福島県の会津美里町にある【岩代国一之宮】伊佐須美神社に参拝した帰り道。

 

最寄り駅まで歩いていく途中に、一体の石像に出会いました。

 

 

この会津美里町の出身と伝わる「南光坊」天海大僧正の像です。

 

 

江戸時代、徳川家康、秀忠、家光の三代将軍に仕え、政治にも深く関わった天海。

 

歴代将軍の政治的・宗教的アドバイザーとして、朝廷との外交や、風水学を使った江戸の都市計画などに携わった重要人物でした。

 

僧侶としても、比叡山延暦寺の再興、日光東照宮の造営、徳川将軍家の菩提寺である寛永寺の創建などに携わっています。

 

天海の像を観たのは、日光東照宮、埼玉川越の喜多院に続いて三か所目。

 

 

天海の人生には謎に包まれている部分も多く、出身地や家柄などにも諸説あります。

 

亡くなった年は判っていても、生まれた年と場所は不確定なので、だいたい100歳以上の長寿だったという事しか分かっていません。

 

足利将軍家の末裔という説もあれば、山崎の戦いで生き残った明智光秀が姿を変えて家康に仕えたという説もあります。

 

 

遺されている資料などから、現在では陸奥国の武将である蘆名氏の一族として、この会津美里で生まれたというのが最も有力な説となっています。

 

その為、街の各所に天海ゆかりの場所を示す案内板があり、「天海大僧正の出身地」をアピールしていました。