11月8日。

宮崎旅行、初日。

 

「日本100名城」の一つ、飫肥城を訪れようと思い、宮崎ブーゲンビリア空港から路線バスに乗り込んだところ、いきなりハプニングが発生しました。

 

今年、何度も九州を襲った台風の影響で、日南海岸沿いの国道が一部通行止めになっていて、空港から飫肥へ向かうバスは迂回運転をしなくてはならない状況。

 

本来なら、

 

 

こんな感じに海岸線を南下していくルートだったのに、

 

 

内陸部の山間部を抜けていくルートへと変更されていて、当初の予定よりも大幅に時間が掛かる事になってしまいました。

 

いや、前もって調べておけば分かった事ではあるのですが、鉄道の状況ならまだしも、路線バスの運行状況までは調べないもんなぁ…。

 

そのおかげで、かなり急ぎ足の訪城となってしまいました。

 

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空港から2時間近くかかって、ようやく飫肥城の大手門に到着。

 

 

戦国時代、薩摩(現在の鹿児島周辺)を拠点とする島津氏と、日向(現在の宮崎北部)を拠点とする伊東氏による激しい争奪戦の舞台となった飫肥城。

 

その争いは100年近くも続き、一時は島津家の勝利、伊東家の没落によって終わったように思われましたが、天下統一を目指す豊臣秀吉の九州侵攻によって、再び事態は急変。

 

秀吉の九州平定に協力した伊東家は、その功績から大名として飫肥を与えられ、初代飫肥藩主に任ぜられました。

そして、江戸時代を通じ、ずっと飫肥の地を治め続ける事となりました。

 

 

明治維新の「廃藩置県」と「廃城令」によって飫肥藩が終わり、城内の建物も全て取り壊されてしまいましたが、昭和53年に大手門が復元されています。

 

 

飫肥城内に多く生えているのが、「飫肥杉」と呼ばれる杉の木々。

この大手門にも、樹齢100年近くの飫肥杉が使われています。

 

大手門の左右を見ると、深くて幅のある空堀が。

 

 

 

江戸時代からの建物は残されていない城内ですが、石垣や白壁、石段などは多く見られるので、城としての雰囲気は損なわれていません。

 

 

 

 

広く開かれた登城路を、奥へ奥へと登っていくと、

 

 

曲がり角の四隅に生えている立派な飫肥杉。

 

この「しあわせ杉」と呼ばれる四本の杉の対角線が交わる場所、すなわち真ん中に立つと、幸せの力を得られるといわれるパワースポットです。

 

一応、私も立ってみましたが…何か得られたのかな(笑)。

 

 

江戸時代に本丸があった場所には、現在、小学校が建っています。

平日の授業中、カメラを持った不審者が徘徊していると思われては困るので(笑)、ちょっと早足になって先を急ぎます。

 

 

城跡の一番奥、一番上にあるのが旧本丸跡。

築城以来、何度も地震による損壊を繰り返した本丸は、1693年、第5代藩主の時に移設されました。

 

 

多くの飫肥杉だけが乱立している旧本丸跡。

時代が流れ、周りの環境は変わっても、自然は変わらず生き続けています。

 

 

 

NHK朝のテレビ小説「わかば」の中で、落ち込んだヒロインが訪れ、元気を取り戻した場所。

 

ほとんど雑音の聞こえない閑けさの中、これだけの緑に囲まれて佇んでいると、確かに心が癒されていくのが分かります。

 

 

もうちょっと天気が良くて、木漏れ日が降り注いてくるようなシチュエーションだったら、もっとリラクゼーション効果があるのかもしれませんね。

 

今回は時間が足りず、のんびりする暇が無かったのが残念でした。

 

 

(※城下町もウロウロしてみました)

 

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