先日、職場の懇談会にて指摘されて気付いたのですが、私は部下に対して指示をした後、必ず最後に「やらなあかん」という言葉を付け加えるそうです。
口癖なので、私本人は全く意識しておらず、指摘されてみると、「そうかもしれないな」と気付く始末。
別に、私は関西出身でも、関西在住の経験もないので、「やらなあかん」と関西弁になる必要はないのですが、この言葉を発する時の、自分の思考と行動を追っかけてみると・・・
- 「今、これをやっておかないと、後々こんなリスクや課題が生じる」という自分なりのリスク分析を踏まえて、タスクに着手することの必要性や重要性を、部下に対して説明する
- 部下にタスク実施の必要性・重要性を説く一方で、具体的なアプローチについては、「自分だったらこうする」というのを心の中に思いながらも、部下が主体的に行動する機会を与える観点から、指示が出過ぎないよう気を付ける
- でも、やっぱり「自分だったら・・・」という気持が抑えきれなくて、「自分だったらこうするし、やらなければいけない」という気持が出過ぎて、自分に言い聞かせるため「やらなあかん」という言葉を発する
というプロセスを経ているような気がします。
私が担当者時代に困ったのは、上司は「やらなければいけないこと」を語るものの、それをやる大義・意義を示すこともなく、方法論も示してくれないこと。
こうなった場合は、「とにかく目の前の山を登れ!」という無意味な根性論になってしまい、担当者自身は充実感もなく、パフォーマンスも発揮できず、結果として、良質なアウトプットも出せなくなること。
それが続くと、現場はどんどん疲弊していくし、最悪の場合は、メンタルヘルスを害します。
もちろん、所詮は悲しい宮仕えであり、木っ端役人の世界なので、どうしてもクソみたいな仕事(←下品で申し訳ありません)があることは否定しませんが、そんなクソみたいな仕事に、大義・意義を添えてあげるのも、上司たるマネジャーの役割だと思います。
私は、歴史、しかも、戦史マニアなので、戦争で多くの兵士が亡くなる中で、その兵士が「犬死に」するのか、それとも、「勝利のための礎」となるのか、そこを分けるのが、名将と凡将の違いであると認識しています。
最終目標に向けて、戦略を描き、戦術的勝利を積み重ねるという戦争の有り様から、指揮官が取るべき行動を学ぶことは、組織のマネジャー層にとっては、必要不可欠な教養であると考えます。
米国のマネジャー教育では、クラウゼヴィッツや孫子、マキアヴェッリなどの古典が、戦略論を学ぶ上での必須文献となっています(MBAでの基本書扱い)。
人類の歴史を振り返ってみると、「戦争を行っている」のが常態であり、「平和である」のが例外である、というのが定説。
だから、カントの『永遠平和のために』という名著も生まれるのであろうとは思うのですが、私のような人間は、例外のために頑張るよりも、常態で起こる危機をどのように乗り越えるのかということに興味・関心があります。
そこに興味・関心を抱いて行動することが、定められた枠の中の思考から抜け出せない旧人類なのか、あるいは、人間の性を冷静に見る現実主義者なのかは、第三者の評価に委ねます。
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