都合が悪いとき、問題のすり替えはよくあることだ。


従業員の士気を高めるために催しを定期的に開いてみたり、

さまざまな新規計画に取り組んでみたり、

流行の経営理論に飛びつくみたいなことだ。

問題を一気に解決しようと、小手先の策を探そうとする。

戦略が安定していなければ、

これらの試みは、まったくのお門違いなものとなる。


大幅な値引きで市場シェアを回復する戦略もまた、

問題の根源がわかっていないからである。

実は顧客が値引きを望んでいるのではなく、

別の新しい店舗形態を望んでいる場合がほとんどだからだ。

その点に気が付かず、ただ考えようとしなかっただけのことである。


よって値下げでのみ、コスト削減に取り組むしか頭がなくなり、

その結果、店舗が一層冴えないものと化し、そしてサービスが低下した。

ますます買い物客が減り、さらに粗利益が低下し、

店舗は薄汚く、そしてサービスがさらに低下する。

「やがてゴミでない汚いホコリの塊がたまるようになった」

こんな具合である。


これまでの方式の食品雑貨店が

絶滅する運命にあるとの結論がでているとしよう。

この厳しい現実を直視し、対策をとることが大いに将来を担う訳だ。

そんなとき、

決断の転換期にある偉大なる企業が興隆をもたらす方針とは、

まさに単純明快であり、ある意味で笑いたくなるほど明確だ。


スーパーマーケットこそが将来への道なのだ。

徹底した調査の結果、集まったデータは明白なこの事実を示した。

しかし各市場で、1位か2位になれないのなら撤退するしかないことも

学んだ。

今のままでは同じことで、事業のすべてをひっくり返すことになった。

一店舗ずつ、事業全体を新しい方式で作り直す作業を終え、

食品雑貨チェーンでアメリカ第一位になる道を歩み始めた。

そして5年後には、全米一位を獲得。

一方それまでの業界トップは、成功のジレンマによって、

いまだに半数以上の店舗が50年代の規模であり、かつての偉大な

企業のなれの果てというべき悲惨な状況に陥っている。



Good to Great ! 良好から偉大への飛躍のために、

個人の生活が犠牲になるのではないかとの懸念がある。

偉大な企業を築きながら、

生活の面でも素晴らしい人生を送ることはできるのだろうか?


答えは、「できる」。


偉大なリーダーの人生は3つの愛するものを中心にしている。

①家族

②出身大学

③在籍する企業

がそれだ。


企業が偉大へシフトする激動(試練・戦い・拡大)の中でも、

彼らは生活のバランスをおどろくほど保っていた。

家族と過ごす時間をそれほど減らしておらず、

夜や週末働くことはない。

教会に欠かさず行ける時間はあり、教育の活動に手を抜いたことがない。


では、どうしてできたのか?


「それほど難しい問題ではない。

1.適切な人を集める能力が高く、

2.適切な人材を適切な場所にあてていた。

よって、昼も夜も長時間働かなければならない状況にはならなかった。

この2点で成功を収めることが、生活のバランスをとる秘訣である」


偉大なリーダーは似たような趣味がある。

「自宅や庭をブラブラ歩き回って、あちこちを直すのが本当に楽しい。

そうやって気分転換する時間をいつでも見つけ出せるようだった」

と同じことを言うことが多い。


時間のほとんどは、

愛情をもって接してくれる人たち、(職場・社会活動・サークルなど)

仕事を愛する人たち、(顧客・仕入先・生産者・紹介者など)

互いに愛し合っている人たち、(家族・自宅など)

