昨日の投稿で「神話を遊べ」というメッセージを発したところ、真面目に学ぼうと思っていた人々に対して挑発的かなと懸念したのですが、概ね好意的に受け取ってもらえたようです。
シンポジウムの中でも、コーディネイターから「なぜ日本神話が廃れてしまったのか」という問いが何度か繰り返されましたが、私の中では「そこに『遊び』がなかったから」という仮説が存在し続けています。
やはり戦中の神国思想によって、日本神話を神聖不可侵なタブー扱いすることで、弄る余地が亡くなってしまったのだろうなと。
であるならば、漠然と「日本神話を普及させる」という目標を掲げても、結局は「学校や地域できちんと教育すべき」と、○○すべきという規範論的解答になってしまい、つまらない結論に至ってしまいます。
それよりは、マーケティング理論を使うことで、「日本神話をエンドユーザーに売り込む」とした方が、現実的なアプローチが生まれると思います。
例えば、AIDMA理論に基づけば、日本神話が置かれている状況は、Interest(興味を持つ)どころか、Attention(認知)すらされてない状況で、最後のAction(行動)まで到達するためには、第一歩の認知度向上に向けた取組が必要なわけです。
第1段階の認知度向上では、そのステージに相応しいマーケティング手法があるはずで、具体的には、どのようなコンテンツ(Product)を、いくらで(Price)、どこで(Place)、どうやって(Promotion)エンドユーザーに届けるのかを検討する方が、面白いアイディアや取組につながる可能性があります。
人間は「かくあるべし」と規範を押し付けられるよりも、「面白い」「楽しい」「気持ち良い」というインセンティブを与えられる方が、自発的かつ自主的に物事に取り組む生き物だと思っているので。
自ら見たいと欲する世界を見るのではなく、ありのままの現実を受け入れた上で、柔軟に方策を検討する余裕が必要です。