1月27日(土)〜2月3日(土)の6泊8日の日程で実施された、私自身にとっては5回目の個人旅行である「イタリア視察2018」は、道中、多少のトラブルはありながらも、無事に終えることができました。
今回の旅行前に設定していた目標である、100km踏破については、合計で103.77kmということで、無事に目標を達成。
さらに、過去3回にわたって、「スローシティ」や「スローフード」を中心として、イタリアにおける食・観光・街づくりの一体的振興についても、これまで自分なりにサーベイと現地調査を行ってきたところですが、「わかった」というレベルの理解に達したわけではないにもかかわらず、「理解していないが、理解するために書こう」という気持ちになれるくらいの材料を確保できましたので、これからレポート執筆に取り掛かりたいと思います。
現在、鹿児島でも大河ドラマ『西郷どん』の放映やインバウンドの急増により、改めて、観光産業の重要性や底上げが指摘されているところです。
観光産業の発展に向けた取組としては、観光案内板の表示であったり、パンフレットの作成であったり、少しお金がかかれば、ハードの整備であったりします。
ひっくるめて言うならば「受入体制の整備」という部分に、官も、民も、あるいはマスコミも注目しています。
しかし、今回、訪れた世界屈指の観光都市であるローマ、ヴェネツィア、フィレンツェなどは、街全体がリノベーションの真っ最中で、案内表示が不親切だわ、イタリア語表記しかなくて書かれていることを理解できないわ、英語で質問してもイタリア語で返して理解できないわ、「おもてなし」や「利用者利便」なんて、ほとんど見受けられない有様。
でも、入場料が10€(≒1300円)、20€(≒2600円)もするのに、スタッフのいい加減な案内・誘導にも忍耐強く我慢しながら、忍耐強く行列を待ち続けているんですよね(当然、怒っている観光客はいない)。
それだけでなく、文化財の修復・保護に関する技術は一層磨かれていて、各都市のリノベーションやリニューアルに活用されながら、今後、これらの技術は、消滅の危機に瀕している世界中の文化財を保護・修復するための輸出可能な技術・ノウハウとして確立されつつあることを実感しました。
経営学で考えるならば、イタリアの観光政策は、文化や産業、都市計画にも通ずる「プロダクト・イノベーション」(=これまでとは異なった独創的・先進的な新製品やサービスによって競争優位を図る)であるのに対して、鹿児島の観光政策は、観光産業に限定した改善である「プロセス・イノベーション」(=製品やサービスの効率化や標準化によるコスト削減や品質向上)に止まっているのではないか、という問題意識を持ちました。
苦言めいたことを言えば、現場レベルの改善に汲々としていて、地域の成長・発展につながるグランドデザインや戦略を疎かにしてないかということです。
今回の視察4日目に訪れたボローニャについて書いた記事の中で、日本における地域経済学の底流に流れる理論として「内発的発展論」を紹介しましたが、内発的発展論については、個々の都市や地域の事例を取り上げながらも、普遍的に適用可能なモデルや政策というものに、必ずしもつなげられなかったという課題を抱えています(と個人的には考えています)。
だから、内発的発展論の延長線上にある「里山資本主義」なども、一時的には、メディアなどで注目されたとしても、いつの間にか、人々の記憶から忘却されてしまい、また暫くの時間が経過すれば、また内発的発展論の亜種が誕生して「頑張っている地域」みたいな事例が紹介されるという繰り返し。
Facebookを通じて、地域の未来を語る会議みたいなものを案内されたり、場合によっては、講演をお願いされたりということがありますが、現在、かなりの確率でお断りさせていただいています。
というのは、地域の未来や戦略を語り合うことは「手段」であって「目的」ではないからです。
参加者の目標や目的意識が不明確な中で、ゼロベースで議論しても、百人百様の未来が描かれるだけだし、著名な講演者の話を聴いて、地域の改題解決や新たな戦略構築に向けて、どこまで応用可能かは疑問だけど、聞いてなんとなく満足みたいな雰囲気は嫌だし、何よりも、今、我々に求められていることは「自分たちの頭で考えて、自分たちの手足で動く」ということであり、手段と目的の混同をしている暇はないということです。
従来は経済学やマーケティングが専門領域で、合理主義に侵された頭の中の切り替えに5年くらいかかって、ようやく「地域振興」「都市計画」「文化」「デザイン」「ライフスタイル」という合理性だけでは測れない分野についても、自分なりのアプローチを説明できるくらいのレベルになってきたかなという気がします。
高校時代に出会って、自分の眼と足でイタリアを見るということへの強いインセンティブとなっていた歴史小説家・塩野七生が、昨年末に発刊した書籍をもって、長編小説を断筆することになりました。
塩野小説は全て読んでいて、今後、彼女の作品が読めなくなるのは残念であるとともに、それだけの時間が経過したことを痛感します。
この時間の流れの速さを軽視することなく、新たな時代の変化に適応しながら、次の世代のための地域や都市を如何につくっていくのかという命題と、これからも向き合い続けたいと思います。