東京の上野恩賜公園の片隅、輪王寺にある大きな黒い門。
江戸時代、現在の上野恩賜公園の全域を敷地としていた寛永寺の本坊表門だった門です。
徳川将軍家の菩提寺として、寛永2年(西暦1625年)に創設された寛永寺。
徳川将軍15代のうち、6人が眠る墓所がある大寺院で、江戸時代には德川御三家にも肩を並べるほどの大きな権力を持っていました。
しかし、幕末に幕府軍vs新政府軍による「戊辰戦争」が勃発すると、上野を戦場とする「上野戦争」の激戦地となり、寺院の主な建物の大半が焼失してしまいます。
門扉を近くで見てみると、小さな穴がポコポコと数ヵ所見えますが、これは「上野戦争」の時に撃ち込まれた弾痕なんだとか。
こういう跡が残っていると、歴史の一場面を飾った場所としての説得力が一気に増しますね。
第二次世界大戦での東京空襲によって多くの建築物が失われてしまった東京において、江戸時代に建てられてから現在まで残っている建築物は数少なく、貴重な存在です。