これまで何度か福岡を訪れた事はありながら、まだ未訪城だった福岡城跡。

 

そもそも、我が家から遠い西日本の城跡は全般的に巡れていないので、ちょっとずつ機会を作っていきたいですね。

 

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地下鉄空港線の「大濠公園」駅から地上に出て、水堀に沿って歩いていきます。

 

 

 

途中、結婚式の前撮りらしき和装カップルの撮影に2組も遭遇したのに加え、お堀のほとりで食事中の人々も多く見かけ、ここが地元の人気スポットである事を実感。

 

しばらく歩き続けていくと、

 

 

 

城跡の入り口に到着。

 

江戸時代初期、初代福岡藩藩主となった黒田長政によって築城された福岡城。

1601年から7年がかりで造られ、内郭部分だけでも福岡ドーム6個分、城下にあった武家屋敷まで含めると福岡ドーム35個もの広さを誇り、日本有数の大城郭でした。

 

ちなみに、この広さの表現は、城内にあった案内板によるものですが、他の土地なら「東京ドーム〇個分」と表現するところを、やっぱり福岡ドームを物差しにするんですね(笑)。

 

現在も残る城跡の大半は「大濠公園」と「舞鶴公園」となっており、多くの人々が訪れる場所となっています。

 

水堀の外と内郭を繋いでいるのは、上の橋、下の橋、追廻橋の3つの橋。

 

 

 

私が訪れた時には「上の橋」は工事中で渡れなかったので、今回は「下の橋」から内郭へと向かいます。

 

 

 

橋を渡った先にあるのが、「下の橋御門(大手門)」。

 

 

 

1805年に建てられた二層の櫓門ですが、明治時代に上層部を取り壊して一層に。

 

そのまま放置されていましたが、平成12年に火災に見舞われた事をきっかけに復元への研究が始まり、平成20年に現在の二層型の門が復元されました。

 

 

 

福岡城三ノ丸の北東部に位置する「下の橋御門」は、城を守る東の拠点であると共に、藩主の出入りにも使われていたそうです。

 

江戸時代に造られた位置のまま、現在まで同じ場所に建つ唯一の門なんだとか。

 

 

 

 

門を潜ったところで振り返ってみると、

 

 

 

石垣の上に見える一つの櫓。

 

広大な福岡城には50棟近くの櫓が建てられていたとされ、これは三ノ丸に建っていた「潮見櫓」だったと伝わっています。

 

 

 

しかし、最近の研究によると、これは潮見櫓ではなく、本丸裏にあった太鼓櫓だった可能性が高いそうです。

 

 

 

門を抜けると、すぐ目の前には車の走る道路。

かつての城跡とはいえ、現在は公園なので、道路もあれば、電柱も立っています。

江戸時代の遺構が、現代の街並みに溶け込んで共存していますね。

 

 

現在は「ボタン・シャクヤク園」となっている一角は、かつて黒田如水(官兵衛)が隠居地としていた御鷹屋敷があった場所。

 

 

 

豊臣秀吉の軍師として活躍した如水は、息子の長政に家督を譲った後、その晩年を息子の造った福岡城で過ごしたそうです。

 

 

 

江戸時代には、家臣の屋敷が建ち並んでいた三ノ丸。

 

特に、二の丸、本丸へと向かう坂道である「松の木坂」には、藩主を支える家老や有力家臣達の屋敷が並んでいたそうです。

 

 

石垣に沿いながら、なめらかな曲線を描きながら上っていく坂道。

 

 

この坂はフォトスポットとしても有名で、結婚式の前撮りなどにも使われる事が多いんだとか。

 

確かに「画になる」場所で、武将姿のコスプレイヤーが撮影しても良い写真が撮れそう。

 

 

 

坂道の途中には、かつて二の丸と三ノ丸を隔てていた「松ノ木坂御門」があった跡地が。

 

 

 

 

松ノ木坂を上がった周辺には、かつて建っていた屋敷の間取りが示されていました。

 

 

 

 

ここから先は、いよいよ城の中核。

 

 

 

二ノ丸、そして本丸へと入っていきます。

 

 

 

(福岡城 後編に続く