(1)から続く

Ibati Rotihi Rarub







お城を訪れる時、いつも天気には恵まれるんですよね。






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一人ぼっちで汗だくになって歩いていると、ついつい気分も暗くなってしまうところですが、天気の良さと空気の良さが足取りを軽くしてくれます。




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似たような画像ばかりが続いていますが、実際、同じような風景が続いていたんだから仕方がない(笑)。






そんな道の途中、ようやく、最初の案内板を発見。






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道が分かれている場所を「木俣」と呼ぶそうです。






何だよ、単なる分かれ道かよ、と心の中で思いつつも、決して口には出さないのが大人のマナー(笑)。








さて、この箕輪城の見所の一つが、数多く残る堀跡。






道を歩いていると、片側が崖になっていて、大きく抉れている部分が多いのですが、これは全て空堀だった場所。






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足を踏み外したら、一気に下まで転げ落ちそうです。






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こんな感じの堀切が、あちらこちらに走っています。






堀の底を見下ろしながら、更に5分くらい歩いたところに、2つ目の案内板。






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かつて城門があった場所のようですが、






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見事に、何も無いです。






というか、ここまで歩いてきて、ようやく城門ですか…。






そのすぐ近くに、幅の広い堀切が。





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これが箕輪城の見所の一つ、大堀切






この写真の部分は、そんな深く見えませんが、他の場所では、もっと深く大きく地面が抉れている場所もあります。


箕輪城全体を南北に分断するように長く走っている、大動脈のような堀切です。






土橋を通って横断します。






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この土橋を渡ると、その先は、もう二の丸








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この場所も、桜が咲く時期に訪れたら、きっと素敵な光景なんでしょうね。


よりによって、こんな枯れ木の季節に訪れるとは…。






城の「本丸」が持久戦・防御の拠点ならば、この「二の丸」は迎撃、出撃の拠点。


ここに馬や兵士を集めて、「エイエイオー!」って声を上げて出撃したんでしょうね。






ようやく、ちゃんとした全体図を発見。


これがないと、今、自分がどこにいるのか、さっぱり分からなくなります。






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この図の左下あたりから入場して、郭馬出を通って、二の丸まで辿り着いた事になります。






普通なら、下の大手門→三の丸→二の丸→本丸と順番に訪れていくのが正当なルートだと思います。






ところが、金沢城を訪れた時と同様に、いきなり二の丸に向かってしまうのが、面倒臭がりの私らしい(笑)。






この図を見ても、かなり堀切が多く、しかも高低差が激しい城である事が分かります。






このまま直接、本丸を目指しても良かったのですが、一応、順番は違いますが、三の丸も回ってみました。








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まあ、例によって、何も残っていないのですが(笑)。






再び、木々の間を抜ける道を、ひたすら本丸目指して歩き出します。






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気のせいか、本当にそうなっているのかは分かりませんが、城の中心部に向かっていくにつれて、堀の深さも深く広くなっているような気がしました。






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しばらくは平坦な道、もしくは上り坂の道が続きましたが、突然、堀の底へと下りていく階段が出現。






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ここからは、堀の底を歩いていく道が続きます。






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谷の上を歩く状態から、谷の底を歩く正反対の状況になりましたが、森林に囲まれているのは変わらず、景色も大して変わらず。






これだけ自然が多いと、夏あたりは虫に襲われて大変でしょうね。


特に蜂やアブ、蚊なんかが飛んできて、相当に厄介な事は予想できます。


この季節、草花が咲いていないのは淋しいけれど、虫が少ないのは助かります。






お堀を歩き続け、本丸のちょうど西側あたりを通過する頃、左側の木に一つの案内板がありました。






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この上あたりに「蔵屋敷」があったそうです。






穀物などを貯蔵する倉庫の役割と同時に、ここから三の丸などに出撃していく拠点としての役割も持っていたそうです。






お堀の本丸側の壁には、一部、石垣が残っている部分もあります。








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形や面を整える事なく、小さめの石を積み重ねていて、外敵からの防御壁というよりも、お堀が崩れないように補強をしている役割のようですね。






長くジメジメしたお堀の底を通り抜けると、さらに小高い丘へと上がっていく階段があります。


ここまで長々と歩いてきて、結構な急角度の階段はキツい…。






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階段を上り切ると、良く整備された広場になっています。






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ここが、城の中心部である本丸の、更に中心部になる御前曲輪があった場所。






この箕輪城には天守閣は建てられていませんでしたが、その代わりに物見・戦闘指揮の櫓が建てられていました。






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幅の広い堀切を隔てた隣にある広場には、本丸の表示が。








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こちらには本丸御殿があったのかな?








帰り道は、再び二の丸に戻り、今度は搦手口から出城。






本丸から二の丸に向かう途中で、また大堀切の上を渡りました。








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結局、建築物の遺構は何一つ見られませんでした。






しかし、堀切と土塁による分かり易い高低差が付いていて、本丸、二の丸、三の丸が分かりやすく区切られているので、城の構造は分かりやすい方かもしれませんね。






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