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(弘前城 前編 から続く)
弘前城が築城され始めたのは、徳川幕府が開かれ、江戸時代になったばかりの1603年。
弘前藩の初代藩主となった津軽為信が、藩政の中心地として築城を始めました。
しかし、築城途中の1607年に為信が死亡。
二代藩主の津軽信枚が引き継いで、1611年、ようやく完成を迎えます。
築城当時、本丸には5層5階建ての立派な天守が建っていましたが、1627年、落雷によって天守が焼失してしまいます。
その後、江戸幕府への配慮から新しい天守を建てられず、天守の無い状態が200年近く続きましたが、9代藩主の代になって、ようやく幕府に天守の再建築を申請します。
その時も、素直に「天守を新築します」とは言えないので、「櫓を改築します」という名目で申し出て、何とか幕府の了解を得ました。
1810年、本丸にあった隅櫓を改造する形で新しく建てられたのが、現在も残る三階建ての天守(御三階櫓)になります。
日本で12棟しか残っていない「現存天守」の一つで、東北地方では唯一の存在。
東日本全体でも、弘前城と松本城の2つしか残っていないので、非常に貴重な建築物です。
当然、国の重要文化財です。
他の城では、本丸に入ると、まず手前に本丸御殿があり、その奥に天守が建っているという構造が多く見られます。
一方、弘前城は上記のような事情があったせいか、本丸に入るとすぐに天守があり、その奥に本丸御殿があるという変わった構造になっています。
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今年の5月から石垣の修理が始まる為、工事の準備が着々と進んでいました。
工事車両などが出入りできるように、内堀は完全に埋め立てられています。
天守の裏側を見ると、こちらも工事準備中。
石垣の修理中、天守は現在の位置から本丸の内側方向へと移動するそうです。
地面にレールを引いて、その上に天守を乗せて引っ張っていくというから凄い・・・。
石垣工事が終わり、再び現在の場所に戻されるまでは、天守の見学が出来ません。
次に天守が公開される予定は、来年。
それが、今回、慌てて観に来た理由でした。
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そんな事情があって、大半の展示物が撤去されている状態になっている天守。
元々が櫓だったんだな、と分かるような出入口から入ると、
無機質なビニール床が敷かれ、ほぼ何もない室内。
しかし、工事が近付いている時だからこそ、期間限定で見る事が出来るモノもあります。
床が剥がされており、床下の構造を見学する事が出来ます。
こういう木造建築の技術は、西洋のお城では見られない、日本の城郭ならではの光景ですね。
そんな床下には、こんなモノも。
何だ、これ・・・と見下ろしてみると、
石片に掘られた石仏です。
いつの時代のものかは分からないそうですが、石垣の一部に使われる為に持ってこられた石片のようです。
古い天守や櫓には必ずある「狭くて急角度な階段」を上がって2階へ。
無駄に身体が大きな私は、こういう時に苦労します・・・。
2階も・・・特に注目するポイントは見当たらず。
でも、古い木造建築に漂う匂いとか、歩くとギシギシ鳴る床の感じは、こういう場所でしか味わえないもので、結構好きです。
ギシギシ音は、私の体格のせいで割増しになっている気もしますが。
最上階へと繋がる階段。
その脇に抜け道がありました。
三階建ての二階まで来て、残り一階なのに、ここで諦めて帰る人なんているんでしょうか?
私は当然、最上階へと上がります。
壁に「日本100名城」の写真が飾られているくらいで、ここも特に見所は無し。
格子の嵌っている窓から外の景色を眺めてみると、
「ああ、桜が咲いていたら・・・(以下、略)」と、再び言ってしまいそうになりました(笑)。
部屋の中央には、唯一の展示物といえる「本丸の再現模型」が。
こう言ったら失礼というか、単なる偏見ですが、本州の北端にある城に、こんな立派で広大な本丸屋敷があったとは驚きです。
という事で、天守を出て、この模型のような屋敷が立ち並んでいた本丸跡へと向かいます。
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現在は広場になっていて、どこに何の建物が建っていたか、パッと見ただけでは判らなくなっている本丸跡。
江戸時代、御金蔵が建っていたという場所を訪れても・・・
そこに小判の一枚も落ちている訳でもない(笑)。
本丸の南西の角にあるのが本丸未申櫓跡。
築城当時、ここに五層五階建ての天守が建っていました。
しかし、落雷によって焼失してしまったのは、冒頭で説明した通り。
そこから東方向に歩いていくと、本丸の東南の端にある本丸戌亥櫓跡が。
かつては城の防御・監視拠点だった櫓も、現在は、普通の休憩所みたいになっていますね・・・。
個人的な感想として、この本丸跡で一番の見所だったのは、
遠くにそびえる「津軽富士」こと岩木山の堂々たる姿。
城跡と関係ないけど(笑)。
生まれて初めて見ましたが、確かに「富士」を名乗るだけの優雅さを感じます。
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弘前城本丸の北にある「北の郭」。
橋を渡れば「北の郭」なのですが、ここで私の「面倒臭がり癖」が発症してしまい、先に進むのは断念。
一段低いところにある「北の郭」を、本丸側から眺め下ろすだけに留めました。
そんな「北の郭」の端に、どこか意味あり気な空き地が。
この「館神跡」には、かつて太閤・羽柴秀吉の木像が御神体として祀られ、様々な神事や占いなどが行われた場所でした。
藩主や神主など、ごく限られた一握りの人々しか入れない特別な場所だったようです。
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弘前城への登城には「追手門」→「南内門」という南方向からのルートを辿ったので、帰り道は「東内門」→「東門」という東方面ルートを使いました。
中濠を越えて三の丸へ。
最後に「東門」を潜って城外へと出ました。
「東内門」、「東門」共に江戸時代から現存する門で、重要文化財に指定されています。