(南都七大寺巡り その6から続く)

 

 

最近、ちょっとばかり忙しかったせいで、ブログ更新が滞ってしまいました。

 

二月末に行った奈良旅行の話を、こんな三月末になっても書いていますが…まだ、もう少しだけ続きます。

 

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「南都七大寺」の一つ、薬師寺の造営が始まったのは、西暦680年。

奈良時代の一つ前、藤原京に都があった飛鳥時代の事です。

 

当時の天皇だった天武天皇が、皇后の病気回復を祈願した寺院の建設を始めましたが、その完成を待たずに天武天皇は崩御。

 

皇后だった持統天皇が跡を継ぎ、完成させました。

 

その後、都が平城京に移転するのに合わせ、現在の場所へと移築されました。

 

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薬師寺には、日本で三番目に古く、四番目に高い三重塔があります。

 

ゆく秋の 大和の国の薬師寺の 塔の上なる 一ひらの雲

 

そんな短歌にも詠まれた名塔を、今回の旅で観てみたかったのですが…

 

 

残念な事に、現在、解体修理中。

平成21年に始まった作業が終わるまで、まだ3年もあります。

 

塔好きの私としては、それだけで薬師寺を訪れる楽しみというか、訪れる意義が少し減ってしまうのですが…。

 

そもそも、薬師寺は平安時代に起きた火災、室町時代に巻き込まれた戦火によって大部分の建物を焼失していて、奈良時代から現代まで残っているのは東塔のみ。

その唯一の歴史的建造物が観られないのは大きいです。

 

それでも、同じく国宝指定されている薬師如来像など、祀られている仏像の多くは古くから残されてきたものばかりなので、今回はそちらを観るのがメインです。

 

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朝早くの西大寺参りを終えた私は、再び近鉄に乗り、「西ノ京」駅へ。

 

奈良時代には平城京の右半分を「西ノ京」といっていたそうですが、現在は薬師寺や唐招提寺などがある区域のみの地名になっています。

 

ちなみに、奈良時代の西ノ京(右京)は位の高い官僚が住んでいた場所。

逆に、左京は位の低い官僚が住んでいました。

右京に住んでいた官僚が、仕事で失敗して降格すると、左京へとお引越し。

これが、いわゆる「左遷」ですね。

 

「西ノ京」駅を出て、歩いて五分も経たないうちに、薬師寺の門に辿り着きました。

 

 

この興楽門は、寺の北側にある門。

こういう寺院の本堂は南向きに建っているので、北側の門は裏門にあたるはずなのですが、どうやら古くから参拝者の入り口になっていたようです。

 

 

という事で、私も興楽門の近くにあった受付から境内へ。

 

しかし、やっぱり正門である南門から入った方がいいかも、と思い直したので、

 

 

わざわざ寺の周りを大回りして南側を目指す事にしました。

 

 

東側回廊の外側を歩いていると、途中に風格のある建物が。

 

 

国宝に指定されている東院堂です。

鎌倉時代に建て直されたもので、薬師寺では東塔の次に古い建物です。

 

内部は自由に拝観出来ますが、靴を脱ぐのが面倒臭かった私は、建物の写真を撮るだけで済ませようとしました。

 

 

お掃除中で、ちょうど全ての扉が開かれていた時だったので、堂の外からも仏像が拝めました。

 

 

ところが、

 

「どうぞ、中も観ていって下さいね~」

 

朝のお掃除をしている女性に声をかけられてしまっては、無視して立ち去る訳にもいきません。

まさか「靴を脱ぐのが面倒くさいので入れません」なんて、いい年した大人が言えませんし…(笑)。

 

堂内には、こちらも国宝の「聖観世音菩薩」像が安置され、その周りを四天王像が護っています。

 

この聖観世音菩薩の美しい立ち姿、端正な顔立ち、スラッとした細身の身体は、仏像好きの方々の中では「イケメン」と評されているとか。

 

やっぱり、堂の外から遠目に眺めるよりも、しっかり間近に拝んだ方がいいのは、言うまでもない当たり前の事ですね。

 

