▼プロローグ
新型コロナウイルスが弱毒化していることが世界中で確認された・・・・ノートパソコンのモニターに映し出されたニュースを見て、私はフェイクニュースか、とまず考えた。
が、それに関連したニュースが次々に流れてくるにいたって、何かが変わろうとしている、と思わざるをえなかった。
2021年2月2日のことだった。
それから数日のあいだに、イギリスのジョンソン首相が、ドイツのメルケル首相が、そしてフランス、イタリアなどとヨーロッパの首脳が次々に会見を開き、コロナウイルスの弱毒化にともない、経済活動を活発化させるため、国際間の人の往来もすみやかに従前の態勢に戻していくと声明を出した。
アメリカでは、見た覚えのない若い女性が、連邦政府特別広報官として会見を開き同様の内容を伝えた。そして
「大統領と関係部署は、さらに大規模な経済政策を準備中です」と言った。
なぜ、バイデン大統領自身が姿を見せないのだろう?
そんなことが一瞬頭をよぎったが、もっと強い考えが私の頭に充満していった。
そうだ、台湾にも行けるようになるかもしれない!
と、蔡英文総統の会見が中継されているのを見つけることができた。
「いま、我々は大きな転換点を迎えようとしています。我々台湾の防疫体制は、世界でも群を抜いた成果を誇ってきました。しかしながら、ウイルスというものは、絶滅させるようなものではありません。実際、一人の人間は数えきれないほど多種のウイルスを体内にもち共存しています。このたびの武漢肺炎のウイルスもまた、弱毒化し人間と共存する道が開かれようとしているのです。そして、従前の防疫体制からそれ以前のありように戻していくことが可能になったのです」
それから2~3日のあいだに、矢継ぎ早に今後の対応についての発表が行われた。それによれば、台湾は2月20日の国際的な発着便から観光などの一般旅客を受け入れ、PCR検査の陰性証明の提示や来台旅客の2週間の隔離措置を必要としないということになった。
私はその朗報を聴いて、すぐさま航空会社のホームページを開き、台湾行きの便と帰国便を予約した。出発便は2月26日金曜日、午前7時50分羽田空港発、台北・松山空港行き。帰国便は3月8日月曜日、午後3時30分松山空港発、羽田行きだった。約10日間の旅である。一昨年の11月末以来、約15カ月ぶりの台湾旅行となった。
もっと長い滞在を、と思わないでもなかったが、3月中旬には日本での用件があって、これが今回の可能な最長の滞在期間だった。4月か5月に、もっと長い滞在をしよう、そう思った。
私は一昨年の4月、長年勤めた広告会社を退職し、長らく往き来していた台湾に関連したビジネスを始めるつもりで準備していた。だが、昨年の3月には一般旅客が台湾へ行けなくなったので、すでに準備が整っていたビジネスを始めることができなかった。顧客のターゲットは日本人観光客だったのである。始めてからビジネスが潰れるよりは幸運だったかもしれない。しかし、新型コロナが世界中でパンデミックを起こしているとされた動揺と喧騒のなか、私は友人の会社の仕事を細々と手伝いながら、悶々とした日々を過ごしてきたのである。
台湾に行って、新しい未来を開きたい。そんな思いで、私は台湾行きの便を予約したのだった。
次いで最初の三日間は、台北のいつものホテルを予約し、以降は向こうへ行ってから考えることにした。
そして、台湾にいる友人・知人に向けて、ファイスブックのメッセージを、あるいはメールを何通も送って、台湾へ行くことを告げた。
台湾へ行くまで、およそ10日の時間があった。
▼DAY1 到着
2月25日の夜から26日にかけて、私は旅の荷造りをした。何度も通ったいつもの台湾行きと同じようにことを進めていたのだ。午前3時になれば風呂に入り、午前5時前には家を出る。
私の家から京浜急行線の駅まで徒歩で行くことができるので、午前6時前には羽田空港に着いて、7時50分発の便に搭乗できるのだ。
空港に着くと、思ったより旅客は多かった。というのも昨年来、羽田空港を訪れたYouTuberの動画を何本か見ていたからだ。人がまばらな静かな空港、そんな映像と今回の空港を比べてみれば、明らかに人は多かった。しかし、一昨年と比べれば半分くらいだろうか。人々の動きには、まだどこか緊張があり、ぎこちなさがあるように思えた。
チェックインはオンラインですませてあるので、キャリーケースを預け、手荷物の検査、イミグレを通過し、搭乗口へと向かった。朝は早く、まだ免税店や飲食店は開いていない。
時間が来て、搭乗の際には新聞を取ることを忘れなかった。自由時報。昨日25日発行のものだ。
自由時報を紙で読むのも15カ月ぶりのことだ。自由時報の記事は、毎日のようにネットで読んでおり、手にした自由時報でもすでに読んだ記事もあったが、コラムや読者投稿など、ネットにはない記事を見つけてはじっくりと読んだ。
座った席は21C。通路側で、エコノミーとしては比較的前の席だ。旅客はまだ席の半分も埋めておらず、隣のAとBの席は空いていた。
やがて、これも15か月ぶりの離陸の際の身体へちょっとした圧力。そして、CAが私に近づいてきて「鶏肉か豚肉か」と華語で訊く。彼女は私が手にしている自由時報に目をやったらしかった。私も華語で「鶏肉」と答え、飲み物には水をもらった。新型コロナ騒ぎのいわゆる「自粛」期間中、私は台湾のYoutuberたちの動画をしばしば見ては、彼らの台湾華語の聴き取りと口真似による発音の練習を繰り返してきたので、私の発音は以前にも増してスムーズになっているようだった。
食事を終えると、眠気に襲われ、目が覚めると、もう着陸態勢に入っていた。
入境手続きのためにカウンター前に並ぶ。一昨年までなら、いわゆる「常客証」を持っていて、短い時間で手続きを通過できたが、コロナ騒ぎのなか「常客証」は期限切れとなっていたので、ひさしぶりで列に並ぶことになった。とはいっても、旅客はまだ少ないので、さほどのことはない。
キャリーケースを受け取って到着ロビーに出る。と、すぐさま台湾銀行のカウンターに行って、いくばくか台幣と両替した。すでに2万元くらいは持っていたのだが、もう少し足しておこうと思ったのだ。
それからさらに中華電信のカウンターへ向かう。ケースを転がしながら歩いていると、前方にこちらを向いて笑顔を浮かべている女性がいる。
呉香蘭――。
私は、意外の思いで彼女に近づいていった。
〈つづく〉
ブログを始めます。
異常だった2020年。異常だったのは自然ではない。
自然はいつも異常ではない。
異常だったのは、人間の所為だ。
所為なんて、書く言葉としては生まれて初めて使った言葉かも。ハハ
その2020年を振り返りつつ、新しい年の動きを記録していきたい。
私はいま東京に住んでいて、慣れ親しんだ台湾には1年余り足を踏み入れていない。
そんな台湾への思いも、さまざまに記していきたい。
そんなブログのつもりです。