いよいよ長かったゴールデンウィークも終わりを迎えようとしていた日。

 

自宅に引きこもった自粛生活に耐え切れなくなった私は、日帰り旅行に行く事を決意。

 

とはいえ、コロナが落ち着くまでは「箱根の関」より西には行かない事を決めているので、今回も関東の近県への「一之宮巡り」です。

 

朝6時起きで我が家を出ると、「来ないで下さい」という都知事様の言葉に逆らい、東京のド真ん中である東京駅へ。

 

まあ、平日は毎日混み合った電車に乗って都内まで通勤しているのに、休日だけ避けても…ねぇ。

 

 

今回は、久しぶりに高速バスを利用。

 

ちょうど東京の出入りで混雑している新幹線よりも、こちらの方が空いていて、感染リスクも少ないと判断しました。

 

実際、バス乗り場を見ると、

 

 

各地に向かう高速バスの乗り場はスカスカ。

 

まあ、まだ朝の早い時間という事もありますけど。

 

今回の行き先は、

 

 

ちょっと昔、私の知り合いの浦和レッズサポーターが言っていました。

 

そこは、入国するのにパスポートが必要な「修羅の国」だと。

 

その土地の名前は…鹿島。

 

なかなか失礼な話です(笑)。

 

以前、カシマスタジアムには行った事がありますが、今回の目的地である鹿島神宮に行くのは初めて。

 

いつも茨城を訪れる時には鉄道を使うので、高速バスで行くのも初めての事でした。

 

 

数人しか乗客の乗っていないバスに乗って、2時間ちょっと。

 

完全に寝落ちしていましたが、終点の一つ手前で停車したところで目覚め、慌てて降車しました。

 

とりあえず、パスポートの提示は求められませんでした(笑)。

 

 

まだ少し眠気でボンヤリとする頭を振りながら、バス停からトボトボと歩いていくと、

 

 

鹿島神宮の大鳥居に辿り着きました。

 

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古代から中世にかけて、現在の茨城県に当たる「常陸国」で最も位の高い神社「一之宮」とされていた鹿島神宮。

 

その創建は東国で最も古いとされ、初代天皇である神武天皇の時代まで遡ります。

 

東国を平定する遠征にて窮地に陥った際、武芸の神様である武甕槌大神によって救われた神武天皇は、その事に感謝して、天皇に即位した皇紀元年(紀元前660年)、この地に宮柱を建てました。

 

それ以来、皇室だけでなく、藤原氏など朝廷の実力者や、源頼朝や徳川家康といった歴代幕府の将軍など、各時代の権力者から厚く崇敬され、多くの寄進や祈願を受け続けてきました。

 

 

鹿島神宮に祀られている御主神の武甕槌大神は、日本神話屈指の強さを誇る武神。

 

日本神話で語られている有名なエピソード「国譲り」では、その能力に期待した天照大御神から命を受け、大国主命から地上の支配権を譲り受けるための交渉を託されました。

 

それまで他の使者が失敗を繰り返していた難しい交渉でしたが、大国主命の息子にあたる建御名方神との力比べに勝った武甕槌大神は、見事に交渉成立。

地上の支配権を譲り受け、天上界に戻す事に貢献します。

 

この時の武甕槌大神と建御名方神の力比べが、現在の相撲のルーツにあたるんだとか。

 

このような強さを誇る逸話の多い武甕槌大神は、勝負運にご利益のある神様とされています。

 

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鹿島神宮の入口にそびえるのは、威風堂々たる巨大な大鳥居。

 

 

元々は御影石で作られていて、国産御影石の鳥居としては日本最大を誇っていましたが、2011年、東日本大震災によって、残念ながら倒壊してしまいました。

 

現在の鳥居は2014年、境内の神木を使って建てられたもので、樹齢250~600年もの古木が使われています。

 

 

東日本では最大級の広さを誇る鹿島神宮。

 

東京ドームで例えるなら、約15個分の広さらしいです。

そこまで広いと、「こんな感じかな」という想像が及ばず、逆に分かりにくい(笑)。

 

 

敷地内の半分以上は自然に覆われていて、数百年もの樹齢のある巨木も多数。

約800種類の植物が生育している、県内屈指の樹林に囲まれています。

 

 

本殿に参拝する前に、手水舎にて手を清めます。

 

コロナウィルス流行中の為、手水舎で水が使えない神社が多い中で、

 

 

こちらでは、ちゃんと水で手を清める事が出来ました。

 

本来は手を清め、口も清めるのが参拝のマナーですが、さすがに口までは無理ですね。

 

 

江戸時代の寛永11年(西暦1634年)、水戸藩初代藩主の徳川頼房公によって建てられた楼門。

 

「日本三大楼門」の一つに数えられる、立派な朱塗りの楼門です。

 

 

楼門に掲げられた神額は、明治時代の海軍提督、東郷平八郎の直筆のよるもの。

 

当初は東郷平八郎の名前も書かれていましたが、天皇陛下が鹿島神宮を参拝する事が決まった際に、自分が天皇を見下ろす訳にはいかないという東郷の配慮によって消されたそうです。

 

最強の武神を祀った神社の門に、最強の海軍提督による神額。

それだけでも、強烈な勝負運が頂けそうな気がしますね。

 

 

年間を通じて人気のある神社とあって、この日も多くの参拝客が訪れていました。

 

楼門を潜り、すぐに見えてきた社殿の前には、

 

 

密にならないように適度な距離をとりながら、長い行列が出来ていました。

 

その列の後ろに並ぶ前に、こちらを先に参拝します。

 

 

社殿の前に建っている「高房社」は、建葉槌神を祀った社。

 

社殿への参拝の前に、こちらの社を先に詣でるのが古くからの習わしなんだそうです。

 

 

前もって調べていたので知っていましたが、知らなかったら、おそらくスルーしていたかも。

 

しっかり参拝してから、改めて、社殿前に伸びる行列の後ろに並びます。

 

 

鹿島神宮の社殿は、拝殿、幣殿、石の間、本殿の4棟で構成されています。

 

江戸時代初期、二代将軍・徳川秀忠によって寄進された社殿は、国の重要文化財に指定されています。

 

 

武神である武甕槌大神を詣でる事で、何かに勝ちたい時、また何かを決断したい時に御利益があるとされています。

 

現在の苦しい状況を打ち破れるように、拝殿でしっかり祈願。

 

 

 

 

武甕槌大神が祀られている本殿は、拝殿の奥にありますが、当然ながら立ち入り禁止。

 

塀の向こうに見える屋根の部分を、遠くから写真を撮る事しか出来ません。

 

 

 

 

鹿島神宮本殿を担当した大工は、他にも日光東照宮や日光二荒山神社、久能山東照宮などの建物を手掛けている名工で、鮮やかな極彩色で細かい細工の施された建物となっています。

 

(鹿島神宮②に続く)