「日光街道 御宿場印めぐり」で訪れた栃木県日光市。

 

東武日光線の終着駅「東武日光」で『日光坊中』と『鉢石宿』の御宿場印を入手した後、一駅隣の上今市駅へ。

 

 

駅員の居ない無人駅で、東武日光線の中では二番目に乗降客の少ない駅です。

 

私が下りた時も、ホームには私一人。

 

 

 

水車のある駅前から歩き始め、約15分ほどで辿り着いたのは、

 

 

日光の道の駅「日光街道ニコニコ本陣」。

 

 

広い駐車場があり、観光バスも立ち寄る場所で、私が訪れた平日でも多くの人々が訪れていました。

 

日光の観光案内所や栃木の特産物・農産物が販売されている市場などが立ち並ぶ中、一番大きな建物が「船村徹記念館」。

 

 

栃木県立今市中学校の出身で、昭和から平成にかけて数々の名曲を世に題した作曲家の船村氏を紹介する記念館です。

 

演歌には全く縁の無い私でも知っている、細川たかし「矢切の渡し」や鳥羽一郎の「兄弟船」の作曲をした方なんですね。

 

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御宿場印を扱っているのは、日光市観光協会の今市支部。

 

 

こちらでは日光街道の第19宿「大沢宿」と第20宿「今市宿」の御宿場印に加え、日光西街道の「文挟宿」と「板橋宿」の御宿場印も入手する事が出来ました。

 

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江戸時代、宇都宮を通るように整備された日光街道に対し、その西を並行する別ルートとして使われていたのが日光西街道。

 

 

日光街道よりも日光に向かう距離・時間が短かったので、地元の人や一般民衆は西街道を使う人が多かったようです。

 

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【日光街道】

 

二宮尊徳(金次郎)が晩年を過ごした今市宿。

 

街道の杉並木が描かれている大沢宿。

 

 

【日光西街道】

 

文挟宿と板橋宿は小規模だったので、一つの宿場町として扱われる事が多かったようです。

 

文挟宿の御宿場印に描かれているのは、おそらく伝統芸能の三匹獅子舞。