群馬県の沼田市まで行ってきました。
 
 
 
沼田といえば、長野県上田に並ぶ「真田の郷」として有名。
 
大河ドラマ「真田丸」でも、真田家の歴史を語る重要な舞台の一つとして扱われていました。
 
 
戦国時代、北関東の要所として上杉氏、北条氏、武田氏といった戦国大名による争奪戦が繰り広げられていた沼田城。
 
西暦1580年、北条氏の支配していた沼田城を、武田氏の武将だった真田昌幸が攻略。
 
その後、
・武田氏を滅亡させた織田氏が支配
・本能寺の変によって生じた混乱で、上杉氏(真田家)が奪取
・豊臣秀吉の裁定によって、北条家に譲渡
 
まさに「取ったり、取られたり」の繰り返し。
 
そして、西暦1590年、天下統一を目指す豊臣秀吉による「小田原征伐」によって北条氏が滅亡すると、沼田城は再び真田氏に与えられ、真田昌幸の長男である信之が城主となります。
 
 
 
1600年、上田藩主となった信之は城内の整備を進め、五層の天守を中心とした立派な城郭を築きます。
 
 
しかし、約80年後、信之の孫にあたる真田信利の暴政等が理由で廃藩。
沼田城は、天守を含めた全てが破却されてしまいました。
 
 
城内に建つ鐘楼は、現代になってから復元されたものですが、使われている鐘だけは江戸時代のモノ。
明治時代以降、近くの寺社の鐘として使われていましたが、鐘楼の復元に合わせて戻ってきました。
 
 
 
 
現在は公園として整備され、その歴史的価値から「続日本100名城」にも指定されています。
 
そんな公園の中心地に建っているのが、二体の石像。
 
 
豊かな緑の庭園の中にあり、どこにあるのか少し迷ってしまいましたが、よくよく見てみれば、明らかに周囲と色が違います。
 
 
真田信之と、その妻である小松姫の像です。
 
 
大河ドラマ「真田丸」では、大泉洋と吉田羊の「ダブルヨー」が演じた二人ですね。
 
「真田丸」の放送に合わせて作られた石像だけに、ちょっと顔立ちは寄せ気味かも(笑)。
 
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父の昌幸、弟の幸村と比べると地味な存在のように思われていましたが、実際は相当の切れ者だった事は「真田丸」でも描かれていました。
 
関ヶ原の戦いでは徳川家康率いる東軍に属し、西軍に属した父と弟が守る上田城攻略に参加。
 
東軍の勝利後には、真田家の旧領を引き継ぎ、初代上田藩主となりました。
 
 
関ヶ原の戦いでは父の昌幸が、大坂の陣では弟の幸村が徳川家を苦戦させた事もあり、常に周囲から疑念の目を向けられるような厳しい立場に置かれながら、徳川家への忠誠を貫いた信之。
 
大坂の陣の数年後、信濃松代へと移封して、初代松代藩の藩主となります。
領地も加増され、立派なキャリアアップです。
 
ただ、信之が隠居した後は、息子達が跡目争いしたり、孫が暴政して藩が潰されたり、真田家は大変な事になるのですが…。
 
 
そんな信之を支えた妻の小松姫は、男勝りの才色兼備な女性として知られています。
 
徳川家康の腹心だった本多忠勝の娘として生まれ、家康の養女となった小松姫。
 
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ある時、部下の若手武将達を大広間に集めた家康は、小松姫に「この中から結婚相手を選べ」と言います。
 
一人一人の顔が見たい小松姫ですが、家康の前では全員が床に平伏していて顔が見られず。
 
我慢できなくなった小松姫は、一人一人の髷を掴むと、強引に顔を引き起こして吟味し始めました。
 
いくら家康の養女とはいえ、武士の髷を掴んで引き起こすなんて、当時の女性としては考えられない振る舞いですが、家康の前では誰も文句が言えるはずがありません。
 
しかし、一人だけ反発した男がいました。
 
髷を掴まれた途端、手に持っていた扇で小松姫の頬を叩いたのです。
 
それが、夫となる真田信之。
 
今も昔も、気の強い女性は、こういう筋の通った男に弱いんですね(笑)。
 
 
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