嬉しい結婚へ | だるまちゃん 再生不良性貧血 完治の軌跡

だるまちゃん 再生不良性貧血 完治の軌跡

だるま

みたいに

転んでも
つまずいても
ひっくり返っても
やっぱり 最後は自分の力で
真っ直ぐ立ち上がる為の

まったりマイペースブログです

こんにちは。

このブログをするようになって、

他の方の骨髄移植体験も読ませて頂いています♪

 

骨髄移植の現在の治療と私の時とは全然違い、

退院までの期間も早く、退院後の生活も全然違うな。

やはり医学はどんどん進んでいるな。 

という印象をうけています。

なので前回、

免疫抑制剤が0になるまで私の場合は、3年を要した事を書きましたが、

移植のノウハウが確立された今の医学ならば、

それ程かからないかも知れないので、

 

移植を終えた方が私のブログを見て

「えっ、これから3年もかかってしまうの・・・」と

思うことになったら、申し訳ないな・・・。と思いました。

 

なので、

私の移植は25年前の昔の事で、

拒絶反応GVHDの出方はそれぞれで、

良くなる過程、必要な時間も本当に人それぞれの為、

私の場合は、肝臓へのGVHDが大きくて、

肝臓の数値が凄く高かった為、3年を要しましたが、

3年もかかるもの” と思わなくてもいいかもしれないし、

3年かかった” としても、それはそれぞれであり、

それ位かかっても結果良くなっている人がいる。

と理解して頂けたら嬉しいなぁと思いました♪


どうぞ、よろしくお願い致します(*^^*)

 

いつも読んで頂きましてありがとうございます。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~


 

自宅療養生活が1年を過ぎ、

これまで母が車で名古屋の病院まで

乗せて行ってくれていましたが、

20歳の頃に出会った彼、現在の旦那様が、

母の代わりに車で送ってくれるようになりました。


 

そして、週に3日間のアルバイトも始めました。

久しぶりに本当の社会に出た時は、とても緊張しました。

 

仕事中、最後まで体力が持つか?休まずに働けるか?

迷惑をかけないか?

と常に心配していました。

 

どうしても仕事となると、無理をしてしまうので、

残りの週の4日間は、横になってひたすら身体を休めていました。

 

病気のことは、朝礼の時、

それぞれを理解し合うため自分について話す機会があったので、

その時に話すことが出来ました。

 

職場の雰囲気が良いところだったお陰で、

状況を理解してもらえ、何とか働くことが出来ました。

 

今思えば、

私には丁度良い、リハビリを兼ねたような職場環境でした。


 

骨髄移植後4年経った31歳の時、結婚をしました


 

結婚を考えられなかった時期もありましたが、

旦那様と、

旦那様の両親の理解のお陰で、この日を迎えることが

出来ました。

本当に有難かったです。

 

念願であった結婚式も挙げました。

 

しかし、体力は十分でなかったので、

挙式直前に酷い中耳炎と蓄膿になって、

 

普通の新婦さんなら、エステに通うところを、

私は挙式前日まで毎日、美容院ではなく、病院へ

点滴に通っていました。(笑)

 

そんなこともあったりで

 

結婚式の一日の長丁場が、

耐えられるのかが不安で不安で、

円形脱毛症になっていました・・・。


 

当日、

ブライダルのヘアー担当の方が上手く隠してくれました。


 


 

今、思い返すと、

この挙式の少し前から目が乾くようになっていました。

 

それまで市販の目薬を使用していましたが、

日によって痒み、充血、痛みがあるので、

出来るだけ挙式までベストでありたいと

眼科へ行きました。

 

その時は、ドライアイと診断され、

目薬を処方してもらいました。


 

挙式当日は3種類位の点眼薬を持参し、

ドレスチェンジで戻ってきた際など、

タイミングをみて頻繁に目薬を使用していました。


 

それから式が終わってからも、

目薬をいつもカバンに入れるようになりました。

                     

                       (つづく)