とともに過ごしていた。

彼らの会社での話を聞いていると、

まるで恋愛の話しをされているような印象が特徴的だ。

一人は言う。

「そう。結婚のとき以外では、

あれが人生でいちばん熱烈な恋愛だった。

こんな話しは誰も理解しれくれないだろうが、同僚ならわかってくれるはずだ」


引退した後も、頻繁にオフィスを訪ねる。

それも大部分、仲間に会うのが楽しいからなのだ。


「社内で不親切なことを言われた経験は一度もない。

雇われたとき、わたしは神に感謝した。

それは、素晴らしい人たちとともに働けるからだ。

尊重しあい、尊敬し合っている、素晴らしい人ばかりだからだ」


偉大なる企業への飛躍を導いた経営陣に加わっていた人たちは、

終生の友になる傾向がある。

ともに働いていた時期から数年数十年経ってても、

密接に連絡を取り合っていることが多い。

これらの人たちから転換期の話しを聞くと驚かされるのだ。


どれほど苦しい時期にも、

どれほど大きな課題でも、

仕事を楽しんでいたのだ。

一緒にいるのが楽しくて、

顔を合われる日が早く来ないかと思っている。

混沌から偉大に飛躍した時期が、人生の中でいちばん充実していた

時期だったと語る人が多い。

この時期に共に働いたことで、

互いに尊敬しあうようになっただけでなく、

終生の友になったのだ。


「最初に人を選ぶ」 原則に忠実なことが、

偉大な企業と素晴らしい人生の密接な関係を作り出している。


時間の大部分を

愛情と尊敬で結ばれた人たちと過ごしているのでなければ、

素晴らしい人生にはならないからだ。


愛情と尊敬で結ばれた人たちであり、

同じバスに乗っているのが楽しい間柄であり、

失望させられたりしない人たちだからこそ、

時間の大部分を一緒に過ごしていれば、

バスの行き先がどこであろうと、まず間違いなく素晴らしい人生になる。

飛躍した企業の経営幹部は、あきらかに仕事を愛していた。

そして、それは主に、

ともに働く人たちに愛情をもっていたからである。







厳格(Strict)と冷酷(Cruel)の違いは、極めて重要だ。


冷酷(Cruel)とは、

事業環境が悪くなると人員をすぐに整理し、

普段でも、真剣に検討することなく、気まぐれで、

解雇したりすることを意味する。


厳格(Strict)とは、

厳しい基準をつねに、組織内のすべての階層に適用し、

とくに上層部に厳しく適用することを意味する。


ポイントは、

厳格であって冷酷でなければ、

優秀な従業員は、自分の地位を心配することなく、

仕事に全神経を集中させ、情熱を持って行動することが出来る。


厳格さの確立とは、具体的に以下となる。


①疑問があれば採用せず、人材を探し続ける

しかし、経営不変の法則(パッカードの法則)で

成長を担う適切な人材を集められるよりも、

得てして速いベースで売上が増えてしまえば、

偉大な企業をつくることはできないことになる。

この過程で偉大な企業とは、

市場でも、技術でも、競争でも、製品でもないことを理解する必要がある。

重要な点は、適切な人材を採用し維持する能力である。

決して妥協はしない。

別の方法を見つけてでも、最適な人材を探そうと決意することだ。


○経営陣を業界で最高のプロ集団にするのか

×出来る限り早く成長することなのか

目標をどちらにするのかで、企業が偉大になる選択はされてしまう。

戦略がたとえ一緒でも、このどちらかを選ぶリーダーにより、

長期の実績が違ってくるのだ。


誰かをしっかりと管理する必要があると感じたら、

それはバスの乗客ではなかったのだ。

最高の人材は管理を必要としない。

逆に、指針を与え、教え、導くのだ。

はじめからAクラスの人材を厳格に選ぼう。

しかし人選が間違っていれば、間違いを認めて、

我々は自分たちの仕事を続けられるようにし、

相手にも人生を追及できるようにしよう。


そこで重要なことは、

飛躍を導いた指導者は、判断を急ぐことはない。

席にふさわしくない人物がいると感じても、

かなりの努力を払った後にはじめて、バスに乗るべきでなかった

人物が乗っているとの結論を出すことが多い。

走っているバスの窓から人を無闇に放りだしたりはしないことだ。

時間を使って経営陣とともに社内を調べて回り、

入れ替えたり、異動させたりすることだ。


「適切な人材を、適切な場所にあてるために費やす1分間は、

後の何週間にもあたる価値がある」


ポイントは、

解雇するのではなく、

一度か二度、三度ですらも、能力を発揮できそうなポストに

移してみることだ。

座っている席が悪いだけか、それともバスから降ろすべきか、

確認できるようになるまでには、時間がかかる。

しかし、どうしても入れ替えなければならないとわかった時は、

偉大なる指導者は、行動しているのだ。


そのチェックポイントは、

1.その人をもう一度雇うとするだろうか

2.退職を懇願されたとき深く失望するか


③第五水準の経営陣には、権威に盲従するような人物はいない。

個人としても強い指導力を持っており、

意欲と能力が十分にあるので、

自分が担当する部門を世界最高級の事業に育て上げるつもりだ。

そして一員として、

会社を偉大な企業にするために必要なことをすべて行う決意があり、

それぞれの強みを活かしていく能力がなければならないことを

知っている。


会議では、

「1%の本質」を探す努力をし、

仲間の同意を繰り返しながら、展開の幅を広げつつ絞り込んで、

そして、決定には全面的に支持をする。

つねに期限を決めた「仮説思考」の中で、

いつまでに、どのような決定をくだすのかが明確だ。

なぜ?だからどう?を全員で何度も繰り返しながら、

最善の(本質の)の答えをいつも探しだしている。


議論はすべて会社全体の利益のためのものであって、

各人が自分の利益を守るためのものではないことが、

みんなの中で一貫しているのである。