「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という言葉の重みを実感できる本として、先日、御紹介したマキアヴェッリの『君主論』(https://ameblo.jp/felix-epyon/theme-10096005496.html)。
作者であるマキアヴェッリは、古代の歴史を学ぶとともに、都市国家フィレンツェの中堅官僚として、当時のイタリア情勢をめぐる外交・政治を分析した上で、この著書を著しました。
極めてクール(冷徹)な分析・考察が特徴的と言えますが、その中で、一部、彼の情熱を感じる部分があります。
それは理想的な君主像として、当時は(ひょっとしたら今でも)悪名高い「ヴァレンティーノ公」チェーザレ・ボルジアに対する評論・評価についての部分。
いっぽう、世間でヴァレンティーノ公と呼ばれるチェーザレ・ボルジアは、父親の運に恵まれて国を獲得し、またその運に見放されて国を失った。ただし、ボルジアは、思慮があり手腕のある男としてとるべき策をことごとく使って、みずから力の限りをつくした。すなわち、他人の武力と運に恵まれて、ころがりこんだ領土にあって、自分の根をおろすために、やるべきことをやりつくした。(中略)さて、ここでヴァレンティーノ公のとった行動をつぶさに考えれば、彼が将来の権勢を築くりっぱな土台づくりをしたことがよく理解できよう。新君主にとって、この人物の行動にまさる指針は考えられないと、わたしは思うので、ここで、彼の歩みを論じるのもむだではなかろう。たまたま彼の布石が成功しなかったとしても、それは彼のせいではなかった。つまりは、常識はずれの、ひどい運の悪さから生まれたことだった。(pp41-42.)
それにしてもヴァレンティーノ公は、驚くほどの無謀さと力量の人だった。民衆をどのようにすれば、手なずけられるか滅ぼせるかを、知りつくしていた。あれほどの短期間で築いたのに、土台はいたって堅固だった。だから、もしこれら強国の軍勢に脅かされず、彼自身の健康さえゆるせば、どのような苦難をも乗り越えたにちがいない。(p49.)
公のすべての行動を回顧してみて、彼を非難するなどわたしにはできない。それどころか、前述のように、運や他人の武力で政権につくすべての君主にとって、ぜひとも鑑とすべき人物として、彼を推したいと思う。その理由は、彼の素晴らしい勇猛心とその雄図からすれば、それ以外の対処の仕方が考えられないからである。ただ、彼の計画をさえぎったのは、教皇アレクサンデルの短命と彼自身の病気にほかならなかった。それゆえ、敵から身を守ること、味方をつかむこと、力、あるいは謀りごとで勝利をおさめること、民衆から愛されるとともに恐れられること、兵士に命令を守らせて、かつ畏敬されること、君主に向かって危害に及ぶ、あるいはその可能性のある輩を抹殺すること、旧制度を改革して新しい制度をつくること、厳格であると同時に、丁重で寛大で、闊達であること、忠実でない軍隊を廃止し、新軍隊を創設すること、国王や君侯たちと親交を結び、あなたを好意的に支援してくれるか、たとえあなたに危害を加えようにも二の足を踏むようにしておくこと、以上すべてのことがらこそ、新君主国にあって必要不可欠なものと信じるならば、人は、彼の行動ぐらい生々しい好例を見いだせないだろう。(p50.)
マキアヴェッリは、チェーザレ・ボルジアの構想力と行動力を評価し、自分の意図を実現に導く力量を十分に認めて、理想的な君主のモデルに位置づけています。
ただ、惜しむらくは彼の権勢の源であった教皇アレクサンデル6世が急病により亡くなった際に、彼自身も病床にあり、迅速に対応すべき情勢変化に的確に対応できなかったという「ひどい運の悪さ」に見舞われたということ。
マキアヴェッリが指導者に求めた3要素は
- ヴィルトゥ(力量、才能、器量)
- フォルトゥーナ(運、幸運)
- ネチェシタ(時代の要求に合致すること)
でしたが、チェーザレ・ボルジアは2の幸運に見放されたが故に、人生が暗転しました。
新時代のリーダーにとって、1〜3の要素を全て兼ね備えることの重要性と難しさをマキアヴェッリは語っています。
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