(三嶋大社②から続く)
神門を抜けた先は、いよいよ本殿のある神域です。
すぐ真正面に見えてきたのは、
本殿や神門と同じく、江戸時代に建てられた「舞殿」。
元々は神楽なども奉納されていましたが、だんだんと舞がメインになってきたので「舞殿」と名付けられたそうです。
現在も、様々な神事や奉納行事が執り行われています。
この舞殿の奥にあるのが、
本殿・幣殿・拝殿の三つの建物から成る「本殿」です。
一番手前にある拝殿の前には、
この日も、長い参拝の列が伸びていました。
普段は行列に並ぶのが嫌いで、外食する時も混んでいる人気店など行く気が起きない私ですが、こういう時だけは素直に並びます。
列の後ろに並びながら、拝殿を正面から撮影。
三嶋大社に祀られている御祭神は、「大山祇命」と「積羽八重事代主神」の二柱。
二柱を合わせて「三嶋大明神」と呼ばれています。
大山祇命は、その名の通り、山を司る神様。
さらに造酒の神様でもあります。
事代主神は、いわゆる「恵比須様」。
商売繁盛の神様で、商・工・漁業の人々から崇敬されています。
神門に施されていた彫刻と同様に、拝殿にも、伊豆の名工である小沢派による彫刻が数多く残されています。
特に目を引くのは、屋根の下に並ぶ三つの彫刻。
保護ネットがあるので、はっきりとした写真は撮れなかったのですが、
一番左の彫刻は、奈良時代の天才学者だった吉備真備が囲碁をしている様子。
遣唐使として大陸に渡った時、その才能を恐れた唐の人々から様々な無理難題をかけられ、その中に囲碁の名人との対決がありました。
これに負けたら命はない、という状況ながら、阿部仲麻呂の幽霊の助けを得て、何とか勝利を収めるという有名な逸話ですね。
真ん中の彫刻は、日本神話に描かれている有名なシーンで、天岩屋戸に閉じこもっていた天照大御神が出てきた場面ですね。
そして、一番右の彫刻は、平安時代に源頼政がヌエという妖怪を退治した「鵺退治」の図です。
三つの彫刻によって、勇気・決断・知恵を表現しているんだとか。
微妙にピントが合わず、撮影に苦労しているうちに、参拝の順番が回ってきました。
しっかり神様に祈願を終えてから、改めて本殿を撮影。
高さ23メートルにも及ぶ社殿は、国内屈指の大きさと高さを誇ります。
江戸時代の大地震で一度倒壊したものの、西暦1866年に再建されています。
急角度で尖った山型の屋根は、古くからの神社の建築方式である「切妻造」。
ちなみに、屋根の上に乗っている横向きの木材は「鰹木」というそうです。
そう言われると、どこか「鰹節」っぽい(笑)。
写真では3本しか写っていませんが、実際は5本あります。
これが奇数だと男の神様、偶数だと女の神様を祀っている印らしいです。
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三嶋大社にも「鹿苑」がありました。
こちらの神鹿は、奈良の春日大社から移ってきたもの。
という事は、ルーツは茨城の鹿島神宮なんですね。
こういう鹿の場合、危険防止のために角を切ってしまう場合も多く見られますが、みんな立派な角が生えていました。
可愛いのぅ…。
何だよ、何もくれないのかよ…という切ない目で見つめております。
これだけ多くの神鹿がいるという事は、三嶋大社の神様のお使いは鹿…
ではなくて、
「うなぎ」です。
さすがは静岡。
そのため、昔はウナギを食べる事はなかったそうですが、幕末後に食べられるようになって、逆に三島の名物になったそうです。