私は、社会人大学院時代に、専門書数冊あるいは論文を4,5本程度を読み込んだ上で、A4ペーパーでレポートをまとめるという作業を、毎週のように繰り返していました。

 

日中は通常勤務をしながらで、夕方以降はそれぞれの履修科目の授業を受けながらだったので、文献を読んでレポートをまとめる作業ができたのは、早朝に起床した後でした。

 

今、思い返しても、「すげー頑張ってたな、俺」という自覚はあるのですが、悲しいことに、それだけ精魂込めたレポートも、指導教官の前で報告をしたら「意味がない」「無駄」という一言で一蹴されるされることもしばしば。

 

その瞬間は、当然のことながら殺意が芽生える(ほど「激しい怒りを感じた」と御理解ください)わけですが、議論をしていくと、結局のところ、私自身の思い込みであったりとか、無意識の前提のようなものを鋭く指摘され、ぐうの音も出ないほど論破されて、返り討ちに遭うというのが、毎週のように繰り返されるパターンでした。

 

とはいえ、一度芽生えた殺意は行き場がなくなり、それは自分自身の不甲斐なさへと跳ね返り、臥薪嘗胆の思いで、いつか完全に論破してやるという復讐心を抱き続けて、指導教官との付き合いは10年以上になろうとしています。

 

傍からみたら、かなり歪んだ人間関係かもしれませんが、人間ってきれいな面だけを抱えているのではなく、愛憎半ばする矛盾を呑み込んで生きる生物だと思っているので、こういうのもありかと。

 

振り返ってみると、常にハードワークを課されてきたような気がしますが、「量が多い」とか「大変だ」とか言っているうちはまだ余裕があるんですよね。

 

「ここらへんが限界だ」と思って、自分が線を引いた「限界」のその先にこそ、従来の自分の枠では到達できなかった世界なり、ヴィジョンなりが待っているということを、私は経験しました。

 

そういう経験を持った人間は、それを後進に伝えたいとは思うのでしょうが、その経験は多分に個人的・個別的な経験であるがゆえに、マニュアル化された方法論は存在しない状況。

 

だから、自分の経験則に基づいて、方法論を提示するものの、それは個人的・個別的なものであり、誰にも適用できる普遍性や合理性は担保されていません。

 

となると、最後に行き着くところは、方法論を提示してくれる人を最後まで信じることができるかという「信頼」

 

「ああ、殺意まで芽生えていた相手に対して、結局のところ、その相手の知識であったり、情熱であったりを私は信じていたんだな」、ということを自覚できるようになりました。

 

当時のレポートはいまだに膨大なデータとして残っていて、今でも「理不尽」と思えるようなハードワークでしたが、積み上げた量が、どこかで質に転換して、現在の自分に至る血肉となったと考えます。

 

「新しいものを創り出す」とか「人を育てる」とかいうことは、結局のところ、合理的なシステムなど存在せず、不合理な人間どうしの葛藤や衝突の中から、か細い信頼という糸を手繰り寄せ、不確実性に晒されながら、ようやくにして辿り着けるゴールなのではないか。

 

そう考えることで、自分の中での方針や方向性が明確になったことを感じました。