大分県には「日本100名城」に指定されている城が2城ありますが、その一つである「岡城」に行ってきました。

 

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作曲家の瀧廉太郎が、有名な「荒城の月」のメロディーを思いついた場所として伝わっているのが、この岡城。

 

ちなみに、同じ「荒城の月」の作詞家である土井晩翠が詩を思いついたのは、青森の九戸城、仙台の青葉城、福島の鶴ヶ城という東北地方の城だそうです。

 

東北で生まれた詩と、遠く離れた九州で生まれた曲が、一つの名曲になったんだと考えると面白いですね。

 

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大分駅からJR豊肥本線に乗って約1時間半。

岡城の最寄駅にあたる「豊後竹田」駅に到着しました。

 

路線バスは通じていないので、駅からは徒歩で20分、もしくは駅で借りられるレンタサイクルで10分くらい。

 

最近は長い距離を歩くのが面倒臭くなっている私は、迷う事なく、レンタサイクル(笑)。

 

レンタル料は2時間で300円ですが、城跡までの往復、山城である城跡の散策、途中で休憩を挟む事を考えると、2時間は結構ギリギリなタイムリミット…。

 

そんな時間制限があるのに、城跡に辿り着くまでに道に迷い、豊後竹田の街をウロウロ。

 

それに加え、城跡への入口である登城口が山の中腹にある為、そこに辿り着くまでの坂道で悪戦苦闘。

大汗かきながら体力を浪費し、ウネウネ蛇行しながら登っていった結果、城跡に入る前の段階で相当な時間をロスしてしまいました。

 

これなら、歩いてきても、大して変わらなかったような気が…。

 

まあ、とりあえず、城の入口には辿り着けました。

 

 

目指すべき目的地は、まだまだ上にあるけどね(笑)。

 

 

でも、目指すべき石垣が見えた事で、改めて山登りをする覚悟が固まりました。

 

入城口の受付で、大人300円の入場料を支払うと、巻物タイプのパンフレットを貰いました。

 

 

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こういうパンフレットは初めてです。

 

訪城した記念の品としては、なかなか良いですね。

 

ただ、城跡の案内図としては、持って歩くには邪魔だし、ポケットに入れても収まり切れず、ちょっと扱いに困るかも(笑)。

 

 

入場口を入ってから、しばらくは舗装された道が続きます。

お土産屋さんが並び、「荒城の月」の悲しげなメロディーが大音量で流れていましたが、人影は見られず。

 

 

私が訪れたのは正午近くだったので、既に午前中から城跡を訪れていた人達がポツポツと下りてきましたが、逆に城跡に向かうのは私一人だけ。

 

入場口からアスファルトの道を歩く事、5分くらいで、ようやく視界の先に、城跡の石垣が見えてきました。

 

 

工事中で道が狭くなっていましたが、特に通行規制もなく、何事もなく通過。

 

 

1185年、源頼朝・義経兄弟が中心となった源氏が、「壇ノ浦の戦い」で平氏を滅亡させました。

 

しかし、その直後から兄弟の仲は急激に悪化。

兄・頼朝に殺されそうになった弟・義経は、九州の豊後(現在の大分県あたり)まで逃げようと思い、船で向かいました。

 

その時、義経を迎え入れる為に作られたのが、この岡城だったと言われています。

 

ただ、残念ながら、義経を乗せた船は途中で遭難してしまい、結局、この地に来る事は無かったそうです。

 

 

時は流れ、各地の武将が北朝方と南朝方に分かれて争っていた南北朝時代。

南朝方の後醍醐天皇の命令を受け、岡城に入城した大友氏は、北朝方と戦う拠点としました。

この時から戦国時代にかけて、岡城は、豊後を支配する大友氏の城となります。

 

戦国時代の1586年、薩摩の島津氏が豊後に攻め込み、次々と大友氏の城を攻略していきました。

ほとんどの城が島津氏に焼き払われてしまった中、自然を生かした堅城である岡城だけは、島津氏の侵攻を何度も撃退し、最後まで落城する事なく耐え抜きました。

 

伝わっている話によれば、攻め手の島津軍3万数千に対し、岡城を守っていたのは1000人ちょっと。

こういう話には誇張が入るので、兵数の真偽は不明ですが、不利な状況を守り抜いたのは本当でしょう。

 

「落ちなかった城」という事で、本丸跡にある神社を訪れる受験生もいるそうです。

 

 

 

1593年、豊臣秀吉の配下になっていた大友氏は、戦での失敗を責められて他国に改易。

 

代わりに「岡藩」藩主として入城した中川秀成が、近代城郭に改修。

そのまま江戸時代を通し、中川家の一族が13代続けて城主を務めます。

 

そして、明治維新の廃城令によって、城の建造物は全て破却され、城郭としての機能を終える事となりました。

 

 

古い石段の上に、新しく木製の階段が作られていますが、これって、どっちを通れば良かったのかな?

 

もちろん、木製階段の方が足元は滑らないし、雨が降ってグチャグチャになっている時には便利なんでしょうけど。

 

 

階段の大部分を登り終えたところで、ふと後ろを振り返ってみると…

 

 

随分と高いところまで来たもんだ…。

まだスタート直後なのに、もはや、この時点で良い景色です。

 

階段を上り終え、続く石畳の坂道を登っていくと、門の跡らしき石垣が見えてきました。

 

 

写真でも伝わってくるかもしれませんが、そこそこ急な坂道。

 

ここ最近、めっきり肥えてきたオッサンは、ヒィヒィと息を荒げながら登っていきます。

 

早くも一休みしたい気持ちに駆られますが、レンタサイクルの返却時間の都合もあり、足を止める訳にもいきません。

 

 

城の表門にあたる「大手門」跡を抜けると、いよいよ城郭の中です。

 

 

(岡城 中編に続く)

 

 

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