3月9日付けの南日本新聞で、九州経済連合会地域委員会における麻生会長の発言が記事になっていました。

 

記事の中で、更に詳しく発言が引用されていて、

 

「鹿児島の知事や首長でとがった人がいるかというと、難しい状況だ。だからこそ経済界や大学が積極的に動かないといけない」

 

と指摘したとあります。

 

知事や首長がとんがる=リーダーシップを発揮するということだと思いますが、リーダーシップとは何なのか。

 

『君主論』を書いたマキアヴェッリが指導者に求めたリーダーシップは次の3大条件。

 

  1. ヴィルトゥ(力量、才能、器量)
  2. フォルトゥーナ(運、幸運)
  3. ネチェシタ(時代の要求に合致すること)
どれほど実力があっても、運が悪ければ、あるいは、時代の要求に合致しない(有権者が求めない)ことを実行すれば、権力の座から転落し、逆に、運に恵まれて、リーダーになれたとしても、器量が足りない、あるいは、有権者の支持が離れれば、結局はその地位を維持できない。
 
都市国家が乱立して、勃興を繰り返し、外では強力な中央集権国家が誕生しつつあった当時のイタリアの政治(国際関係)を冷静に分析したマキアヴェッリは、その冷静な観察眼からリーダーシップの本質を見出していました。
 

『君主論』に「君主が声望を集めるには、どのように振るまうべきか」という章があり、それに対するマキアヴェッリの考えは、「なによりも大事業をおこない、みずからが類いまれな手本を示すこと」とあります。

 
首長に求められるべきは、自分の地域の民生の安定という「守り」と、マキアヴェッリが指摘するような声望を集める「攻め」の両面をバランス良く展開することだと思います。
 
とんがり要求に応えようとして、他自治体の差別化を図ろうとするあまり、地に足のつかないトップセールスを繰り返すことが、はたして、自分の地域にとってプラスにだったのか、隣県・宮崎県の東国原前知事の事例を踏まえて、私は否定的に見ています。