一世を風靡した「里山資本主義」。
一時期は、書店に行けば、広いスペースに平積みされ、条件性の厳しい農山村地域の活性化のための画期的な処方箋のように扱われていました。
しかし、現状を鑑みるに、やはり一種のブームだったのかなと。
高齢化や過疎化が進行し、閉塞感漂う農山村地域に住む住民や、あるいは、その維持・振興のために汗を流す関係者の方々にとっては、自らの存在意義を見直したり、あるいは、農山村地域の価値を再認識したりという意味で、大きなエールになったとは思います。
けれども、政策論の観点からは、その後の議論の盛り上がりに乏しいことを考えると、人々に、本質的な価値転換を迫るものではなく、単なる「成功している地域事例集」に止まってしまったのかなあという気がします。
イタリアにおいては、スローフードという思想(運動)が、スローシティへと昇華され、さらに、スローシティ間でのネットワーク構築による世界的な活動になっていることを踏まえると、里山資本主義は、アイディアとしては面白いが、活動に発展するまでの推進力に欠けたというところでしょうか。
かつて日本では、農山村の振興運動として「一村一品運動」が存在していましたが、日本国内だけでなく、世界にも広がりを見せていた時期もあります。
その一村一品運動と比較してみても、厳しい農山村地域の現実を変える力にはならず、『里山資本主義』がベストセラーになったというマーケティング上の成功で終わってしまいそうな感じです(それもまた現代資本主義の有り様かも知れませんが)。
政策論から見た「里山資本主義」の問題点は、「都会と田舎」、「都市と農山村地域」という二元構造を基に、前者を主体(優先)、後者を客体(劣後)として位置づけている点にあるのではないかと思います。
本書の副題が「日本経済は『安心の原理』で動く」というものですが、この安心は、農山村地域の住民の安心ではなく、あくまで都市住民にとっての安心です。
要するに、本書には、「都市住民にとって都会生活だけでは不安・不満があるので、そのセーフティネットとして農山村地域は必要。だから、農山村地域は、そんな都市住民のニーズに応えているのだから、誇りをもって農山村地域を維持し続けてね。それが日本全体の資源の最適配分という観点からも安心なのだから。」というロジックが底流に流れていると考えます。
私は根がひねくれ者なので、冒頭で書いた人々のように、本書を農山村地域に関わる人々とのエールと素直に受け取ることはできませんでした。
なぜなら、農山村地域を、現代資本主義の中に位置づけて、その枠組みで課題解決を図ろうとすれば、結局は、「農山村地域に経済的価値は有りや否や。経済的価値を高める方法如何」という経済的問題に収斂してしまい、それ以外の価値は捨象されてしまいます。
経済的問題として取り扱う以上は、効率性・生産性が判断基準となりますが、その場合は、どんなに逆立ちしたって、農山村地域よりも、都市の方が効率性・生産性に優れていて、「やっぱり都市が良い!」という結論にしかならないわけです。
本書に対する根強い批判として、「農山村地域がそんなに素晴らしい場所であれば、なぜ若者が流出し、高齢化・過疎化が進むのか」という意見がありますが、その答えは、先に示したように「経済的価値であれば都会の方が魅力的だから」ということに帰結するのではないでしょうか。
なので、我々が目指すべきは、里山資本主義ではなく、里山資本主義を超えて、農山村地域に経済的価値以外の価値を如何に見出し、その価値を伸ばしていくのかだと考えます。
やはりどの分野でも「資本主義」の行き詰まりに遭遇していることを実感します。
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