小諸城址の見学を終え、「懐古園」の出口を目指して歩いている途中。
こちらの建物の前で、気になる会話を耳にして、思わず立ち止まってしまいました。
観光客らしき年配女性達の会話。
女性A 「この藤村(ふじむら)って?」
女性B 「えっ~知らな~い。画家か何かかしらね」
女性C 「藤村だと、藤村俊二しか思いつかないわね」
三人 「アハハハハハッ」
いやいやいや……
これ、「ふじむら」じゃなくて、「とうそん」ですから!
オヒョイさんじゃないですから!
「知らない」という事は、恥ずかしい事ではありません。
しかし、よりによって、本人の像がある前で、そんな会話をするとは……(笑)。
小諸に縁の深い明治の文豪、島崎藤村です。
既に詩人として地位を確立していた藤村は、明治32年、かつての恩師に招かれて小諸を訪れ、この地にあった「小諸義塾」の教師に就任しました。
そこから小諸で過ごした6年間は、ちょうど詩人から小説家へと移行していく時期でした。
小諸の自然や生活を描写した写生文「千曲川のスケッチ」や、優れた短編小説を発表。
そして、藤村の代表作となる長編「破戒」の執筆を始めたのも、この小諸でした。
この「藤村記念館」には、小諸で過ごした時期を中心とした藤村の遺品・作品・資料などが収蔵され、展示されています。
「千曲川のスケッチ」、「破戒」なとの貴重な初版本もあるそうで、私が訪れた日も、多くの観光客が訪れていました。
私は……入園する時に200円を出し惜しんだせいで、入館できず(笑)。
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記念館の前には、藤村の詩を歌曲化した「椰子の実」の歌碑がありました。
とある浜辺に流れ着いた椰子の実の話を知人から聞いた藤村が、流れ着くように小諸にやって来た自身の心情を重ね合わせて書いた有名な詩です。
昭和11年に曲が付けられて歌曲化され、現在も「日本の歌百選」として広く愛されています。
「懐古園」内には、同じく藤村の詩で、後に歌曲化された「千曲川旅情の歌」の歌碑も建っています。
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「懐古園」を出て、小諸駅へと向かう途中にも、藤村の歌碑がありました。
「惜別の歌」です。
明治30年に発表した藤村の詩を元にして、昭和20年、学徒動員中だった中央大学生の藤江英輔が曲を付け、戦地に出陣していく友人に向けて作ったものだそうです。
その後も、中央大学の学生歌として長く歌い継がれてきたのに加え、ちあきなおみや小林旭など多くの歌手にも歌われる人気の歌となりました。
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この近くには、藤村が教師を務めた「小諸義塾」の記念館もありましたが、こちらも「入園時に200円をケチった」せいで入れませんでした。
まさに、「目先の事に拘ると、先々で損をする」って事ですね。
まあ、そんな大層な教訓でもありませんけど(笑)。