「これ、本当かな?なんか見栄を張ってるような気がする…」
そんなふうに思ってしまう自分がいる。
でも、そんなふうに疑いながら話を聞いてる自分が、正直ちょっと嫌だなって感じてた。
しかも後から話が矛盾してると、
「やっぱり嘘だったんだ」
と感じて、ますます信用できなくなる。
でも心のどこかでは、
「誰だって見栄を張ることくらいあるよね」
「気にしすぎなくていいよ」
って、自分に言い聞かせてる部分もある。
それでもやっぱり、
“何が本当で何が嘘かわからない”状態がしんどくて、
人と関わるのが面倒に感じてしまうときもある。
なんでこんなに疑ってしまうのか?
自分に問いかけてみた
過去のことを思い出してみると、
私は昔、なんでも素直に信じていた。
でもその結果、話が食い違ったり、裏切られたように感じたりして、
「自分がバカだったのかも」と落ち込んだ経験がある。
それがきっかけで、
「もう傷つきたくない」
「もう騙されたくない」
って思って、自分を守るようになった。
疑ってしまうのは、自己防衛。
私なりに、自分を守るために身につけた感覚だったんだと思う。
本当は、どんな関係を望んでいるのか?
私は、嘘偽りなく、本音で話せる人と関わりたい。
たとえ相手が少し見栄を張っていたとしても、
「この人にも、そうせざるを得ない何かがあるのかもしれない」
と、ちょっとだけ余白を持って接することができたらいいなとも思う。
でも、それって「なんでも信じるお人好し」になるってことじゃない。
私は、私の感覚を信じて、
「信じること」と「自分を守ること」を両立できるようになりたい。
今のわたしが決めたこと
疑ってしまう自分を、責めなくていい。
それは私が、痛みを知ってるからこそ持てた「見抜く力」でもある。
“信じる or 疑う”の二択じゃなくて、
「様子を見る」「一部だけ信じてみる」
そんな中間地点での関わり方だって、全然アリ。
疑いを経て築いた信頼は、きっと強くて深い。
だから私は、少しずつ、自分の感覚を信じて、
本音で向き合える関係を選んでいこうと思う。
