「臨界期」という言葉を聞いたことがありますか?
こどもが自然に言語や芸術や運動を習得できるには年齢の限界(一般的に5歳)があると、教育研究者や脳科学研修者たちが決めつけてそう呼んでいる用語です。
はっきり言ってそんなものはくそくらえです。だって、6歳の自分のこどもに何かを教えたいと思い始めたときに、全て手遅れですと言われているようなものです。こどもは、ほがらかで、元気いっぱいに育ってくれれば、それで十分で、何かに興味を持ち始めたときにそれを始めるのに、遅いもへったくれもありません。よけいなお世話です。
まあそれでも、5歳以下のお子さんを持つ(あるいはこれから持たれる)おやごさんは、今のうちに何かをやらせてみたいと強く思われるかもしれません。何かを習得するというのは、非常な繰り返しによって得られるものです。日本語の習得も毎日毎日1日中誰かがるさいほど話かけてくれるから成り立つものです。自然に習得しているわけではありません。バイオリンのお稽古を毎日5時間こどもを泣かせながらさせる勇気と根気がありますか? それがなければ軽々しく何かを身につけてさせてやりたいとは考えないほうがよいです。そもそも5歳までの記憶ってあまりないですよね。週に何時間か、中途半端に何かを習わせたところで、こどもは習ってたことすら覚えていません。
毎日の生活や遊びの中にでも、繰り返しの効果や、出会いがたくさんあると思います。鬼ごっこで夢中で走っている子は陸上の選手になるでしょう。毎日テレビやタブレットでみせる番組を英語のものにしておけば、気が付いたら英語の歌をうたっているようになります。
英語学習でいえば、臨界期前のこどもは特別な能力が備わっているわけではなく、逆にとてもおばかさんなので、何の知識もないし、何も考えていないから、何でもそのまま取り入れてしまうだけです(突然英語の歌を歌い出したからといってこの子は天才か?と心配しなくても大丈夫です。1日たったら忘れています)。臨界期後のこどもは、変にかしこくなっているので、カタカナやローマ字も習って英語も外来語(日本語)としてごく普通に習得しているので、もはやこれ以降の人生で本物の英語を聞いても、ただただ変なチンプンカンプンな音としかとらえられません。
私は、英語学習の臨界期は年齢にかかわらず、親や友達や兄弟や英会話学校や塾や小学校や中学校の先生が英語を教えだす瞬間だと思います。