栃木県内に二ヵ所ある「二荒山神社」。

 

一方は世界遺産の日光、

もう一方は県庁所在地の宇都宮にあるのですが、

日光にあるのは「ふたらさん」神社、

宇都宮にあるのは「ふたあらやま」神社になります。

 

同じ漢字を用いた神社でありながら、名前の由来は異なり、祀っている神様も違う二社。

直接的な関係はありませんが、共に「下野国一之宮」として古くから多くの人々の信仰を集めてきた古社です。

 

また、北関東や福島、新潟などに多くある二荒山神社の中で、この二社が総本社になります。

 

以前、日光の二荒山神社には訪れた事があるので、今回は宇都宮の二荒山神社に行ってみました。

 

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東京都知事様から「東京に来るな」という御命令を受けているので、休日は北関東へ。

 

 

埼玉の大宮より新幹線に乗り、向かったのは、

 

 

いつも新幹線で通過する事は多くても、降りるのは久しぶりな気がする宇都宮。

 

 

 

 

有名な「餃子像」がある西口を出て、大きな通りを直進。

 

 

コロナの影響が大きいのか、人通りの少ない道を歩いていきます。

 

 

栃木SCのラッピング自販機で飲み物を購入したり、

 

 

オフィシャルショップ「トッキースクエア」の前を通り抜けたり、

 

 

すっかり春めいた陽気の下を歩き続ける事、十数分。

 

歩いていけない距離ではないものの、バスの方が良かったかな~と少し後悔し始めた頃に、

 

 

街のド真ん中にある二荒山神社の大鳥居に辿り着きました。

近代的な街並みの中、ここだけ別世界ですね。

 

 

思わず、下から見上げて写真を撮りたくなる大きさ。

 

 

街の中心地でありながら、本殿は標高135mの明神山の山頂に鎮座しているので、そこそこ長めの石段が待ち構えています。

 

 

これなら、やっぱりバスで来ればよかった…と改めて後悔(笑)。

 

 

神社の創建は、仁徳天皇41年(西暦353年)と伝えられています。

 

現在の栃木県・群馬県にあたる毛野国が上野国と下野国に分かれた時、下野国の国造を任された奈良別王が、曾祖父に当たる豊城入彦命を氏神として祀ったのが始まりとされています。

 

東国を平定し、この地の礎を築いたとされる豊城入彦命は武徳に優れた神様とされ、古くから多くの武将達が戦勝祈願に訪れてきました。

 

 

下野国で最も格の高い神社である「一之宮」とされた二荒山神社を中心に、その門前町として発展した宇都宮。

 

江戸時代には、日光街道・奥州街道の宿場町として日本屈指の規模を誇りました。

将軍が日光東照宮に参詣する際は、その宿泊地として重要な役割を果たしました。

 

「宇都宮」の名前の由来には諸説ありますが、「一之宮=いちのみや」が変化したものという説が有力なんだとか。

 

 

戦国時代には、何度か戦火によって焼失し、再建されてきた社殿。

 

幕末に起きた戊辰戦争では、旧幕府軍と新政府軍が激突した戦場となった宇都宮は大きな被害を受け、二荒山神社も社殿の大半が全焼してしまいました。

 

現在の社殿は、明治10年に新政府によって再建されたもの。

 

 

拝殿への参拝前には手水舎にて手を清めるのがマナーですが、

 

 

コロナ流行中の為に水は使えず、その代わりに消毒液で手を清めます。

 

 

今から一年前。

きっと一年後には良い状況になっていて、みんな自由に旅行にも行けるようになると信じていたのですが、現実は厳しくなる一方…。

 

それでも、きっと来年の今頃は自由を取り戻していると信じて、コロナ退散を祈願しました。

 

 

 

拝殿の後ろに控えている「本殿」。

 

 

帰り道、干支である丑の絵馬を納めてきました。

 

 

 

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神社といえば、絵馬とおみくじ。

 

ここには、宇都宮らしい「餃子のおみくじ」もあります。

箸で掴んで引く、珍しいスタイルのおみくじ。

 

おみくじ好きな方は、是非。