(一之宮貫前神社①から続く)
群馬県民なら誰でも知っているらしい「上毛かるた」。
その一枚にも扱われているのが、一之宮貫前神社。
まだ古墳時代だった西暦534年に創建されたという、かなりの古社です。
有力豪族だった物部氏が、氏神である経津主神を祀ったのが始まりとされています。
祀られている御主神は、
刀剣を神格化した武神である経津主神と、
地元産業である養蚕機織の神である姫大神の二柱。
生活の守り神として災いを防ぐと共に、良縁を結んでくれる御利益があります。
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古い神社という事で、昔から続く特殊な神事が多いのも、こちらの特徴。
火で熱した錐で鹿の肩甲骨を刺し、その割れ方で吉兆を占う「鹿占習俗」。
社務所から提灯片手に参道を通り、御鎮塚に供物を納める「御鎮神事」。
絶対に口をきいてはならず、もし口をきけば…死。
その他、御戸開祭、機織神事など、無形民俗文化財になっている神事が行われています。
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「上毛かるた」にも描かれている楼門は、長い下り坂の石段の先にあります。
石段を下りる前に、すぐ横にあった木を見上げてみると、
「蛙の木」と呼ばれるタブの木。
太平洋戦争末期、この木に蛙に似たキノコが生えてくると、御祭神である経津主神が強い武神である事もあって、戦地に向かう兵士達や家族が「勝ち蛙=勝って帰る」の願掛けを行いました。
現在は「無事にカエル(帰る)」として、交通安全などの祈願が行われています。
石段を下り、楼門へと向かう前に、手を清める手水舎へ。
残念ながら、コロナウイルス対策により、ここも閉鎖中。
という訳で、
消毒液にて手を清めます。
まあ、効果はあるんでしょうけど、何か味気ないなぁ…。
この楼門と、この先にある拝殿・本殿は、江戸時代に造営されたもので、国の重要文化財に指定されているもの。
江戸幕府三代将軍・家光が造営すると、五代将軍・綱吉が大規模な修理を行い、現在のような鮮やかな朱塗りの建物となりました。
ちなみに、この奥にある拝殿には御賽銭箱が無いので、ここで御賽銭を納めてから、中の拝殿へと参拝する流れになります。
そんな賽銭箱の横に並んでいたのは、
こちらでも「無事かえる」。
交通安全などを祈願して自宅や車の中に飾られていたものが、役目を終えて戻ってきたそうです。
神社で授かった家内安全のお札を、翌年に返納するのと同じようなものでしょうか。
当然ながら、ここに置いてあるからといって、勝手に持ち帰ったら駄目です。
さすがに、神様の目の前で盗むような罰当たりは居ないと思いますけど。
楼門も立派な造りをしていますが、その先にある拝殿は、それ以上に素敵。
江戸時代に作られたとは思えない、朱色をメインとした極彩色の造りに、細かい彫刻が数多く施されています。
さすが、日光東照宮と同じように、徳川家が関わっているだけあります。
様々な馬が描かれているのも、ここの特徴らしいです。
思わず見惚れてしまう建物ですが、もちろん参拝は忘れずに行いました。
きっちり二礼・二拝・一礼をして、自分と世の中の平和を祈ってから、拝殿の裏へ。
拝殿の奥にある本殿は、さらに素晴らしい装飾と色彩の建物でした。
カメラのシャッターを切りまくり。
ここだけで数十枚は撮ったかも。
反対側にも回り込んで、
黙々と、塀の向こうの本殿を撮影。
周囲を囲む塀によって下半分は見えず、全体像は分からなかったのですが、この本殿は「貫前造」という独特な建築様式によって建てられています。
建築には詳しくないので良く分かりませんが、外見は単層ながら内部は二階建ての造りは、日本で唯一、この神社だけなんだとか。
さらに、屋根の下を見てみると、
何やら、黒枠に囲まれた四角形の部分が見えます。
ここは描かれている絵のように「雷神小窓」と呼ばれ、雷神様が出入りする専用の窓。
これも、他の神社では見られない独特なものですね。
今回、納めてきた絵馬も、
雷神様にしました。
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帰り道。
下りてきたものは、上らないと帰れません。
あちらこちらが軋む下半身に鞭打って、何とか石段を上り切ると、再び大鳥居まで戻ってきました。
行き道では苦労した石段と坂も、あとは下るだけ。
眼下に広がる風景を見ていると、ここまでの上り下りの苦しさも忘れてしまって、結局は「また神社に来たいな」と思ってしまうのが、何とも不思議なものです。