減刑嘆願運動が起きています。
安倍晋三元首相を撃った人物にも同情の声が少なくないのは、まだ記憶に新しいところですよね。
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