(八槻都々古別神社①から続く)
かつて東北地方の大半が陸奥国と呼ばれていた頃。
最も位の高い神社である「一之宮」とされたのが、福島県にある『八槻都々古別神社』。
神社に伝わる起源によると、神社が創建されたのは、第12代天皇である景行天皇の時代。
天皇の息子である日本武尊が、この地を支配していた東夷を征伐する際に、山から放った矢が刺さった場所に神社を創建したのが始まりとされています。
矢の刺さった場所は「矢着」と名付けられ、それから転じて「八槻」になったそうです。
ゴミ一つ落ちておらず、よく手入れの行き届いている石畳の参道。
隋神門の前には、それぞれ個性のある、全く表情の違う狛犬が対しています。
ちょっと迫力を感じる表情の、右の狛犬に対して、
穏やかに微笑んでいるのが、左の狛犬。
この時期、おそらく手は洗えないだろうなぁ…と思いつつ、一応、手水舎に足を運んでみましたが、
やはり、手を清める水は使えないようです。
仕方ないので、手水舎の前で「エア手洗い」と「エア口ゆすぎ」をしてから、隋神門へと向かいました。
門に掲げられた大きな額には、
非常に分かりやすい(笑)。
現在の隋神門は江戸時代に建て直されたもので、県指定の文化財。
それほど大きな門ではありませんが、随所に細かい装飾や彫刻が施されています。
門を潜ったところで上を見上げてみると、
龍の彫刻の上に、
天井に描かれた龍。
こういう場所の画って、誰かに教えてもらわないと気付かないことが多いので、この神社に何度も参拝している人の中にも、全く気付かないままで通過している事は多いんだろうなぁ〜。
門を抜けたところで、今度は横を見たら、
いきなり、門の中に据えられた狛犬(唐獅子?)と目が合ってしまいました。
もっと薄暗い場所で見たら、思わず身体が固まりそう…。
そんな狛犬の見据える視線の先にあるのが、
門と同時期、江戸時代に再建されたという拝殿。
その割には新しく見えるので、おそらく何度か修繕は繰り返しているのかも。
御祭神として祀られているのは、
農業の神様である「味耜高彦根命」と、
武神として知られる「日本武尊」の2柱。
五穀豊穣、商売繁盛、家内安全に加え、勝負運の御利益があるとされています。
こうやって、神様にコロナウィルス退散を願うのも久しぶり。
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帰り道に立ち寄ったのが、
二本の巨木が寄り添った「夫婦杉」。
言うまでもなく、縁結びスポットです。
杉の根元に据えられた、小さなお社。
当然、こちらにも参拝して、良い縁を願いました。
そろそろ、本気でどうにかしないといけない歳なので(笑)。
神様、よろしく…。
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八槻都々古別神社を後にして、再び最寄り駅の近津駅に戻ってきました。
この時点で、まだ午前11時。
帰りの新幹線の時間までに、少なくとも2社くらいは神社巡りが出来そうです。
とりあえず、2駅隣にある神社を目指そうと思い、電車の時刻表を見たところ、
次の電車が来るのは、
午後3時過ぎ。
…嘘でしょ?
あと4時間近く、ここで待つしかないの?
日差しが降り注ぐ8月に?
近くに自動販売機も見当たらず、水分補給もままならない無人駅で?
まあ、普段から交通手段で苦労する事のない生活をしていると、なかなか出来ない貴重な経験だと、ポジティブに考えるしかありません(笑)。