「国家の独立を維持するためには冷酷な手段もやむを得ないとするマキャベリズムに近い中国古代の諸子百家の思想は何か?」と問われれば、これまでは「厳格な刑罰主義による法治を行う法家の思想が近い」と考えていました。

 

しかし、この連休中に司馬遼太郎『項羽と劉邦』を読んでいて、「縦横家」の思想が最も近いのではないかと認識を改めつつあります。

 

蒯生はあるとき韓信に謁し、縦横学とは何かということを弁じたことがある。「国家—勢力といってもよろしいが—というものを考えられよ。国家には実態と虚態があります。彼我の実態と虚態をさぐり、それを記号にしたり数式にしたりしてそれぞれの力を量ります。その上で相手国の意図を察し、意図に裏打ちされた力を量り、その力の出端を執って自国の意図や力に吸収させてしまう術もしくは学を縦横の学というのです」

 

ところが、この縦横学について、強大な秦国に対する合従連衡を実現させた蘇秦の名前は有名なのですが、具体的な縦横家の思想を理解する為に必要な代表的書物の名前が知られていません。

 

儒家に『論語』があり、兵家に『孫子』があるように、諸子百家の中には、思想としては有名でありながら、その体系的知識を伝える書物が存在しないケースが多々あります。

 

縦横家も同様のケースに当てはまっていて、どうやら「鬼谷子」という六韜三略という兵法に通じ、陰陽家の開祖であり、縦横家の外交術にも精通した謎の多い人物が存在していたのは間違いないようです。

 

ただ、その神秘のヴェールゆえか、中国語版は数多くあるものの、日本語版はほとんど存在しないという状況で、縦横家の思想を知りたくとも、そうは簡単にいかない状況。

 

『鬼谷子』をもっと深く研究し、マキャベリズムとの比較研究をすれば、東洋と西洋との思想・文化の違いに対する新たな発見につながるような気がするのですが、もう少し根気を必要としそうです。