こんな不審者みたいな男に、優しく声をかけて頂いた方には感謝しています。

 

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回廊の外側をグルリと半周して、ようやく寺の南側に到着。

 

この中門から、改めて回廊の内部へと入り直します。

 

 

本来なら、中門の向こう側に東・西の二つの塔が見えるのですが、現在は残念ながら西塔のみ。

 

工事中の東塔(右側)を覆う幕が無機質な灰色と白のストライプ柄なので、周りの景色に似合わない近代的なビルが建っているように見えます。

もう少し、周りの色と合わせる訳にはいかなかったのかなぁ…。

 

 

室町時代に焼失して以来、長い期間を失われたままだった中門。

 

現在の門は、昭和59年に再建されたものなので、まだまだ新築同然です。

 

両脇を固める仁王様も、

 

 

 

色鮮やかな甲冑を身にまとって凛々しく立っていますが、風格というか、いい感じの味が出てくるには、あと百年くらいは必要なんでしょうね。

 

そんな中門を潜っていくと、真正面に見えるのが金堂

御本尊が祀られていて、位置的にも、役割的にも、薬師寺の中心地です。

 

 

ちゃんと南側から入ってこそ観られる光景ですね。

 

右を向くと、

 

 

工事中の東塔。

 

そして、反対側を向くと、

 

 

西塔が建っています。
 

 

中門と同様に、昭和になってから再建されたものなので、良くも悪くも色彩豊かで、まだ「作り立て」という感じは拭えませんね。

 

ちなみに、この西塔は、東塔よりも数十センチだけ高く作られています。

その理由は、木造建築の場合、年月の経過によって木材の収縮がある為。

約500年後、ちょうど東塔と同じ高さになるように計算されているというから、日本の職人や大工のレベルの高さが分かりますよね~。

 

御本尊が安置されている金堂も、昭和に再建されたもので、ほぼ私と同世代(笑)。

 

 

立派な建物ですが、正直なところ、歴史のある寺院という感じは薄いかなぁ……。

 

しかし、中に収められている御本尊の薬師三尊像は、奈良時代前後から伝わる、正真正銘に歴史のあるもの。

この世代に作られた薬師如来像としては国内のみならず、世界でも屈指の傑作と呼ばれていて、美術品としても世界に誇れる一品です。

もちろん、国宝に指定されています。

 

こうした知識は後になってから知ったもので、この時は何も知らないまま拝見したのですが、それでも「これは凄い…」と直感して、しばらく見惚れてしまいました。

 

この日の朝に訪れた西大寺では全く仏像を拝めなかったので、その分、ここで思い存分に拝ませて頂きました。

 

金堂の裏側、北側にある大きな建物は、大講堂

 

 

かつて薬師寺に集っていた数多くの学僧が経典を学び、修行できるように、横幅40メートル、奥行き20メートルもある大きな建物になっています。

 

この建物も建てられてから新しいもので、2003年に建て直されたもの。

だんだん年を重ねるごとに一年が短く感じてきた私にとっては、2003年なんて、つい最近の事です(笑)。

 

 

 

金堂と同じように、この大講堂も自由に出入りして見学できます。

ただし、内部は撮影禁止。

 

ここには弥勒菩薩像と、その左右に立つ大妙相菩薩像、御苑林菩薩像からなる「弥勒三尊」が祀られています。

 

弥勒菩薩は、現在の仏である釈迦如来の次に仏になるといわれている「未来仏」という存在。

薬師寺は、弥勒菩薩の説いた教義を基にした法相宗の大本山なので、他の寺院のような釈迦三尊ではなく、弥勒三尊を祀っているそうです。

 

また、大講堂の後堂(弥勒三尊像の裏側)には、日本で最も古い仏足石(お釈迦様の足跡が刻まれた石)が置かれており、その近くには釈迦十大弟子の像が一列に並んでいます。

ちょっと暗めの場所に、かなり痩せこけた修行僧の像は…はっきり言って、近寄りがたかったです(笑)。

 

 

(南都七大寺巡り その8に続く)
 

 

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